【宮崎県知事選挙2022】候補者が語る自信と覚悟とは? 審判を下すのはあなた | 現地レポート(畠山理仁)

2022/12/24

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畠山理仁

撮影:畠山理仁(編集部注:本記事の写真は全て畠山氏の撮影です)

宮崎県政史上初の「前職、現職、新人」の戦い

前職か、現職か、新人か──。12月8日にスタートした宮崎県知事選挙は、宮崎県政史上初めて「前職、現職、新人」が対決する構図になっている。

一部のメディアは「事実上の一騎打ち」という言葉を使っている。しかし、筆者はこの風潮には全力で抵抗したい。当たり前だが、当選できるのは立候補した人だけだ。立候補しない人は、どんなに素晴らしい人物であっても当選できない。定数以上に候補者が出ず、無投票になれば有権者は選択することもできない。メディアも有権者も選挙が行われる幸せを噛み締めながら、もっと候補者に敬意を払うべきではないだろうか。

2018年に行われた宮崎県知事選挙の候補者は、現職と新人の2人だけだった。この時の有権者は912,647人いたが、投票率はわずか33.90%。なんと、603,261人もの有権者が投票する権利を捨てていた。

しかし、今回は選択肢が3つに増えたことで、宮崎県民の注目度は高まっている。12月21日までに期日前投票(12月9日〜21日までの13日間の中間集計)を済ませた人は、前回の62,397人よりも多い147,187人。実に2.358倍に増えている。大切な権利を行使する人が多いのは、民主主義社会にとって極めて大事なことだ。

前置きが少し長くなったが、本題に入る。今回の宮崎県知事選挙に立候補したのは次の3人だ(届出順・文中敬称略)。

東国原英夫 65歳・前宮崎県知事
河野しゅんじ 58歳・現宮崎県知事
スーパークレイジー君 36歳・元埼玉県戸田市議

「前職」は2007年1月から2011年1月まで1期知事を務めた東国原英夫。元タレントの東国原は2012年12月から2013年12月まで衆議院議員(日本維新の会・比例近畿ブロック単独で当選。のちに離党して議員辞職)も務めた。現在の肩書は政治評論家である。

「現職」は東国原県知事時代に副知事を務めた河野俊嗣。河野は東国原の後任となる2011年知事選挙で初当選。これまで3度の知事選では圧勝を続け、3期12年を務めてきた。

「新人」は元歌手でもあり、元埼玉県戸田市議会議員のスーパークレイジー君。スーパークレイジー君は2021年1月の戸田市議選で初当選したが、2022年3月、市議選の立候補に必要な「3ヶ月以上の市内での居住実態がなかった」として最高裁で「当選無効」が確定した。スーパークレイジー君は東京都知事選挙や戸田市長選挙にも挑戦して落選したが、もともとの出身は宮崎県宮崎市である。

次ページ:「過去の自分の決断」との戦い(東国原英夫)

2007年のそのまんま東

筆者は知事選挙告示前の11月中旬、告示日当日を含む12月上旬、そして、選挙戦最終盤の今、現地の空気を吸うために宮崎入りして各陣営の動きを追っている。

公正を期するため、立候補届出順に候補者を紹介する。

東国原英夫が宮崎県知事選挙への出馬意思を表明したのは今年8月17日。東国原は同日、自民党宮崎県連に推薦願を提出したが、自民党県連は8月20日に現職の河野俊嗣を推薦すると決定。東国原は政党からの推薦は受けずに今回の知事選挙を戦っている。

出馬表明後は「1日平均3〜4カ所、県内各地で辻立ちや戸別訪問を続けてきた」と東国原はいう。11月中旬に後援会事務所を訪ねると、東国原の長男・加藤守も宮崎入りして父親の挑戦を手伝っていた。

筆者は東国原が初めて宮崎県知事選挙に立候補した2007年にも現地で取材している。この選挙の時の第一声の会場は、宮崎市の山形屋前。タレントから政治家への転身を図った東国原は、芸名の「そのまんま東」を通称使用して知事選を戦った。

