岩谷 良平 ブログ
終戦の日にあたって~空母撃沈から生還を果たした祖父の物語~
2021/8/15
私の祖父は3年前の2018年に97歳で長い生涯の幕を閉じました。 海軍で先の大戦を経験した祖父は、幼い頃から何度となく出征中の話をしてくれました。 その中でも一番よく話していたのは乗っていた軍艦が撃沈され、九死に一生を得た話です。 友人の出征にあたって(前列向かって右端が祖父) 出征前の祖父(前列中央) アコーディオンが得意で老後に地元シルバー楽団の団長も勤めた 話の概要は以下の通りです。 実家が鉄工所ということで工作兵として祖父が乗艦していた帝国海軍の航空母艦「千歳」は昭和19年のフィリピン沖海戦で激しい攻撃を受けた。 30度ほど艦が傾いた時に退避命令が出て、急ぎ足で階段を押し合いながら上がり艦橋に出ると、艦の横腹がすべり台のように海面に出ており、そこをすべって海に飛び込んだ。 夢中で泳ぎ、万歳の声がするので振り返ると艦は艦首を上げて棒立ちで沈みつつあった。 回りには4,5人が泳いでおり、悲鳴を上げている者もいた。 背泳ぎなど色んな泳ぎ方をしながら泳いでいると、いつの間にか静かになったので回りをみると、近くには誰もいなくなっていた。 「ええくそ死んでたまるか」と独り言を言いながら泳いでいると上空に敵機が現れ、機銃掃射を受けるのではないかと恐ろしかった。 敵機が去り、飛行機の車輪止めをみつけて掴まったところで一隻のカッター(短艇)を見つけてほっとしたのもつかの間、すぐに一杯になり乗れなかった。 200メートルほど先で長い角材につかまった仲間2人が手招きしているのが見えて、助かったとばかりに泳ぎ着いて、2,3時間ほど3人でぶら下がっていたところ、巡洋艦五十鈴に助けられた。 翌朝沖縄に入港すると、逃げ帰ったとのことで尻を棒で叩かれるという制裁を受けた。 命からがら逃げてきたことを考慮し叩く回数を減らしてくれたが、たいそう痛かった、と言っていました。 祖父のように300名あまりが運良く救助されましたが、千歳の乗員はこの戦闘で岸続きをみる『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』