「腹を切って死ぬべきである」
「地獄の火の中に投げ込むものである」
などといった過激な文言をポスターに掲げ、自らを「唯一神」と名乗り強烈な印象を与え続けて数多くの選挙に立候補し、今年6月30日に政治活動からの引退を表明していた世界経済共同体党代表 又吉イエス(本名:又吉光雄)氏が7月20日、左腎がんのため亡くなっていたことが明らかとなりました。
地元沖縄県では市長選、知事選など6つの選挙を戦い、2003年に活動拠点を沖縄県から東京都に移してからは全ての国政選挙の度に立候補して、20年以上にわたり「インディーズ候補」の代表選手として活動してきた又吉氏の軌跡をたどってみましょう。
1944年2月5日、第二次世界大戦中の沖縄県宜野湾市に生まれた又吉氏は、中央大学商学部卒業後、転職を繰り返して帰沖後、日産サニー沖縄、那覇市内の学習塾経営などを経て、教会の牧師を勤めていた時期に、地元宜野湾の西海岸埋め立て工事反対運動に関わります。
しかし、抗議も虚しく埋め立ては実現してしまいました。その挫折経験がきっかけとなり、又吉氏は自身を唯一神であるとする「再臨宣言」を行い、政治活動をスタートします。また、又吉氏は宜野湾市内の軍用地に地権を持ついわゆる「軍用地主」でもあるため、年間400万円程度の補償金所得があり、それを政治活動にあてていたことが知られています。
又吉氏が代表を務める政治団体「世界経済共同体党」。その名前が示している「世界経済共同体」の創設が、又吉氏が一貫して主張しているビジョンです。
又吉氏は世界経済共同体の公平・平等の原則となる4つの基本骨子として以下の通り述べています。
1.農林漁業中心の共同の所有・生産・消費制経済である。
2.必要生産労働時間等価価値の原則で、世界中の生産品を交換・供給して世界中の国・個人の同一経済水準を確保する。国単位の労働生産能力が違う場合には、適切な交換比率を設定することとし、また労働生産能力を同等にする国際協力を当然とすること。
3.可能な限りの職種・職場交代制にする。
4.経済上限の設定をする。
こうした政策を実現するために国会議員に当選したのちは、総理大臣として指名を受けた、自民党から共産党までの全ての国会議員による挙国一致内閣を成立させ、その後に国連事務総長になることを目指していました。
金を作るためにやりたい放題を許してしまっている利益至上主義経済が行き着くところまで来ている現代社会で、民主主義はそれを止めることができていないという観点からの主張でした。最後の選挙となった2017年の衆院選ではこの思想を「唯一神又吉イエス主義」と名付けています。なお、又吉イエス氏は総理大臣・国連事務総長となり「世界経済共同体」を実現するというビジョンを掲げていたため、又吉氏は東京進出以降、衆院選と参院選には立候補していますが、都知事選などには出ていません。
一見したところ共産主義の主張に近いように見えますが、共産主義は暴力革命を正当化しており、2000年前の先代イエス・キリストが作った共同体の模倣であるとして、「真似もの・偽もの・嘘もの・逆もの」と強く批判しています。
また、普天間基地の辺野古移設に関しては反対で、平等の原則から日本国内に移設するよう主張しており、日米安保容認と憲法9条堅持の立場をとっています。一方で同性愛や臓器移植、人工妊娠中絶などを認めないなど、キリスト教原理主義に近い保守的な主張も多く見られるのも特徴です。
基本的にどの選挙でもいわゆる「泡沫候補」扱いをされて、メディアでは黙殺されて来た又吉氏ですが、一度だけその取り扱いに新聞を含むメディアが困惑したことがあります。それが2001年の宜野湾市長選挙です。
この選挙には革新系の現職・比嘉盛光氏に対して、保守系は候補者を立てられませんでした。通常であれば比嘉氏の無投票当選となるところですが、この選挙に又吉氏が立候補したため、選挙が成立してしまいました。どう見ても勝負にならない選挙ですが、メディアとしては選挙になってしまった以上、又吉氏の主張も取り上げざるを得ない状況となりました。とはいえ、両者を平等に扱う訳ではなく、現職である比嘉氏の実績・主張を大きく書き、それよりも若干小さく又吉氏の経歴や政策などを記載していました。とはいえ、普段の選挙ではほとんど取り上げられない又吉氏の政策がメディアに連日取り上げられた甲斐あってか、この時は得票率9%という自己最多を記録しています。
又吉氏は1997年から昨年の2017年まで、合計で17回選挙に立候補しています。
1997年7月13日 宜野湾市長選挙 516票(3名中3位。惜敗率は2.77%)
1998年7月14日 第18回参議院選挙・沖縄県選挙区 4,007票(5名中5位。惜敗率は1.65%)
1998年11月15日 沖縄県知事選挙 2,649票(3名中3位。惜敗率は0.71%)
2001年7月15日 宜野湾市長選挙 2,111票(2名中2位。惜敗率は9.41%)
2002年2月3日 名護市長選挙 80票(3名中3位。惜敗率は0.39%)
2002年11月17日 沖縄県知事選挙 4,330票(4名中4位。惜敗率は1.20%)
2003年11月9日 第43回衆議院選挙・東京1区 698票 (5名中5位。惜敗率は0.66%)
2004年7月11日 第20回参議院選挙・東京都選挙区 8,382票(11名中11位。惜敗率1.01%)
2005年9月11日 第44回衆議院選挙・東京1区 1,557票 (4名中4位。惜敗率は1.04%)
2007年7月29日 第21回参議院選挙・東京都選挙区 5,289票(20名中19位。惜敗率は0.49%)
2009年8月30日 第45回衆議院選挙・東京1区 718票(9名中8位。惜敗率は0.51%)
2010年7月11日 第22回参議院選挙・東京都選挙区 4,900票(24名中20位。惜敗率は0.74%)
2012年12月16日 第46回衆議院選挙・東京1区 1,011票(9名中8位。惜敗率は1.23%)
2013年7月21日 第23回参議院選挙・東京都選挙区 5,633票(20名中19位。惜敗率は0.53%)
2014年12月14日 第47回衆議院選挙・東京1区 1,416票(6名中6位。惜敗率は1.32%)
2016年7月10日 第24回参議院選挙・東京都選挙区 6,114票 (31名中22位。惜敗率は0.54%)
2017年10月22日 第48回衆議院選挙・東京1区 1,307票 (6名中6位。惜敗率は1.36%)
自身は唯一神である、という荒唐無稽な主張をしていた又吉氏ですが、政策については真面目に構築していました。また、街頭での力強い迫力のある演説と、個別に話すときの腰が低く丁寧な接し方のギャップは、彼に会った多くの人が感じたのではないでしょうか。
また、彼のような存在が選挙に立候補することによって、選挙が誰にでも開かれたものであることをわかりやすく見せてくれたことは大きな功績の一つと言えるのではないでしょうか。
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