無所属で政党の支援もない。芸人仲間の応援も受けない。高校時代の同級生が中心になって支えた選挙戦は、多くのメディアから「泡沫候補」(※私は敬愛する大川興業・大川豊総裁にならって「インディーズ候補」と呼んでいる)としての扱いを受けた。

「あのとき、第一声を取材にきた記者は4人しかいなかった」

東国原にそう言われ、あらためて当時の知事選の写真を見返すと、オレンジ色のダウンジャケットを着たそのまんま東の周りにいる聴衆はたしかにまばらだった。

その空気を変えたのは、そのまんま東の演説だ。最初は「ふざけて出ているんだろう」と冷淡に見ていた県民も、マニフェストを打ち出して真面目に政策を訴える姿に心を動かされた。派手さはなかった。しかし、宮崎弁で地道に話す姿には熱があった。県民は次第に見方を変え、終盤に近づくに連れて聴衆はどんどん増えていった。

官製談合による現職知事の逮捕から始まった選挙戦で、そのまんま東はしがらみのなさと宮崎の再生・自立を訴えた。その結果、266,807票を獲得して初当選を果たした。5人の候補者によって争われた知事選挙の投票率は64.85%。今回の知事選挙で東国原が「投票率65%」を目指しているのも、当時のことが頭にあるからにちがいない。

「過去の自分の決断」との戦い

「宮崎をどげんかせんといかん!」

2007年の知事選で当選すると、東国原は「宮崎のトップセールスマン」としてメディアに積極的に出演し、宮崎をPRした。宮崎県庁は観光名所となり、来県する観光客も増えた。マンゴーや日向夏、宮崎牛、地頭鶏など、東国原をきっかけに宮崎名物として認知されたものも少なくない。東国原知事在職中の2007年7月に地元紙・宮崎日日新聞社が行った世論調査では、驚異の支持率95.2%を記録した。

「やっぱり、あのときの盛り上がりはすごかった。もう一度宮崎を盛り上げてほしい」

今回、宮崎県内を歩くとそんな声が聞かれた。その一方で、次のような声も聞かれた。

「東国原は宮崎県知事を一期で辞めて都知事選に出た。東国原は宮崎を捨てた」

こうした声があることは東国原自身も強く認識している。告示日の第一声では、1期で辞めた理由を説明した上で、県民に対してお詫びをした。そして記者団にもこう語った。

「県内を回っていて、やっぱりそういう厳しい声をいただいております。私は争点を『現状維持か隆盛か。現状維持か変革か。現状維持か活性化か』と打ち出してきましたが、なにか県内を回っていると、『宮崎県知事を1期でやめた東国原を許すのか許さないのか』という争点になりつつあるような肌感覚があるんですね。(私の)1期4年間の県政について、文句は一切出ていません。よくやってくれた。でも、なんで1期で辞めたの。なんで宮崎を捨てたの。ここがどうも皆さんの心の中にしこりとして残っている」

実は東国原が選挙に向けて十分な準備期間を取るのは今回が初めてだ。8月17日の出馬表明から12月25日の投票日までは約4ヶ月あまり。それでもいまだに触れなければならないほど、「過去の決断」が重くのしかかっている。

私が「準備期間は十分でしたか」と聞くと、東国原は即答した。

「十分じゃありません。4ヶ月というのは非常に短かったなとは思います」

これは東国原の選挙カー側面に「今度はやめん」と大書されていることからも明らかだ。そして選挙事務所には「東国原 過去の経緯について」と題された文書も置かれている。そこには「宮崎県知事を一期で退任した理由・背景」が次のように説明されていた。

・2010年に発生した口蹄疫で、約29万頭をさっ処分したことの責任を取るため。

・また、スーパー種雄牛6頭を、さっ処分対象地域から逃したことを受け、全国の畜産関係団体から「二期目に立候補した場合は訴訟する」と通達を受けていた。訴訟された場合、復興が遅れ、宮崎の印象が悪くなると考えられたため、二期目に出ないという決断を下した。

