膵臓がんのため治療を続けていた沖縄県知事・ 翁長雄志氏が、8月8日午後6時43分に沖縄県の浦添総合病院で死去しました。享年67でした。 翁長氏は米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対を貫き、政府与党とも対立関係にありました。葬儀の日程などは未定となっています。
なお、翁長氏の死去にともない、11月18日投開票予定であった沖縄県知事選は前倒しされます。公職選挙法の定めにより、9月に実施される見通しです。
翁長雄志氏は1950年10月2日、沖縄県那覇市生まれ。享年67でした。法政大学法学部を卒業。1985年の那覇市議選に立候補し初当選。89年の同選挙では自民党公認候補として、2期目の当選を果たします。その後、1992年の沖縄県議選に立候補し初当選し、県議として2期を務めました。
自民党県連幹事長を務めた後、2000年の那覇市長選に立候補し、73,578票を得て初当選を果たします。以後、2014年まで那覇市長を4期14年務め、2014年の沖縄県知事選に任期途中で立候補し、辺野古移設反対を訴え現職知事に約10万票もの大差をつけ、360,820票を得て初当選を果たしました。
翁長氏は1999年当時、沖縄県議・自民党県連幹事長であった翁長氏は、辺野古移設については推進派でした。その後、自民党と距離を置きはじめ、2010年の仲井真知事(当時)の2期目の沖縄県知事選では選対本部長に就任。普天間飛行場の県外移設を公約とさせました。
翁長氏はがん治療を受けながら、6月23日の沖縄全戦没者追悼式に出席。辺野古移設をめぐり、7月27日の沖縄県庁での記者会見において、前知事が進めてきた辺野古埋め立て承認を撤回する手続きに入ると表明するなど、「オール沖縄」の象徴的存在でした。
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