2020/12/1
森喜朗氏は、2000年4月5日、3日前に脳梗塞で倒れ緊急入院した小渕恵三首相の後を継ぐ形で内閣総理大臣に就任しました。清和会議員の総理総裁就任は福田赳夫以来22年ぶりでした。森首相は、私の高校(石川県立金沢二水高校、卒業生には女性学・東大名誉教授の上野千鶴子や同期生に俳優の鹿賀丈史ら)大学(早大)の先輩でした。また、お世話になった後に参議院議長になられた井上裕議員も清和政策研究会ということもあり、旧赤坂プリンスホテル旧館にあります清和政策研究会の事務局に2度伺ったこともあります。そのうちの一回は自己紹介で、森元総理の高校・大学の後輩であること、私が子供の頃、父親は農家で石川県の農産物品評会で出品した源助(げんすけ)大根が当時の農林水産大臣をされていた福田赳夫氏の大臣表彰を受けたことなどを話しました。
私は、思想的には自民党でも保守本流・護憲派の宏池会に近いのですが、派閥は思想だけでなく人間関係の要素も強く、候補者選定に井上参議院議員も関わっておられ、宏池会に行きたいとはとても言える状況ではありませんでした。したがって、もし衆議院議員になることができたならば、派閥は清和政策研究会でも政策は当時最も敬愛する河野洋平氏がいてハト派・リベラル派のアジア・アフリカ問題研究会(AA研)で勉強しようと考えていましたが、当選できずご縁がありませんでした。
清和政策研究会(福田派→安倍派→三塚派→森派→町村派→細田派)は、党内では平成研究会(旧田中派)や宏池会(旧池田派)と並ぶ保守の名門派閥です。自民党内では保守合同時の日本民主党(岸信介・鳩山一郎派)の流れを汲みます。日本民主党の「反・吉田茂」路線を起源に持つため、親米を基調としながらも自主憲法論・憲法改正論を唱え、再軍備に積極的であるなど比較的タカ派色が強く、冷戦期にはその反共主義志向の反映として、韓国・台湾に独自の人脈を持ち、日中国交回復に反対する議員が多くいました。岸派から続く自民党の有力派閥でしたが、いわゆる「角福戦争」以降、吉田自由党系の田中派(後の平成研究会)と大平派(宏池会)の主流派連合に対し、福田赳夫の他に総理・総裁を出すことが出来ず、非主流派に甘んじることが多かったのです。森内閣において福田赳夫以来久々の総裁派閥となりましたが、森氏は小渕内閣を継承しており、平成研究会の色が濃かったようです。清和政策研究会が名実ともに主流派として実質的に政権の中枢を担うようになったのは、小泉内閣以降と言われます。
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