・口蹄疫の対応で現場に張り付いていたため、県民の皆様からいただいた「まだ続けてほしい」というお声が届かなかった。今振り返ると、政治家としての判断ミスであり、本当に申し訳ないと考えている。

今回、東国原は「東国原八策」という14ページにわたる政策集も用意した。しかし、政策を読んでもらう前に「なぜ1期で辞めたのか」を何度も説明しなければならない。この呪縛は重荷だろう。また、県民がこの説明を受け入れるかどうかという問題もある。

それでも第一声を終えた後、記者から「選挙に勝てる自信は?」と聞かれると、東国原はキッパリ言い切った。

「100%勝つ自信を持っています。そうでなかったら、県民の皆さんに失礼です。私は奇跡を狙っています。奇跡です。2007年は奇跡だった。ミラクルでした。ミラクルを起こせるぐらいの天運がなければ、僕は宮崎の活性化、V字回復もままならないと思っています」

今回の選挙戦終盤の12月23日(金)夕方、東国原は宮崎市内の山形屋前で街頭演説を行った。ここには100人を超える聴衆が集まっていた。

「このまま黙って見てられないんですよ! コロナの対策、県はどうでしたか? なんか他府県より厳しくしたらしいですね。ニシタチ(繁華街)が2割廃業らしいですよ。どういうことですか。地方創生臨時交付金ってあるんですよ。全国に17兆円出たんです。その中の宮崎は800億円しかもらってないんです。『800億ももらったよねー』と県は言いましたけども、いいですか。スケール感でいうと、宮崎は全国の100分の1なんです。全国が人口1億人だったら宮崎は100万人。だいたいスケール感は100分の1。じゃあ17兆円全国であるんだったら、1700億円を宮崎に持ってこなきゃいけないんじゃないですか。1700億円あったらコロナの協力金、2倍払えるんですよ。それがパイプっていうものじゃないんですか」

宮崎のイントネーションで立て板に水のようにまくしたてる演説に聴衆から拍手が巻き起こる。身振り手振りも大きい。しかし、表に見える人の数で測れないのが選挙の面白さであり、怖さでもある。投票箱が開くまで、結果は誰にもわからない。

次ページ:「日本の民主主義を守るために」(河野俊嗣)

「地味で何が悪いんだ!」

2010年9月、東国原英夫知事は県議会で再選不出馬を表明した。それを受けて10月に出馬表明をしたのが当時副知事を務めていた河野俊嗣だ。

2011年の知事選挙で、河野は「発展的継承」を掲げて初当選した。再選不出馬を表明した東国原は「僕がやるのと同じ」と事実上、河野を後継指名するような発言をしていた。県民が河野を東国原の後継者と見ていたことも間違いない。それ以来、3期12年。河野は宮崎県知事として着実な県政運営を続けてきた。

宮崎県民に話を聞くと「河野さんは真面目な人」「誠実な人」「安定した県政をやってきてくれた」「河野さんを嫌っている人はいない」との声が聞こえる。その一方で、「目立たない」「地味ではないか」との声も聞こえてきた。前職の発信力が絶大だっただけに、物足りなさを感じている県民もいるようだ。

はたして、そのことを河野はどう思っているのか。直接、河野本人に当ててみた。
「河野さんに対して『安定した県政をやってこられた』という県民の評価があります。その一方で、県民の中には『面白みがない』『派手さがない』『地味じゃないか』という声もあります。そういった方には何と説明されますか」

河野は少し笑みを見せながら私の質問を聞き、しっかりと答えた。

「安定というところへの評価をいただいたことは大変ありがたいと考えています。安定というのは、決して停滞ではないと私は考えています。安定をする中で、しっかりと宮崎の成長をもたらしてきたという思いがございます。まあ、面白みがないとかですね、ハッタリがきかないとか、いろいろ言われますが、『地味で何が悪いんだ!(笑)』と私は思っています。しっかり自分として、知事としての役割を果たしてきた。その実績をこれからも訴えていきたいと考えています」

