2026/6/29
6月議会の一般質問では、濱田市長の施政方針についても質問しました。非常に違和感を覚えたからです。
市長の施政方針の結びの部分を見ていくと・・・
・・・将棋界が発展を続けている要因は、ひとえに、将棋の主役はあくまでも人間であり、将棋そのものだけでなく、それを取り巻く棋士や将棋ファンなどの人間の営み、歴史、文化、先人への尊敬の念など、どこまでいっても人間にしか持ち得ない要素を大切にし、これを中心に据えてきたからだと思います。
市長は「将棋界が発展を続けている」としていますが、将棋人口は、1982年の約2260万人がピークで、1999年頃には1000万人を割り込み、2014年には約850万人と、波はあるものの、減少傾向で、2024年には過去最低の約430万人を記録しました。
「将棋界が発展を続けている」とは、とてもいえないはずです。
さて、近年の我が国では、経済活動は自由であればあるほどよいとされ、数式で表現された経済合理性のみを追求するのが正しいという考えが広がり、費用対効果、エビデンス、選択と集中などの言葉が様々な分野に頻出するようになりました。
「経済活動は自由であればあるほどよいとされ」たというのも疑問なのですが、市長は、日本の経済は過度な自由であるとしていて、以下の発言から、その過度な自由には反対の立場だということが分かります。
このことは、国や地方自治体においても例外ではなく、本来、営利を追求してはならないはずの行政の運営にコストという概念が過度に取り入れられるようになり、経済合理性を追求することを余儀なくされ、市民の福利のために必要不可欠な投資までもが萎縮しました。その結果、多くの国民が予想だにしなかった、失われた30年と呼ばれる経済の低迷を招来し、今も国民生活に暗い影を落としています。
市長は「市民の福利のために必要不可欠な投資までもが萎縮しました。」と言い切っていますが、どんな投資が委縮したのかと尋ねても、答えられませんでした。その結果、「失われた30年」になったとしているにもかかわらずです。
この30年にわたる過度な経済合理性の追求で、様々なものが失われましたが、特に政治や行政の中で急速に失われたのは、何よりも、社会を構成しているのが人間であるという当たり前のことへの認識ではないでしょうか。まさに、人間社会の営みは、数式の羅列では計ることができないということが、この30年で証明されたのです。
「この30年にわたる過度な経済合理性の追求で、様々なものが失われました」とも言い切っていますが、何が失われたのか尋ねても、やはり答えられませんでした。
「人間社会の営みは、数式の羅列では計ることができないということが、この30年で証明されたのです。」ということですが、何がどのように証明されたのか、よく分かりません。これが施政方針だというのですから、論理的な思考を放棄して、「福利のための投資」をし始めるのではないかと心配になります。
人間には心があります。経済合理性は行政運営における1つの指標に過ぎません。行政運営が市民のためにある以上、行政運営はひとえに市民を中心に考えるべきであって、経済合理性の追求のために市民の福利が後退するならば、それはまさに本末転倒といわなければなりません。
これも具体例でも挙げてもらわないと、何を言っているのかよく分かりません。「経済合理性の追求のために市民の福利が後退」というのは、具体的にどういうことなのでしょうか?
