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2023年5月8日に公開された動画ではゲストに自民党衆院議員の英利アルフィヤ氏をお招きし、ご自身の経歴について語っていただきました。
英利氏が目の当たりにした中国のリアルとは?
【このトピックのポイント】
・急成長する中国・広州で格差や不自由さを感じながら多感な時期を過ごす
・外交官を志望するも「あなたがやりたい外交は日銀でもできる」と言われ日銀へ
・国連では「全ての人が生きやすい・働きやすい環境」の重要性を実感
英利氏のプロフィールは以下の通りです。
今回はプロフィールの気になる部分を深掘りしてお話を伺いました。
福岡県北九州市で生まれた英利氏は10歳から中国へ。上海で1年過ごし、その後は高校卒業まで広州で育ったとのことです。
広州は香港に近い中国の南に位置する大都市で、海外企業も多く国際色のある街です。また、英利氏がいた頃は中国が大きく経済発展した時期と重なります。英利氏は「毎日新しいビルやレストランができていた」と当時を振り返りました。
しかし、街が大きく発展する一方で貧困とも常に隣り合わせだったと語る英利氏。市民の間にはっきりと格差が生まれた時期であり「その傾向は今も続いていると思う」と語りました。
また、高校生だった英利氏は共産主義国ならではの不自由さも感じていました。アメリカンスクールの中では天安門事件やウイグル・チベット問題などについて自由に話すことができましたが、学校の外ではそれはタブーだったとのことです。
MC乙武洋匡「中国にいて窮屈さとか不自由さを感じて育ったからこそ、自由民主主義に対する思いがすごく強く育ったんだなというのは感じましたね」
高校卒業後、英利氏はアメリカのジョージタウン大学へ進学。渡米の道を選んだのは当時の国語教師に勧められたのがきっかけでした。
その教師が口にしたのは「女性としての天井」について。女性である英利氏は、アメリカの方がより学びやすい環境があると言われたとのことです。
もともと日本の大学への進学を考えていた英利氏でしたが、この言葉でアメリカも進学先として検討。最終的にジョージタウン大学に合格し進学を決めました。
その後、大学院まで進学し2014年に英利氏は日銀へ入行します。きっかけはバイリンガルの学生を募集する日系企業が集まるボストンキャリアフォーラムに参加したことでした。
もともと外交官を志望していた英利氏でしたが、採用の過程で「あなたがやりたい外交の仕事は日銀でもできる」と言われたのが決め手だったとのこと。
日銀の業務の中にはIMFや世界銀行の事務局業務や、G7・G20の会合、金融規制の国際交渉など国際的なものが数多く存在しています。
もともと国際開発を研究していた英利氏は「面白そうだなと思った」と当時を振り返りました。
英利氏は2018年に外務省ジュニア・プロフェッショナル・オフィサーの制度を活用して国連へ。これは外務省が国内の若手人材を国連などの国際機関に2年間派遣する制度です。
英利氏は派遣期間終了後も正規職員として2022年まで国連に勤務しました。
MC乙武「キラキラ過ぎますね!これ嫌われる経歴ですよ」
日銀と国連での勤務を経験した英利氏。大学進学の際に教師から言われた「女性としての天井」の違いを感じることはあったのでしょうか?
MC乙武の質問に対し、英利氏は「女性だから苦労したという経験はあまりない」とコメント。一方で天井のような限界というよりも、日銀と国連で「働きやすさ」には違いがあったと続けました。
英利氏「国連では属性、パートナーシップの状況、家族の形に関わらず大切な人を大切にするための環境整備ができている気がしました」
この違いについて英利氏は日銀という組織ではなく、日本社会の構造に問題があると指摘。「全ての人が生きやすい、働きやすい環境づくりが大事だと国連で肌で感じました」とコメントしました。
MC乙武「それは今後の英利さんの政策にも生かされてきそうな視点ですよね」
英利氏「だといいなと思っています」
英利アルフィヤ衆院議員の華やかな経歴をとことん深掘り!
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