まさに「安定」と呼ぶにふさわしい答えだ。しかし、今は選挙中である。別の記者から「前知事がこういう形で戻ってきたことに関してはどう思われますか」という質問が飛ぶと、河野は闘志を見せることも忘れなかった。

「いまさら、という、その言葉に尽きようかと思います。これまでもいろいろなところで申し上げておりますが、12年前の口蹄疫。大変な状況の中で、再生復興、そこで発信力も含めてぜひ力を発揮していただきたかった。当時副知事だった私も切実にそこを感じたところであります。ただ、当時、(東国原知事は)別の考えで、1期で退任をされた。そして12年間空白があった中で、なぜ今さら戻ってこようとされるのか。そこはいまだに私も疑問に思っております」

ゾクゾクした。これだから選挙の現場取材はやめられない。さらに記者からの質問が続くと、河野はより強い言葉を発した。

「過去に宮崎の発信をした、アピールをした、盛り上がった。その夢を追い求めるだけではなしに、大事なことは未来に向かって進んでいくことだ。そして、その未来というのは、この3期12年、着実に成果を上げてきた私が先頭に立って切り開いていく未来であるべきではないか」

「日本の民主主義を守るために」

今回の知事選挙では、河野俊嗣も東国原英夫も告示日に同じ場所を訪れている。宮崎県の中部、児湯郡川南町にある「畜魂慰霊碑」だ。ここは2010年に家畜の伝染病「口蹄疫」が宮崎県で発生した際、最大の激震地となった場所である。

県内全体で約29万頭もの家畜が殺処分されたが、川南町では約6割を占める17万頭が全頭殺処分された。口蹄疫により、川南町には一時、家畜が一頭もいなくなった。

河野も東国原も「私の原点」と語り、告示日に慰霊碑の前で手を合わせた。先にこの場所を訪れた東国原が「勝つ可能性は100%」と言い切っていたことを伝えると、河野は淡々と答えた。

「ああ、そうですか」

重ねて聞いた。ご自身が勝つ可能性は何%だと思いますか。

「まあ、数字はわかりません。いずれにせよ、強い危機感を持って進んでいく。それだけですね、私は。はい」

今回の知事選で、河野は公明党の推薦、社民党の支持を受けている。また、自民、立憲民主両党の県組織や連合の推薦も受けている。組織力でリードしているのは明らかだ。河野の言葉の端々からは「3期12年の実績」に対する自信も感じられる。

しかし、それでも河野の口からは「強い危機感」という言葉が出た。河野は選挙の怖さをよく知っていると感じた。非常に慎重な物言いで失言をしない安定感がある。

河野は各地の演説でも決して手を抜かず、力強く訴えている。

「ぜひ私に次の4年間も託していただきたい! このコロナ、原油高、物価高。100年に一度の難局と言われております。大変厳しい課題がございます。でも、その難局をなんとか克服し、私はこれまで3期12年間、実績、そして経験、さらには国との人脈を築いてまいりました。直接、モノを言える関係を築いてまいりました。それを生かしながら、しっかりと皆様の生活を、暮らしを回復させる。宮崎の再生を図ってまいります。さまざまな困難な課題にも逃げることなく、真正面から向かい合って皆様と力を合わせて一歩一歩前に進んできた。この宮崎に腰を据えて、宮崎の大地を踏みしめながら県政を前に進めてきた。私以外、誰ができるでしょうか。私以外いない! そのような思いで訴えております!」

河野が選んだ「逃げることなく」「宮崎に腰を据えて」という言葉からは、前職への静かな皮肉が感じられる。そして、河野はこんな言葉も続けている。

「今、全国がこの選挙に注目をしています。理由はおわかりだと思います。私は、この宮崎を守るため、そして日本の民主主義を守るために戦わなければならない! そのような決意を新たにしています! ぜひ、皆さんの力をいただきながら、宮崎の底力、宮崎の民主主義はこんなに底堅いものがあるんだということを、全国の皆さんに発信をしていきたいと考えております!」

