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山口 花 ブログ

経験という生き物

2026/6/15

政治家という仕事をしていると、その人がなぜ政治の世界に入ったのか、どんな人生を歩んできたのかという話を聞かれることが多いし、実際に多くの人が自分の人生の中の出来事をきっかけに政治に関わっている。

私も初めて会った政治家には「なんで政治家になろうと思ったんですか?」と、その歴を問わず聞いてしまう。

何かしらの違和感や不条理に直面した経験が、そのまま問題意識になり、行動の動機になる。政治に限らず、それはとても自然なことだと思う。当事者意識があるということは、解決すべき課題の解像度を上げる。どこに痛みがあるのか、どこが機能していないのか、自分の感覚として理解できるからだ。ただ、その当事者性が強ければ強いほど、物事を自分の経験に引き寄せて解釈しすぎてしまう危うさもある。社会全体の話をしているつもりが、気づけば個人の物語に閉じてしまう。そのバランスは思っている以上に難しい。

政治の世界ではしばしば政治家の持つ「過去」や「痛み」が語られる。

それは分かりやすいし、伝わりやすい。

何かを乗り越えてきた人の言葉には重みがあるし、ストーリーとしても成立する。実際、そうした経験はその人にしか持てない強さになると思う。ただ一方で、その「語られている過去」がどれだけ整理され、消化されたものなのかという点については、時々立ち止まって考えてしまうことがある。新人ベテラン問わず演説を聞いていると、語られている出来事そのものよりも、その奥にあるまだ言葉にしきれていない感情の方が前に出ているように感じる瞬間がある。「この人はまだ、苦しいんだな」と、その当事者性は本当に政治で解決できるものなのかと、勝手に苦しくなってしまうこともある。それが良いとか悪いとかではない。ただ、語ることと消化することは、おそらく別の営みなのだと思う。

私は、自分の過去や今置かれている状況について、報告として共有することはあっても、それを理解してもらうための材料として差し出すことにはあまり積極的ではない。自分の中にある感情や記憶は、そんなに単純に整理できるものではないし、一つの出来事だけで説明できるようなものでもないと思っているからだ。むしろ、それを他人の側から「この人はこういう経験をしたからこういう人なんだ」「あなたはこうなんでしょ」と分かりやすくレッテルをはられてしまうことの方に、強い違和感がある。

人の人生はそんなに単線的ではないし、都合よく意味づけられるものでもない。

 

政治家になってから、これまでの人生とは比べものにならないほど多くの人とコミュニケーションを取るようになった。その中で、自分ではしまい込んでいたつもりの過去が、意図せず引き出されることも増えた。誰かの話を聞いていると、似たような場面や感情が自分の中から立ち上がってくる。そうやって、自分の過去ともう一度向き合い直す機会が増えている。

生き方というのは本当にどこで変わるか分からないし、変わらないと思っていたものが、ある日ふと違う意味を持ち始めることもある。自分はすでに通り過ぎたと思っていた出来事も、別の角度から見直すことで、全く違うものとして立ち上がってくる。

辛かったことや苦しかったこと、うまくいかなかった関係や、どこかで傷つけてしまったかもしれない出来事。そういうものは、時間が経てば自然に整理されていくわけではなくて、時々押し入れから出して、もう一度自分の手で扱い直さないといけないのだと思う。簡単に「乗り越えた」と言い切ってしまえば、その瞬間に物語としては綺麗に閉じるけれど、実際の感情はそこに取り残されたままになる。辛かったものは辛かったままだし、しんどかったものはしんどかったままだし、分かり合えなかったことは分かり合えないまま終わる。そういう状態のまま蓋をしてしまうことが、本当に「乗り越えた」ということなのかは分からない。

私はそういう人間の弱さが、たまらなく愛おしいと思う。

限られた人生の中で経験できることの数は決して多くない。その一つ一つの出来事自体は変わらないとしても、その捉え方は時間とともにいくらでも変わっていく。同じ出来事でも、数年後には全く違う意味を持つこともあるし、以前はどうしても許せなかったことが、少しだけ理解できるようになることもある。

最近、どうしても受け入れられなかった人のことを、少しだけ好きだと思える瞬間があった。何か大きな出来事があったわけではない。ただ、自分の中の見え方が変わっただけだと思う。人間は思っているより単純で、でもその単純さの中にものすごく繊細な部分を抱えている。ひとつの傷が癒えるまでに、何十年もかかることもある。

大人になると、自分の経験を良いことも悪いことも含めて、どこかでトロフィーのように扱ってしまう瞬間がある。「昔はこうだった」「こんな経験をしてきた」と語ることで、自分の輪郭を保とうとする。でも本来、経験は固定されたものではなくて、もっと流動的で、その都度意味が更新されていくものなのだと思う。経験は生き物で、時間の中で形を変え続けている。

今はもう会えない誰かのことを思い出したり、あの時すれ違ってしまった人のことを想像したりすることがある。直接会えなくても、その人のことを考えることで、自分の中のコミュニケーションの総量は確実に増えていく。そうやってしか、自分は強くなれなかったのだと思うし、もしかしたら強くなる必要なんてなかったのかもしれないけれど、それでもそうすることが自分なりの責任の取り方なのだと感じている。

全ての命の在り方が肯定される社会をつくりたいと、よく言葉にしているけれど、それはきれいごととして言っているわけではない。自分自身がまだ整理しきれていないものや、うまく言葉にできない感情を抱えたままでも、それでも生きていていいと思える社会であってほしいという、ごく個人的な実感から出ている言葉だと思う。そして正直に言えば、まだ足りていないとも思う。自分の中でも、社会の中でも、まだ整理されていないものが多すぎる。それでも、その不完全さごと引き受けながら、少しずつでも前に進める形を探していくしかないのだと思っている。

 

(noteより転載)

 

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山口 花

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