2026/7/27
台湾・台南市の中心部から車で20分ほど離れた南区に、少し珍しい歴史と深い温かさに包まれた廟(びょう)があります。その名は「飛行将軍廟」。
ここに祀られているのは、大東亜戦争末期、迎撃に台湾の基地から飛び立った零戦、米軍機に撃墜されながらも、村落への墜落を避けるために機体を必死に誘導し、自らの命を捧げた日本人搭乗員・杉浦茂峰少尉(当時20歳、台湾式の数え方で21歳)です。
国籍や敵味方の垣根を越え、村人を守った彼の自己犠牲に深く感謝した地元の人々は、彼を神として祀り続けてきました。今回は、この飛行将軍廟の歴史や独自の慣習、そして台湾の人々が持つ温かな精神性に迫ります。
台湾には数多くの廟がありますが、その多くが複数の神様を祀っています。
しかし、飛行将軍廟には杉浦少尉一柱のみが祀られており、極めて異例です。
「将軍」という称号の由来:祀られている「飛行将軍」とは、軍人としての階級ではなく、道教における神の称号(将軍位)です。
道教における神格化:道教では、死者が神となるためには修行や実績が必要とされます。長年にわたり多くの人が手を合わせ、ご利益を感じてきたことが、彼が神として認められた根幹となっています。
戦後すぐ、杉浦少尉の遺体は見つかりませんでしたが、1971年頃から「養殖池で白い帽子をかぶった亡霊を見た」「夢に出てきた」といった目撃談が広まりました。これが小さな祠を建てるきっかけとなります。
しかし、当時は戒厳令下の台湾。「日本人の神を祀るなどとんでもない」と、当局から強い反対や弾圧を受けました。信者たちは警察の検査のたびに神像を隠すなどして信仰を守り抜き、その困難を乗り越えたことで、かえって信仰心はより一層強固なものになりました。
その後、1993年には神のお告げ(神意)を受けて大規模な拡張工事が行われます。資金難の中で「五つの姓を尋ねよ」とのメッセージがあり、該当者が快く寄付をしてくれたり、宝くじの当選者が相次いでその収益を廟に寄付したりといった「奇跡的な逸話」が重なり、現在の姿へと発展していきました。
飛行将軍廟には、他の廟にはないユニークで心温まる慣習がたくさんあります。
タバコの奉納と「在・不在」のサイン 神様が日本の愛煙家の兵士であることから、「タバコを用意してほしい」というお告げがあり、1本捧げる習わしがあります。お供えしたタバコの煙が廟の内側(神様側)へ流れれば「在廟」、外側へ流れれば「外出中」のサインとなります。実際に東日本大地震の際は、約1週間も煙が外へ流れ続け、「神様が被災地を守りに行っていた」と語り継がれています。
他の戦死者への細やかな配慮 神様用の冥銭(紙銭)のほかに、「福禄書」という小さな冥銭も用意されています。これは、神になれなかった他の無数の戦死者たちをも思いやる、道教の優しい生死観に基づいたものです。
毎日響く「君が代」と「海行かば」 廟では毎日、「君が代」や「海行かば」が流されています。杉浦少尉を慕う台湾の人々が、「彼に聞かせてあげたい」という純粋な気持ちから自主的に続けています。
飛行将軍廟を支えているのは、単なる「親日感情」だけではありません。そこには台湾の人々が大切にしてきた深い価値観があります。
国境を越えた命への哀悼:戦争で命を落とした人に対し、国籍を問わず「かわいそうだった」と寄り添う普遍的な優しさ。
感謝を重んじる参拝作法:道教の基本は、お願い事ではなく「ご挨拶」と「感謝」。今ここに生きていることへの感謝が信仰の根本にあります。
陰陽思想と生死観:生と死は対立するものではなく繋がっているという考え方から、戦争の悲劇を抱えた死者をも大きな愛で包み込んでいます。
現在、飛行将軍廟は単なる宗教施設にとどまらず、地域や世界と繋がる温かなコミュニティの場となっています。
教育への展開:近隣の小学校では、飛行将軍の物語を題材にした教科書や演劇を通じ、子供たちに「人の優しさ」を伝えています。
文化交流の広がり:楽器練習の場やコンサートの主催など、まるで「コミュニティカレッジ」のような役割を果たしています。さらに、多言語での情報発信、スペインの学校との交流、日本式の神輿の導入など、台日文化の融合が進んでいます。
台南の「飛行将軍廟」は、村を救うために命を散らせた日本人パイロット・杉浦茂峰少尉への感謝と慰霊から生まれた、奇跡と愛の象徴です。
戒厳令という逆風を乗り越え、タバコの煙による独自のコミュニケーションや、戦死者への細やかな思いやりを大切にする姿からは、台湾の人々の温かな人柄と強い精神性が伝わってきます。
戦争の悲しみを乗り越え、国境を越えた「和解と共感の物語」を紡ぎ続ける飛行将軍廟。台南を訪れた際には、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。そこには、言葉や国籍の壁を越えた、心揺さぶる温かい空気が流れています。
「飛虎将軍廟」で祀られている杉浦茂峰少尉の物語は、海を越えた台湾の人々の胸を打つだけでなく、日本の自衛隊パイロットたちにも通じる精神として語り継がれています。
平成11(1999)年11月、航空自衛隊の練習機が埼玉県狭山市の入間川河川敷に墜落し、2人の自衛官が殉職する事故がありました。原因はエンジントラブルでした。
当時の状況証拠やフライトの記録から、操縦していた2人のパイロットは、民間への甚大な被害を防ぐため、最後の最後まで墜落コースを人命のない場所へと誘導しようと奮闘していたことが分かっています。墜落直前に脱出を試みたものの、すでに高度が足りず、パラシュートが十分に開かないまま帰らぬ人となりました。
自らの危険を顧みず、住民の安全を最優先にするそのプロフェッショナリズムと自己犠牲の精神――。
台湾の地で「飛虎将軍」として神となり、今なお現地の人々に深く愛され、守られ続けているその気概は、形を変えて、いまも日本の空を守る自衛隊パイロットたちの心に脈々と受け継がれています。
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ニヘイ フミタカ/68歳/男
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