静かだけれど熱い。やはり選挙の現場は最高に面白い。

河野は口蹄疫から復興した宮崎のシンボルとして、たびたび「全国和牛能力共進会(全共・別名「和牛のオリンピック)」で宮崎牛が最高賞の内閣総理大臣賞を4回連続受賞したことを紹介している。それにちなんで演説会場を去るときには、こんな言葉も飛び出した。

「全共も4連覇を達成しました。私も4連覇を目指してまいります!」

河野が座る街宣車の助手席の窓枠には、長時間肘を乗せても大丈夫なようにクッションが取り付けられていた。与野党相乗りの現職でも手を抜かない。それが選挙である。

次ページ:「60万票を総取りするつもり」(スーパークレイジー君)

若い世代の選択肢がない

今回の知事選挙への出馬表明が最後になったのがスーパークレイジー君だ。今年3月に最高裁で戸田市議会議員選挙での「当選無効」が確定すると、単身で生まれ故郷の宮崎に戻り政治活動を始めた。今年4月からは日本大学通信教育部法学部政治学科に在学中だ。

もともと来春の統一地方選挙を目指していたが、県知事選挙への出馬を本格的に考えたのは10月中旬。県知事選挙への出馬を予定している人たちの顔ぶれを見て「若い世代の選択肢がまったくない。自分はチャレンジャーでありたい」と感じたという。周りからも出ないのか、という声があり、知事選への立候補を決意した。11月には東京都で暮らしていた妻と子も東京の家を引き払い、宮崎に引っ越してきた。

筆者は11月16日に宮崎市内のホテルで開かれたスーパークレイジー君の出馬表明記者会見にも出席している。この時、スーパークレイジー君が掲げたパネルにはこう書かれていた。

「新時代 宮崎の未来は若者が決める! 60万人よ! 目を覚ませ!」

宮崎の人口は約100万人。有権者は約90万人である。60万人とは誰なのか。

「いま、宮崎県では60万人が選挙に行っていません。諦めている人が60万人います。投票に行くのは決まった人だけ。政党や組織の人たちは、今の知事、前の知事に入れると思っていますので、僕は若い世代一本でやっていきたい。本当に眠った60万人の人たちに少しでも政治に興味を持ってもらい、投票してもらう。そこが鍵だと思っています。だから政策は子育て政策3つに絞りました」

1. 子ども医療費無償化(18歳までの子どもの医療費を実質無償化)
2. 子ども習い事支援事業(塾や習い事に通うための「学校外教育バウチャー(月額1万円)」を導入)
3. 給食費無償化

これがスーパークレイジー君の主要政策だ。兵庫県明石市のような子育て政策を目指したいのだという。

「今の政治活動としては、SNSを活用するよりも、現場に行って一人ひとりの声を聞くことを大事にしています。とくにコロナ禍で苦しんでいる個人事業主の方々ですね。これまで眠ってきた方たちと一緒に、今の政治がどういう状況なのかを聞いていく。これまでの選挙では、そういうことを話している中で僕に初めて投票したという人がすごく多いんです。東京都知事選挙、戸田市議会議員選挙でも、僕に入れてくれた人の多くは、初めて選挙に行った人たちでした。でも、一度投票に行くと、その後は『クレイジー君はどういうことをしてくれるのか』『市議会とは何なんだ』と興味を持ってくれた。実際に市議会の見学者が増えた事実もあります」

たしかに戸田市議会議員選挙では、これまでに見たことのない光景が繰り広げられていた。選挙権のない小中学生たちが白い特攻服姿のスーパークレイジー君を追いかけていた。スーパークレイジー君は子どもにもわかりやすい言葉で政治を語った。やんちゃな子どもたちは家に帰ると、今度は街頭演説の現場に保護者を連れてきてスーパークレイジー君を紹介した。こんな選挙を見たのは初めてだった。

