2023/9/13
一冊の本を売るというコンセプトで世界的に有名な銀座の森岡書店で、夭折した山形県出身の詩人、日塔貞子の詩集「私の墓は」が取り上げられています。
山形県出身で戦中戦後に活躍した詩人日塔貞子(にっとう・さだこ)。
「私の墓は なにげない一つの石であるように」
の一説で始まるこの詩集は
50年前に一度、出版されたことがあります。
2007年、この詩集を
山形県の4人の主婦達が復活させました。
その一人、奥平玲子さん。
奥平さんは若い頃から日塔貞子の詩を愛読していました。
「素晴らしい才能の女性詩人を、ここで出版しないと、みなさんから忘れ去られてしまう、やっぱり歴史の中に埋もれさせたくないという気持ちでみんなで考えました。」
日塔貞子は、日本を代表する女性詩人、石垣りんなどと共に活躍しました。
その才能は詩の世界で高く評価されましたが、
彼女の生涯は28年間という短いものでした。
貞子は山形県河北町の大きな地主の家に生まれました。
しかし、その後は苦難の連続でした。
生まれてすぐに家が破産。
両親と離れ、貧しい生活のなか、祖母に育てられました。
貞子にとっての唯一の楽しみは詩を作ることでした。
貞子の詩は学生時代から全国的な雑誌で評価されました。
しかし、16才の時、結核による関節炎を患い、
右手と左足の自由を失います。
その後病床で創作活動に打ち込みます。
貞子は残された左手で詩を書きました。
奥平さんは貞子が死を意識しながら紡いだ言葉に
心を動かされたと言います。
「私の墓は なに気ない一つの石であるように
昼の陽ざしのぬくもりが
夕べもほのかに残っているような
なつかしい小さな石くれであるように
私の墓は うつくしい四季にめぐまれるように
どこよりも先に雪の消える山のなぞえの
多感な雑木林のほとりにあって
あけくれを雲のながれに耳かたむけているように」
詩集の初版本は貞子の死後、1957年に出版されました。
400部が売られた後は増刷されることはありませんでした。
奥平さんたちは貞子の詩を多くの人に知ってもらおうと、
仲間とお金を出し合って出版することにしました。
一般の人が読みやすいようにふりがなをつけるなど、
作業には3ヶ月かかりました。
奥平さんは貞子の生き方と言葉が
現代人の心に響くのではないかと考えています。
「貞子の詩で一人でも多くの人が生きがいを見つけて、
勇気をもらう、そんな感じで読んで頂けたらとっても嬉しい。」
半世紀ぶりによみがえった幻の詩集が
素敵な銀座の森岡書店で、
土曜日まで販売されています。
ぜひ、みなさまのご来店をお待ちしております☆
https://tuad-koyu.jp/news/see/2475
https://www.instagram.com/p/CxE-EtNvrPD/?igshid=MzRlODBiNWFlZA==












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