(大仁田厚氏HPより)
元プロレスラーで参議院議員を務めた大仁田厚氏が、今年4月の佐賀県神埼市長選に立候補を検討しています。佐賀県は大仁田氏の母親の出身地。なお同市長選には、現職の松本茂幸氏が4選をめざし立候補を表明しています。
大仁田厚氏は1957年10月25日、長崎県長崎市の生まれで現在60歳です。瓊浦高等学校に入学するも中退していますが、その後1999年に駿台学園高等学校定時制課程普通科の3年に編入学し、2000年に卒業します。2001年には明治大学政治経済学部の夜間部に進学し、参議院議員、プロレスラー、タレント活動をしながら4年で卒業しました。
瓊浦高等学校中退後の1973年には、ジャイアント馬場に憧れ全日本プロレスに入門。1981年に海外武者修行に出発し、欧米などを転戦しました。全日本プロレス時代の得意技は、「ジャーマン・スープレックス」「ダイビング・ヘッドバット」など。後に芸能界に進出し、俳優としてNHKの大河ドラマ「秀吉」にも出演した経歴を持ちます。
2001年の第19回参議院議員選挙では、自民党公認候補として比例区から立候補し初当選を果たします。参院選立候補の際には参議院議員を務めたアントニオ猪木氏に対し「当選したら猪木と闘う」と選挙公約を掲げ話題になりました。(アントニオ猪木氏の参議院議員としての在任期間は1989年-1995年と2013年から現在までの2回)
また、2003年の参議院外交防衛委員会において、イラク特措法の採決の際に女性議員に髪をつかまれたエピソードがあります。
2005年には、参議院本会議での郵政民営化関連法案採決を棄権。2006年には参議院自民党副幹事長に就任するも、2007年の第21回参議院議員選挙で比例区での公認内定にもかかわらず立候補をせず、政界からの引退を表明しました。後に自民党を除名されています。
2010年の長崎県知事選挙では、無所属で立候補し得票数98,200票を得るも7人の候補者のうち3位となり、落選しました。
2015年には、千葉県袖ケ浦市長選への立候補を検討したことでも話題となりました。プロレス興行の営業や宣伝活動で袖ケ浦市を訪れた際に「隣の木更津市は繁栄しているのに、何で袖ケ浦市は簡素なのか」と疑問を持ち、立候補を検討。しかし、「農産物のブランド化」「給料の半減、退職金の放棄」などアイディアを温めていたものの、山積している問題への勉強不足を理由に、立候補を見送りました。その際、「いつかは市長になりたい」との意向も表明していました。
大仁田氏は、自身のホームページによれば、自身の考えとして「教育、産業、日本の未来のために」を掲げ、また、
子どもたちに、そして日本の未来に、自分ができること。
大仁田厚が「イジメ撲滅」「地方創生」を掲げ活動するルーツは、議員時代よりブレることなく持ち続ける熱い思いです。
と記しています。
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