市民への心を込めない行政のまちづくりは、無味乾燥な単なる事務事業であり、市民の福利の向上を望むことはできないし、まちの発展も阻害されます。
市民の心を大切にした心の籠もったまちづくり。これまで市長職を続けて確信したのは、まちづくりに魂を吹き込むのは、市民の心を大切にするという信念であるということです。
そして、今を生きる市民の福利だけではなく、先人の心が体現されたまちづくりによって私たちが利益を享受しているように、次は私たちが将来の市民のために、未来を見据え、心を込めたまちづくりを進めることが、我がまち高槻の発展のために必要であると改めて決意したところです。
「心を込めたまちづくり」ということなんですが、そのための具体的な施策は令和8年度においては何なのかと尋ねると、「市政全般における考え方を示したもの」だということでした。
「市民の心」を、どうやって測るのでしょうね・・・私は最後に以下の意見を述べました。
将棋については、将棋人口が減少傾向で、最新の結果である令和6年度は過去最低を記録したにもかかわらず、濱田市長は、施政方針で、数値的なエビデンスもないのに、将棋界は「発展を続けている」と述べられました。しかし、とても発展を続けているとはいえないはずです。
また、日本経済については、ご答弁からすると、さしたる根拠もなく、過度な経済合理性の追求等で、必要不可欠な投資が委縮した結果、「失われた30年」となり「今も国民生活に暗い影を落とし」ていると批判されたようです。
濱田市長は、このように、日本の経済の「失われた30年」の原因を、過度な経済の自由や、行政の経済合理性の追求だとされていまして、果たして本当にそうだろうかと疑問ですが、そうすると、濱田市長としては、過度な自由等とは逆の方向、つまり、統制や規制が必要だったというお考えになろうかと思います。
しかし、経済をどのように統制や規制すべきとお考えなのかと尋ねても、具体的なお答えはなく、ごまかしのような答弁しかありませんでした。
「失われた30年」だと批判をされているということは、日本は経済成長できたはずだ、経済成長すべきだったとお考えだとだということになりますが、日本のこれまでのやり方すら、過度な自由などと批判されているわけですから、アメリカのようなやり方ではなく、自由を規制する方向での経済成長、つまり、中国型の社会主義市場経済が、濱田市長の理想ではないかと考えるのが自然ですよね。そうすると、多くの経済界の方、商工業の方とは、相容れないのではないかと思います。
また、「失われた30年」だったと批判しているわけですから、これまでの、主に自公政権・・・途中で民主党政権等にもなりましたが・・・主には自公政権を批判しているということにもなろうかと思いますし、行政のコスト削減を批判するということは、財政再建に取り組んできたとする奥本市政に対しても批判的な態度だとも思われます。
それから、「本来、営利を追求してはならないはずの行政の運営にコストという概念が過度に取り入れられるように」なったとおっしゃられましたが、こういう言い方だと、あたかも、行政が、近年、営利を追求させられるようになったというふうに受け取られるのではないでしょうか?
確かにコストや経費に関する意識は高まったと思いますが、それは税金を無駄遣いしないためのものであって、営利のためではないというところは、以前と何も変わっていないはずです。
「市民の福利のために必要不可欠な投資までもが萎縮」したということですけれども、その投資とは何のか、具体的にお答えにならないのは何故なのでしょうか?答えられないようなことを、施政方針で言うべきではないですし、批判的な文脈で、こうしたことを言うのなら、ちゃんと根拠を示さないと、歴代の行政のトップに対する、単なる誹謗中傷です。
今回の施政方針では、「心を込めたまちづくり」がキーワードかなと思います。それは、掛け声だけであって、具体的なものは何も無いようですが、先ほど申し上げたとおり、もしかすると、「失われた30年」を取り戻すべく、コストを軽視した、バブル期のような公共工事などが、自由競争が制限されるようなやり方で、「心を込めたまちづくり」として行われるのではないかと、心配しております。
以下は先日の議会でのやり取りです。原稿とメモに基づいているので不正確な部分もあることをお許しください。
★令和8年6月議会・一般質問
■5.施政方針等について
今年令和8年2月25日の本会議で濱田市長が述べられた施政方針の説明の結びの部分等について、まず4点伺います。
(1)市長は「将棋界が発展を続けている」と述べられました。
