2024/10/17
【松原仁さんとの出会いについて‼️今明かす秘話❗️】
人は、その人生において大転機を招く出会いをする事があります。私にとっては、今衆議院選を戦っている松原仁元国務大臣との出会いが、まさにそれでした。
1986年か87年の年末、大田区自衛隊協力団体の忘年会が開催されました。当時私は、旅行会社の社長として忙しい日々を過ごしていました。この忘年会も仕事が終わらず、遅れての参加でした。
会場には残りの席が1ケ所だけで、そこに座りましたら、隣席の青年(30歳ぐらい)が人懐っこく声をかけて来ました。
名刺を頂くと、数年前に無所属で都議会に立候補し落選した松原仁さんだと知りました。そして、偶然にも昭和31年生まれの申年、同い年だと聞き、以降親しくさせて頂きました。
彼の次の都議会議員選挙では、選挙事務所に出向いたり、移動事務所運営のお手伝いをする等、関係を深めて行き、彼は初当選をされたのです。
それから、彼自身も衆議院に転じて二度の苦渋を経験され、小沢一郎氏のつくった新生党設立に参加されました。そして、ある日、小沢一郎氏が地元大田区の結婚式場で講演会をやるから来ないか?とお誘いを受けました。
とても分かりやすい講演に、コワモテだと思っていた小沢氏の見方が変わりました。その後、平成6年の秋だったか、松原仁さんから「犬伏さん、あなたは勢いがあるから新生党から大田区議会選挙に出てくれ!」と連絡がありました。
当時の私は、旅行会社店舗6店舗、ハンバーガーショップ2店舗を経営する社長でした。
「松原さん、当社のお客様には公明党や共産党等の支持者もおり、私が立候補するのは無理」と、固辞いたしました。
が、彼は毎日電話をくれました。経営者として運輸省や東京都、大田区のお役人の高飛車で非効率的な仕事ぶりに日々怒っていた事もあり「役所改革」を旗印に平成7年3月執行(当時は統一地方選ではなかった)の大田区議会選挙に立候補をし、見事落選を致しました。
政党も、小沢一郎氏の変節で、新生党→新進党→自由党と変わり、私は平成11年、次の選挙で自由党公認候補として当選を致しました。
松原さんも小沢氏も民主党に合流しましたが、私は左翼勢力がいる民主党に違和感があり、無所属から石原慎太郎、平沼赳夫両氏が立ち上げた「たちあがれ日本」に入党し、いつしか衆議院候補として戦う事になったのです。
区議会議員として二回目の選挙の前、地元の支援者の方々から「犬伏、自民党に入れ」と説得され、大説得焼肉パーティーが開かれました。
自民党都議、自民党元区議夫人、支援者2名、妻と私です。ここまで言われたら自民党に入るしかないかな、と心は揺れていましたが、区議会に限らず保守系議員として自由に活動していた私にとって、自民党入りは苦渋の選択です。
たまたま、松原仁さんの秘書から大田区議会議員に転じた1期先輩の関根勉区議に事情を話しました。
関根区議からは
「犬伏さん、自民党に入る事は政治に就職することですよ!政治に魂を売るのですか?」と諭されました。
この言葉はショックでした。支援者の皆さんの手前、自民党入りを断る事は出来ないので、絶対に入れてもらえない条件を提示しました。
①自民党のパーティー券は売りません
②大田区内全域での活動を許して欲しい
③インターネットには自由に投稿させて
結果、全て認められず、犬伏自民党入りは「自民党から断られた」として流れたのです。
あの時、自衛隊の忘年会で定時に会場に行っていたら、松原仁さんの隣席ではなかったと思います。だとしたら、私は今頃、まだ旅行会社の経営者として頑張っていたと思います。
石原新党から衆議院議員選挙出馬、中山恭子参議院議員第一秘書、田母神俊雄東京都知事候補選対副本部長等、普通なら経験出来ない人生を送れたのは、実は自衛隊の忘年会での松原仁さんとの出会いのおかげだったのです。
松原仁さん、選挙区改革で旧東京3区の大田区の一部と新たな選挙区である目黒区で今回立候補をされました。
長い、長いお付き合いになりました。「政治の世界に引きずり出した頂いた師」たる松原仁候補のご健闘を心より願っています。





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