田中 としかね ブログ
「不可逆性」
夏休みが終わりましたね。「学習計画通り勉強を進めて、万全の状態で二学期を迎えることができました!」と自信満々に言える人は、…なかなかいないですよね。「苦手科目の復習をしたかったのに…」「得意科目の先取学習にも取り組みたかったのに…」などなど、「もっと上手な時間の使い方ができたのでは?」と、誰もが思ったりするものです。実は私にも、今でも夢に見るほど痛切で苦い経験があります。それは中学生だった時のことです。夏休み明けに学校で「テストがあります」と告知されていた社会の地理の復習を、全くやっていなかったのです。「日本地理」という限定的な範囲でしたので「高をくくっていた」ということもあるのですが、夏休みが終わっていざテストの直前になって、指定された教科書のページをめくって愕然としました。当たり前のことなのですが、各都道府県の地形や気候といった自然はもとより、農林水産業や工業、交通や観光にいたるまで、細かな名称やデータが目白押しで…「これを今から全部頭に入れるのか!」と血の気が引いたのを覚えています。「夏休みの間に、計画的に、復習を進めておくこと」という学校からの指示の意味を、ようやくこの時点で理解しましたが、夏休みは戻ってきません。「時すでに遅し」です。この「取り返しのつかないことをしてしまった」という強烈な感覚は、あれから40年以上も経つというのに今でも残っていて、「どうしよう…」という焦りとともに夢の中のシーンで再現されるのですよ!
この「もとに戻すことができない」という性質を四字熟語にすると「不可逆性」という言葉になります。「不」という打消しで「できない」という意味を付け加えているのですから、「可逆性」という言葉もあることがわかります。「もとに戻すことができる」という意味になりますね。理科の実験的にこの言葉を説明してみましょう。「水」を凍らせると「氷」に変化します。逆に「氷」を融かすと「水」に変化します。この変化を「可逆性」変化と言うのですね。「当たり前」に思うかもしれませんが、実はそうではないのです。例えば、「生卵」をゆでで「ゆで卵」にしたとします。でも「ゆで卵」を冷やしても「生卵」には戻りませんよね。卵の成分である「タンパク質」が変性してしまったからです。この「もとに戻らない」変化を「不可逆性」変化と言うのですね。あまりにも身の回りにあふれている「水」という存在が「可逆性」という性質を有していることから気づきにくいことでもあるのですが、自然界の現象で「可逆性」変化と「不可逆性」変化を比べると、「不可逆性」変化の方が圧倒的に多いのです。ほとんどの変化は「不可逆性」変化だと言ってもいいくらいです。熱は温度の高いところから低いところへ移動しますが、その逆はありません。コップの水にインクを一滴垂らすと拡散しますが、拡散したインクを再び一滴のインクに集めることはできません。こうした自然界の現象だけではなく、現実社会で起こる変化についても、ほとんどが「不可逆性」変化だと言ってもいいでしょう。なぜならば「時間」そのものが、過去から未来へと一方向にしか進まないという不可逆的なものだからです。ですから「時間」の経過をともなう「経験」という人間の活動自体が、当然、不可逆的なものとなるわけです。そして人間にとって、「時間」という実体のない、見ることも触ることもできない「何か」を感じることができるタイミングこそ、実はこの「不可逆性」に気づく瞬間なのですね。「夏休みはもう戻ってこない!」と痛感した時に「確かに時間は経過している」と理解できるわけですから。
私の経験に話を戻しますと、「日本地理の復習を何もしていなかった」にもかかわらず、「時間」はしっかりと経過していたわけです。悔やまれるばかりですが、もう一度「夏休み」をやり直すことはできません。「一か月あれば、最初に県庁所在地を漢字で確認して、次に山地や川や盆地や平野や…と、丁寧に覚えなおすことができたのに!」と反省しきりでした。でも、この歳になって思えるのは、この「反省」こそが重要だったということなのです。「何をすればよかったのか」という計画をあらためて考え直すことは、「今さら意味がない」と、思ってしまいがちです。しかしながら、「やり直すことができるなら」と強く思っている「今」だからこそ、「一か月」という「時間」を本当に意識して、「自分に何ができるのか」「何をすべきなのか」を考えることができるのです。「時間がないからできない」という発想では、「時間」を敵に回してしまいます。「時間があればできるはず」と確信することで、「時間」を味方につけることが重要なのです。「過去」は変えることができませんが、今を積み重ねた「未来」については、デザインすることができるはずです!夏休みを終えた今だからこそ、ぜひ学習計画の「反省」を試みてください。うまくいかなかったことは、もう元に戻すことはできません。でも、それを糧にして、次に活かすことができます。「未来」を大きく左右することになるのです。
さて、私の「日本地理のテスト」はどうなったのでしょうか?「一か月あれば…」の反省も重要だったのですが、テストは「明日」でした。一日しかありません。「あきらめ」という言葉が頭に浮かびました。でもその時「やらないよりも、やったほうが、まし」という言葉も浮かんできたのです。「時間の限り、やれるだけやろう」と、開き直りました。結果は文字通り「やったほうが、まし」というレベルでしたが、「一日で自分のできる限界」を知ることができました。これも、今に活きる「糧」となった経験だと言えます。皆さんにお勧めはしませんが。
著者
| 肩書 |
文京区議会議長 特別区議会議長会会長 |
| 党派・会派 |
自由民主党
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