しかし、将棋人口は、1982年の約2260万人がピークで、1999年頃には1000万人を割り込み、2014年には約850万人と、波はあるものの、減少傾向で、2024年には過去最低の約430万人を記録しました。
「将棋界が発展を続けている」とする根拠は何なのでしょうか?お答えください。
⇒将棋を指す人以外も楽しめるようになったことなどによるファン層の広がりのほか、将棋の歴史や文化としての継続性の観点からも、将棋界は発展を続けているものと考えられます。
(2)市長は「近年の我が国では、経済活動は自由であればあるほどよいとされ、数式で表現された経済合理性のみを追求するのが正しいという考えが広がり、費用対効果、エビデンス、選択と集中などの言葉が様々な分野に頻出するようになりました。このことは、国や地方自治体においても例外ではなく、本来、営利を追求してはならないはずの行政の運営にコストという概念が過度に取り入れられるようになり、経済合理性を追求することを余儀なくされ、市民の福利のために必要不可欠な投資までもが萎縮しました。その結果、多くの国民が予想だにしなかった、失われた30年と呼ばれる経済の低迷を招来し、今も国民生活に暗い影を落としています。」
と述べられました。
市民の福利のために必要不可欠な投資までもが萎縮したということですが、具体的にはどういったことを指しているのでしょうか?お答えください。
また、この30年にわたる過度な経済合理性の追求で、様々なものが失われたということですが、具体的には何が失われたのでしょうか?お答えください。
(3)市長は、自由主義経済には批判的なようですが、経済をどのように統制や規制すべきだとお考えなのでしょうか?お答えください。
また、高槻市の商工業者の皆さんの経済活動については、どのように統制や規制をすべきだとお考えなのでしょうか?お答えください。
⇒2点目と3点目についてですが、国や自治体においては、経済合理性の追求のために市民の福利が後退することがあってはならないという考えをお示ししたものであり、民間の経済活動を統制・規制すべきということは申しておりません。
(4)心を込めたまちづくりを進めるということですが、そのための具体的な施策は、令和8年度においては何なのでしょうか?お答えください。
また、その決意の下、引き続き日本の高槻としての存在感を全国に示すということですが、濱田市長が全国に対して、特に示したいことは何なのでしょうか?お答えください。
⇒心を込めたまちづくりとは、市政全般における考え方を示したものです。
市民の福利を第一に考え、あらゆる分野の施策の充実に取り組むことで、全国に「日本の高槻」としての存在感を示してまいります。
<2回目>
(1)将棋を指す人以外も楽しめるようになったことなどによるファン層の広がりがあるということですが、そのファン層は、現在何万人くらいおられるのでしょうか?10年前と比べて、何万人増減したのでしょうか?お答えください。
⇒ネット配信環境の整備やAI評価値の登場により、将棋を指せない人でも親しめるようになったことなどから、イベント等への集客数、とりわけ女性の参加者数が大幅に向上するなど、ファン層が広がっていることは明らかです。
(2)市長は、「市民の福利のために必要不可欠な投資までもが萎縮しました。」と言い切っておられました。どういった投資がどれだけ委縮したのでしょうか?具体的にお答えください。
また、「この30年にわたる過度な経済合理性の追求で、様々なものが失われました」とも言い切っておられます。何が失われたのでしょうか?具体的にお答えください。
(3)先ほどの「必要不可欠な投資」については、どうすれば委縮しなかったのでしょうか?先ほどの「様々なもの」は、どうすれば失われなかったのでしょうか?過度な経済の自由や経済合理性の追求が原因だというご見解のようですが、どういった統制や規制をすれば良かったのでしょうか?具体的にお答えください。
⇒2点目と3点目についてですが、かつての国による財政支出の抑制方針などにより、国や自治体においても、経済合理性の追求が過度に求められてきたことや、諸外国と比べて経済成長率が低水準で推移してきたことなど、近年の国内の状況に触れた上で、過度な経済合理性を行政運営に当てはめるべきではないという考えをお示ししたものです。
(4)「心を込めたまちづくり」の具体的な施策をお訊きしたところ、「市政全般における考え方を示したもの」だというお答えでした。ということは、「心を込めたまちづくり」としての具体的な施策は無いということで、よろしいでしょうか?お答えください。
⇒繰り返しになりますが、「心を込めたまちづくり」とは、市政全般における考え方を示したものです。
