今年9月20日に行われる自民党総裁選。前回2015年総裁選は、安倍晋三氏しか立候補者がなく無投票で当選が決まったため、6年ぶりの選挙戦となる見込みです。
では、選挙戦となった前々回はどのような選挙戦だったのでしょうか?そこには、総裁の決め方を定めた「総裁公選規定」の変更に影響を与えた「逆転劇」がありました。
前々回の総裁選は、2012年の谷垣禎一氏の任期満了に伴い、2012年9月14日公示、同26日投開票されました。
なお、谷垣氏は第24代自由民主党総裁ですが、歴代総裁の中でただ1人、総裁在職中に与党入りしたことがなく、河野洋平氏(社会党・村山富市氏が総理となった内閣の副総理・外務大臣)とともに、総理大臣に就けなかった2人の自民党総裁のうちの1人です。
立候補者を巡っては、各派閥内で様々な駆け引きがありましたが、最終的に立候補したのは以下の5名でした。
(役職、派閥については当時のもの)
◆安倍晋三氏 元内閣総理大臣(党総裁)、衆議院議員。町村派。
◆石破茂氏 前党政務調査会長、衆議院議員。無派閥。
◆町村信孝氏 元内閣官房長官、衆議院議員。町村派。
◆石原伸晃氏 党幹事長、衆議院議員。山崎派。
◆林芳正氏 党政務調査会長代理、参議院議員。古賀派。
注目点は同じ町村派から安倍氏と町村信孝氏が立候補していた点です。
そして投票の権利がある選挙人の内訳は、以下の通りでした。
◆衆議院議員 116票
◆参議院議員 82票
◆都道府県の党員 300票(基礎票3票×47都道府県。残りの159票を各都道府県の選挙人人数に応じて配分)
合計 498票
2012年9月26日の投票では、地方票(党員票)で圧倒的な支持を集めた石破氏が199票(議員票34、党員票165票)を集め、第1位に。
次点となった安倍氏の141票(議員票54票、地方票87票)に40%以上も差をつけましたが、石破氏は有効投票数の過半数(250票以上)に達しませんでした。
このため、石破氏と安倍氏の上位2名で、決選投票が行われました。当時の規定により、決選投票に投票できたのは、党所属国会議員の198名のみ(当時の規定では、地方の党員は決選投票に参加できませんでした)。
決選投票では、安倍氏108票に対して、石破氏は89票。逆転で、安倍氏が第25代自民党総裁に選出されました。
自民党総裁の決選投票で1位・2位の逆転が起きたのは、1956年12月の総裁選以来、56年ぶりのことでした。このとき戦ったのは、石橋湛山氏と岸信介氏で、石橋氏が岸氏を逆転。逆転されて負けた岸氏は、安倍氏の祖父にあたります。見方によっては、自民党総裁決選投票で敗れた祖父・岸氏の屈辱を、56年後に孫の安倍氏が晴らしたともいえますね。
今でこそ、党内から盤石な支持を集めている安倍氏ですが、6年前は石破氏に辛勝するような状況でした。というのも当時、世間の安倍氏のイメージは「総理の椅子を途中で放り出した(2006年に第21代総裁に選ばれたものの体調や参院選の敗北、政策の失敗などによりわずか1年で辞職)」などとの批判もあり、けっして好意的なものばかりではありませんでした。
さらに、所属する派閥の町村氏が総裁選への出馬に意欲を見せていたことから、町村氏本人や森喜朗氏などから、立候補を自重するように要請されていました。それを押し切るかたちで総裁選に立候補したため派閥分裂選挙となってしまいましたが、麻生派や高村派など派閥の枠組みを越えた支持により、第25代自民党総裁となったのです。
実は、2015年に総裁公選規程が改正されて党員票(地方票)の重みが増し、決選投票にも地方の意志が反映できるようになったのは、この「逆転劇」の影響があったとされています。地方の党員が参加している1回目の選挙では、石破氏が優位であったのに、地方の票が影響しない決選投票ではその結果が逆転して安倍氏の勝利となってしまうと、100万人超と言われる地方の党員からは疑問の声が上がるとの懸念も理解できます。
今年の9月は、新しい総裁公選規定で行われる初めての総裁選。どのような結果が待っているのでしょうか?
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