2026/7/21
昨年のきょう7月21日。
当選の御礼街頭をしていたら、櫻田先輩がひょっこり現れて、二言三言言葉を交わしたのが最後となってしまいました。
遺影は、親指を立てたイェーイ👍️のポーズで穏やかに微笑んでいました。本人が「イェーイを遺影にしてくれ」と希望したのだそうです。ユーモアがあって温厚で、仕事にはとても厳しい人でした。
″サラリーマン記者″ではなく、本物の″TVジャーナリスト″でした。
最期は自宅で闘病生活を送り、意識がなくなるまで「中継いけるか」「街の声ひろったか」等とうわ言を発していたとのこと。私のことも気にかけてくださっていたようです。「福士!」と呼ぶ声が何度も頭の中に響いています。
告別式では、櫻田先輩のリポートをつないだ映像が流れ、もう止めどなく涙が…。私が政治の世界に飛び込んで掲げたのは「とことん現場主義を貫く」ということでした。櫻田先輩の背中を追いかけて報道記者として踏ん張った、あの頃の気持ちを忘れまいと思ったからです。
国会の経済産業委員会で、青森選出なのだからと原発や再処理の質問を必ず入れているのですが、長く担当していた櫻田先輩だったら、どう切り込むのだろう?と思ったことは一度や二度ではありません。
もっと話がしたかった。もっといろいろ教えてほしかった。もっともっと…。71歳で逝ってしまうなんで悔しすぎますが、今は訪れた眠りが穏やかでありますよう祈るのみです。
どうか見守っていてください。


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