<3回目>
あとは意見を述べます。
将棋については、将棋人口が減少傾向で、最新の結果である令和6年度は過去最低を記録したにもかかわらず、濱田市長は、施政方針で、数値的なエビデンスもないのに、将棋界は「発展を続けている」と述べられました。しかし、とても発展を続けているとはいえないはずです。
また、日本経済については、ご答弁からすると、さしたる根拠もなく、過度な経済合理性の追求等で、必要不可欠な投資が委縮した結果、「失われた30年」となり「今も国民生活に暗い影を落とし」ていると批判されたようです。
濱田市長は、このように、日本の経済の「失われた30年」の原因を、過度な経済の自由や、行政の経済合理性の追求だとされていまして、果たして本当にそうだろうかと疑問ですが、そうすると、濱田市長としては、過度な自由等とは逆の方向、つまり、統制や規制が必要だったというお考えになろうかと思います。
しかし、経済をどのように統制や規制すべきとお考えなのかと尋ねても、具体的なお答えはなく、ごまかしのような答弁しかありませんでした。
「失われた30年」だと批判をされているということは、日本は経済成長できたはずだ、経済成長すべきだったとお考えだとだということになりますが、日本のこれまでのやり方すら、過度な自由などと批判されているわけですから、アメリカのようなやり方ではなく、自由を規制する方向での経済成長、つまり、中国型の社会主義市場経済が、濱田市長の理想ではないかと考えるのが自然ですよね。そうすると、多くの経済界の方、商工業の方とは、相容れないのではないかと思います。
また、「失われた30年」だったと批判しているわけですから、これまでの、主に自公政権・・・途中で民主党政権等にもなりましたが・・・主には自公政権を批判しているということにもなろうかと思いますし、行政のコスト削減を批判するということは、財政再建に取り組んできたとする奥本市政に対しても批判的な態度だとも思われます。
それから、「本来、営利を追求してはならないはずの行政の運営にコストという概念が過度に取り入れられるように」なったとおっしゃられましたが、こういう言い方だと、あたかも、行政が、近年、営利を追求させられるようになったというふうに受け取られるのではないでしょうか?
確かにコストや経費に関する意識は高まったと思いますが、それは税金を無駄遣いしないためのものであって、営利のためではないというところは、以前と何も変わっていないはずです。
「市民の福利のために必要不可欠な投資までもが萎縮」したということですけれども、その投資とは何のか、具体的にお答えにならないのは何故なのでしょうか?答えられないようなことを、施政方針で言うべきではないですし、批判的な文脈で、こうしたことを言うのなら、ちゃんと根拠を示さないと、歴代の行政のトップに対する、単なる誹謗中傷です。
今回の施政方針では、「心を込めたまちづくり」がキーワードかなと思います。それは、掛け声だけであって、具体的なものは何も無いようですが、先ほど申し上げたとおり、もしかすると、「失われた30年」を取り戻すべく、コストを軽視した、バブル期のような公共工事などが、自由競争が制限されるようなやり方で、「心を込めたまちづくり」として行われるのではないかと、心配しております。
違うということであれば、ご答弁をお願いします。
【答弁】
ちょっといろいろご発言ございましたが、まず将棋の関係で言いますと先ほどネットとか配信環境の整備など、将棋を指せない方でも親しめるようになったことなどをお答えさせていただきました。
将棋人口に着目されておりますが、将棋人口以外の情報にも幅広く目を向けていただき、様々な媒体で取り上げられる将棋関連の情報に接していただければ、将棋界の発展を感じていただけるものと考えております。
また施政方針では近年の国内の状況に触れた上で、過度な経済合理性を行政運営に当てはめるべきではないという考えをお示ししたものでございます。
その枠を超えての経済の統制規制等々おっしゃられておりますが、そんなことは一切申しておりませんので改めて否定をしておきます。
また、心の込めたまちづくりでございますけど、どの事業に心を込めたとか、心を込めてないとか、そういう発想ではなく、市政全般における考え方を、示したものですので、お間違いのないよう、よろしくお願いいたします。
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高槻ご意見番 代表 北岡隆浩(高槻市議会議員)
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