2026/6/28
セルフネグレクトという言葉をご存じでしょうか。
「セルフネグレクト 福祉」と検索すると、高齢者支援ばかりが並んでいますが、この問題は高齢者だけではなく、若い世代にも静かに広がっているのではないかと感じています。
仕事のプレッシャー、育児や介護、失恋、家族との死別、病気、経済的困窮、人間関係の悩み。人生には、心身のエネルギーを大きく消耗する出来事が数多くあります。最初は「少し疲れているだけ」だったものが、次第に生活全体へ影響を及ぼしていくことがあります。
特に単身世帯や若年世代は頼れる人がいない場合状況が悪化しやすく、外部に救いを求めることができなくなります。「支えてくれる人」はいつもすぐそばにいるとは限りません。
「それは本人の責任ではないか」という意見もあるでしょう。実際、私も一定の責任は本人にあると考えています。社会のすべてを行政が背負うことはできませんし、自分の生活に責任を持つという考え方は社会を支える重要な原則です。
だからこそ、この問題は難しいのです。
私は「自己責任か、行政の責任か」という二項対立で考えるべきではないと思っています。
例えば、足を骨折した人に対して「歩けないのは自己責任だ」と言う人はいません。リハビリは本人の努力が必要ですが、その努力を支える医療や制度があるからこそ、再び歩けるようになります。
セルフネグレクトも、それに少し似ています。
最終的に生活を立て直すのは本人です。しかし、立ち上がる力が残っていない人に対して、「頑張れ」と言うだけでは、問題は解決しません。
また、「明確な診断が降りていない人間が税金で身の回りの世話までしてもらうのか」という疑問を持つ方もいるかもしれません。
確かに、行政が家事代行サービスのような役割を担うことには慎重であるべきです。何でも公費で賄う社会は持続可能ではありません。
しかし、ここで考えたいのは「掃除」や「家事代行」が目的なのではなく、「生活を立て直すきっかけ」をつくることです。部屋が片付けば、ヘルパーや訪問看護師が入れるようになるかもしれません。人を家に呼べるようになるかもしれません。食事を作る気力が戻るかもしれません。病院へ行こうと思えるかもしれません。
つまり、生活環境を整えることは、医療や就労、自立へ向かう入り口になる場合があります。
結果として重症化を防ぎ、入院や生活保護など、より大きな行政コストを抑えることにつながる可能性もあります。もちろん、個々のケースや制度設計には慎重な検討が必要ですが、「早い段階で生活を支えること」が社会全体にとって合理的であるという視点は持つべきではないでしょうか。
これが、私が委員会でも提唱している「予防的福祉」の考え方です。
もう一つ、現代ならではの特徴があります。
それは、「孤立が見えにくい」ということです。
昔は地域や親戚とのつながりが今より濃く、近所の人が異変に気付くこともありました。もちろん、それが窮屈だった面もあります。しかし現在は、核家族化が進み、一人暮らしが増え、地域との関係も希薄になり、SNSでは笑顔の写真や何気ない投稿だけが流れてきます。画面の中では元気そうに見えても、現実には数日間何も食べていない、洗濯物が積み重なっている、部屋から出られないという人もいます。
「つながっているようで孤立している。」
「つらい姿を外に見せると二度と戻れなくなってしまうという強迫観念がある」
そうしてふと、もう消えてしまおうと命の火さえも消してしまう人が現れる。
これは、現代社会が抱える新しい孤独の形ではないでしょうか。
さらに、若い世代には制度の狭間という問題もあります。高齢者には地域包括支援センターなどがありますが、20代や30代が生活そのものに行き詰まったとき、相談先は精神保健、生活困窮、福祉、医療などに分かれており、自分がどこへ相談すればよいか分からないことも少なくありません。制度は存在していても、本人から見れば「入り口」が見つからないのです。
私は、この課題をすべて行政で解決すべきだとは考えていません。
家族、友人、地域、企業、NPO、民間サービス、医療、福祉、行政。それぞれが少しずつ役割を担い、「生活が崩れ始めた人」を早い段階で支える仕組みが必要だと思っています。行政は、そのネットワークをつなぐ役割を果たすべきです。
私自身、政治家として「頑張る人が報われる東京」を目指しています。同時に、「頑張れない人が救われる東京」も目指したいと考えています。
この二つは、決して矛盾しません。
本当に頑張っている人ほど、人生のどこかで立ち止まることがあります。病気になる日もあれば、大切な人を失う日もあります。どんな人にも、助けを借りなければならない時期は訪れるかもしれません。
だからこそ、セルフネグレクトを「だらしない」「自己責任」の一言で片付ける社会ではなく、「もう一度、自分の力で立ち上がれるよう支える社会」でありたい。
自立とは、誰の助けも借りないことではありません。必要なときに適切な支援につながり、再び自分の足で歩けるようになることです。
そしてその実現のためには、本当に孤立した時に「明日も生きていていいんだ」と思わせてくれる希望があることが必要です。
そんな社会を実現することは、「優しさ」だけではなく、一人ひとりが安心して挑戦し、安心して働き、安心して暮らせる東京をつくるための、現実的な投資でもあると私は考えています。
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ヤマグチ ハナ/29歳/女
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