2026/3/16
『参政党神谷代表のルーツを辿る旅in岡崎・豊田』
神谷氏始祖である「神谷高正公」のご命日に、幸福寺にある神谷高正公のお墓参りをしてきました。
神谷さんが街頭演説とタウンミーティングで名古屋に来ることになり、その前日に神谷家のルーツをまわりたいという神谷さんの話から始まった今回の旅。
始祖神谷高正公のご命日にお墓参りができたのは、本当に偶然!!
すごいご縁でした。
神谷さんから連絡がきて、ネットや本(神谷氏系譜、六ッ美村誌、参河誌など)で神谷家の流れを調べ、今回の訪問場所に行き着きました。
(諸説あります)
以下、神谷氏の流れを簡単に。
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○神谷家の始祖は神谷高正公と言います。
豊田市の幸福寺に高正公を含め、その子孫の6基の墓があります。
○宇都宮泰藤
南北朝時代、下野国宇都宮の豪族に宇都宮泰藤がいました。
藤原鎌足を祖先とする藤原家の血筋で、南朝方の新田義貞の家臣として北朝方の足利尊氏と戦います。
新田義貞と共に越前国(現在の福井県)に赴いているころ、新田義貞が討たれ、首が京にさらされます。
さらされている新田義貞の首を奪い、新田義貞の故郷に持って行こうとしましたが、途中で病にかかり断念し、領地であった三河国上和田(現在の愛知県岡崎市上和田町)に行き、ここ(糟目犬頭神社)に新田義貞の首を埋めたと言われています(諸説あります)。
その後、泰藤は上和田城を築城し、上和田に住みます。
この宇都宮泰藤の孫が神谷高正です。
○神谷高正公
生まれは不明ですが、三河国宝飯郡神ヶ谷村(現在の豊橋市石巻付近)(八名郡神谷村という話もあります)に移り、その後、泰藤の命で碧海郡阿弥陀堂村(豊田市畝部西町)に移住しここを治めます。
この時、姓を神ヶ谷村に因み神谷としたと言われています。
ここから神谷氏の始まりです。
明徳3年(1392年)3月14日に神谷高正公が亡くなると、その子、高朝が高正公の菩提を弔うために豊田市畝部西町に「幸福寺」を建立します。
そして、今でも高正公から6代のお墓が幸福寺にあります。
○その他、豆知識
・宇都宮泰藤は大久保家の祖とも言われています。
(大久保一族:大久保忠世、大久保忠隣、大久保彦左衛門など。徳川家の重臣です。)
神谷氏と大久保氏は始祖がつながっているという点も興味深い点です。
・神谷氏は家康公の祖父清康から代々仕えています。
・東京メトロ日比谷線「神谷町駅」は、徳川家康公と一緒に移り住んだ八名郡神谷村出身の人々が住んでいたことから神谷町と名付けられました。
・浅草にある神谷バーも神谷家の流れ
・日本で初めて「化学」の名称を採用し、セメントなどを国産化した宇都宮三郎氏も神谷一族
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幸福寺ではご住職から様々お話しを聞かせていただき、とても勉強になりました。
歴史的なことは諸説あり、人によって見方も変わることもありますが、
せっかくここまで調べたので今後も神谷家の流れを調べたいと思います。
神谷家ルーツにご興味がある方は一度訪れてみてください‼️
↓
○妙國寺
〒444-0202 愛知県岡崎市宮地町寺北19
https://maps.app.goo.gl/M2ErcwNNpFLPL5ip7
神谷家の始祖である神谷高正公の祖父宇都宮泰藤のお墓があります。
ここから徒歩1分ほどのところに、新田義貞の首塚がある「糟目犬頭神社」があります。
○幸福寺
愛知県豊田市畝部西町屋敷51
https://www.his-trip.info/siseki/entry2647.html
高正公を含め、その子孫の6基の墓があります。
#参政党 #ルーツを辿る旅





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