「いろいろやんちゃをしてきた自分のことを一番身近に感じてもらえる人もいると思う。そういう点で、知事選挙に僕もいてもいいのかなと思う」

スーパークレイジー君は選挙権を持たない子どもたちにも積極的に語りかけていく。その理由を聞くと、こんな答えが返ってきた。

「10年後、20年後、30年後の社会を担うのは子どもです。今の小学生でも宮崎のことをちょっとでも意識していけるような県民に育ってもらいたい。小学校中学校高校生は選挙権がないけれども、年齢に関係なく、誰にとっても身近に感じられる活動をしていきたい」

初めて立候補した東京都知事選挙では「売名だけ」と宣言し、歌や踊りなどの派手なパフォーマンスをしていた。しかし、「今回の選挙ではパフォーマンスはしない」と出馬表明記者会見できっぱり言い切った。

ところが、である。告示後の選挙運動を見に行くと、スーパークレイジー君はトレードマークでもある白い特攻服を着ていた。午前中はスーツを着ていたはずなのに、途中で着替えたのはなぜなのか。これはパフォーマンスではないのか。

「スーツだと、『なんでわざと真面目ぶるの』という声があるんです。でも、特攻服だと得する時もある。まずはみんなに『スーパークレイジー君だ』と認識してもらえます。それに、こっちから『こんにちは』と言うだけで『挨拶できるじゃん!』と驚かれるんです」

「60万票を総取りするつもり」

スーパークレイジー君の選挙を手伝っているのは、18歳〜20代の若者が中心だ。

「みんなこれまで選挙なんかやったことない子たちばかり。全部で50人ぐらいが手伝ってくれています」

県知事選挙の公営ポスター掲示場は約4千カ所あるが、ポスター貼りはおおむねメドがついたという。しかし、「初めての選挙ボランティア」ならではのトラブルもあった。

「告示日の前から『ポスター、1番に貼りますんで!』って張り切ってくれた子もいたんです。『いや、まだ番号決まってないからダメよ』って言いましたけど、立候補届出順を決める抽選があるなんて誰も教えてくれないじゃないですか。前に東京都知事選挙に出たときのポスターには『百合子か俺か』って書たんですけど、ポスター貼りを手伝ってくれた子から『百合子さんの上に張っておきました!』って報告がきたりしていました。もちろん『ごめんなさい』って言ってはがしました。そういう子たちって、意外に気持ちが真っ直ぐで寂しがり屋な人も多い。だから僕も夜回りとかをやっていきたいですね」

スーパークレイジー君はこれまでに東京都知事選挙、戸田市議会議員選挙、戸田市長選挙と、いろんな土地の選挙に立候補してきた。本当に今後も宮崎にとどまるのだろうか。

「地元に帰ってきた以上、もうこの街で変なことはできません。家族も引っ越して子どもも転校してきましたから、この街でずっと負けっぱなしというわけにはいきません。身の引き締まる思いです。今までの選挙とは違った新しい風を起こしたい。そして、新しい未来は若者が決めていく。もっと若者が動けば、何でもできると思っています」

最後に他の2候補と同じように、スーパークレイジー君にも聞いてみた。勝てる可能性は何%だと思っていますか?

「気持ちは100。勝てる可能性は100%。若者が全員動けば勝てるとは思っています」

それは投票に行っていない60万人の票を総取りするつもりということか。

「もちろん、60万票を総取りするつもりでやりますよ!」

全国が注目する宮崎県知事選挙の投票日は、12月25日のクリスマスだ。候補者に対する審判は、一人ひとりの有権者がすればいい。そのために私たちは「自由な一票」を持っている。ぜひご自身の権利を行使してほしい。


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畠山理仁

フリーランスライター。第15回開高健ノンフィクション賞受賞作『黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い』(集英社)著者。他に『記者会見ゲリラ戦記』(扶桑社新書)、『領土問題、私はこう考える!』(集英社)など。興味テーマは選挙と政治家。

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