2020/9/12
後藤田正晴
後藤田正晴元法相と言えば、頭脳明晰・信賞必罰でカミソリ後藤田と恐れられましたが、一方、派兵反対に職(官房長官)を賭したことでも有名です。旧内務省(今の自治省や警察庁)で中曽根康弘元首相より2年先輩でしたが、中曽根内閣の官房長官だった時、イラン・イラク戦争終結に当たり、海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣する問題が浮上した際には、「私は閣議でサインしない」と猛烈に反対し、中曽根首相に派遣を断念させました。今の政治家でこれだけの信念と気骨を持った人はいるでしょうか。大臣ポストが欲しくて、党の公認がもらえず刺客を立てられることを恐れて、何も言えない人ばかりです。村上誠一郎元行革相氏だけが例外ですが。
外交・防衛について、中曽根氏は日米運命共同体や日本列島不沈空母発言に象徴されるように、かなりタカ派的な指向の人で、そして、憲法改正論者でもありました。他方、後藤田氏は護憲論者で憲法改正は慎重であるべきと思っていました。こういう基本的な違いがあるために問題となったのです。
防衛問題で対立すると、後藤田氏はいつも次のように言っていたとのことです
「ワシが五十年間生き残ったのは、再び日本を軍国主義にしないためじゃ。学徒出陣でいくさに出た学友の三分の一が還らなかった。この死んだ仲間のためにも、ワシは再び軍国主義への引金を引いた官房長官とは言われたくない。敵が攻めてきたら、ワシもやる。だが、平時は抑制じゃ」(「この人たちの日本国憲法」佐高信、光文社、2013年)と。
その後藤田には、自民党内から度々「総理になって欲しい」の声が出ました。しかし、後藤田はその度にこれを断わりました。「“床の間”を背にしてすわる人物には、おのずと格というものがある。私はその器にあらず」と。
後藤田氏には名言が多くあります。自衛隊のペルシャ湾派遣を、「どんな立派な堤防でもアリが穴を開けたら、そこから水がちょろちょろ出て、いずれ堤全体が崩れることになる」と反対。
「菅(かん)だけは絶対に総理にしてはいかん。あれは(市民)運動家(出身の政治家)だから統治ということはわからない。あれを総理にしたら日本は滅びるで」。その通りになった。
「あれには岸信介のDNAが流れている。君は岸の恐ろしさを分かっていない」。あれとは、安倍晋三のことです。
のちに後藤田は、宮沢喜一に望まれて副総理兼法務大臣として宮沢内閣も支えることになりましたが、「自民党の中のリベラル派」「中道左派」という点で共感を抱いていたと言われます。そして、「日米安保条約なんて早く日米友好条約にしないといけないんだ」とも。「ハト派」「親中派」ということで身辺への威圧や嫌がらせが続いたことは大変残念で、日本の民主主義の未熟さを示すものと言わなければなりません。
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