さとう しゅういち ブログ
陸自青年将校による中国大使館侵入事件 統治の弛緩が生む“無数の暴走”という国家的危機
2026/3/28
陸自青年将校による中国大使館侵入事件 統治の弛緩が生む“無数の暴走”という国家的危機
国家の統治とは、声高なスローガンではなく、静かで確固たる秩序の積み重ねである。
その秩序がいま、きしみ始めている。
陸上自衛隊の青年将校による大使館侵入事件。
本来なら、総理と防衛大臣が即刻、毅然たる謝罪と処分方針を示すべきだった。
だが、政府は沈黙した。 ようやく防衛大臣が昨日遺憾の意を表明したが謝罪はない。
沈黙は、時に最悪のメッセージとなる。
「処分されぬなら、やってもよい」──そう誤解する者が出るのは歴史の常である。
昭和初期、相沢事件が喝采を浴びたときも同じだった。
個人の暴走が“義挙”と持ち上げられ、次の暴走を誘発した。
点が増え、面となり、統制は崩れた。
歴史は繰り返す。
ただし、現代は当時より危険である。
いまの若者は個人主義が徹底している。
組織の名誉より、自らの正義。
対話より断言。
SNSの承認欲求が火薬庫となり、火花一つで爆ぜる。
組織的クーデターよりも、相沢事件型の単独暴走が“無数に”起きる可能性のほうが高い。
標的は外国だけではない。
野党議員、穏健派の与党議員、官僚、専門家──誰でも“敵”にされうる。
暴力が政治空間に入り込めば、穏健派は萎縮し、過激派の声が空気を支配する。
これは民主政治の自殺行為である。
さらに厄介なのは、過激な総理支持者の存在だ。
彼らは政党支持とは別の軸で動き、聞く耳を持たず、衝動的で、読めない。
政治家にとって最も恐ろしいのは、政策論争ではなく“何をするか分からぬ個人”である。
穏健派ほど、こうした攻撃に弱い。
結果として、政治空間は声の大きい少数に振り回される。
外交にも影を落とす。
総理は米国大統領の訪中時に、日本の立場を取りなしてもらおうとしていた。
だが今回の事件で謝罪も処分も曖昧なままなら、日中関係は紛糾し、対米依存はさらに強まる。
イラン政策では過剰な忖度が生まれ、石油確保にも支障が出る。
中東外交を支えてきた穏健派の議員たちも、過激な支持者の攻撃を恐れて動きにくくなる。
国家の統治は、外から崩れるのではない。
内側から静かに腐るのである。
その兆しを見逃してはならない。
政府は、明確なメッセージを発するべきだ。
「暴走は評価されない」
「法と統治がこの国を支えている」
この当たり前の原則を、いまこそ示さねばならぬ。
沈黙は、国家にとって最も危険な言葉である。
さとう しゅういち
サトウ シュウイチ/50歳/男