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前田 弘一 ブログ

なぜ政治はイメージで騙すのか?| 認知科学と広告で解く「象徴政治」

2026/8/1

政治を見ていると、政策の中身よりも見た目(イメージ)が優先されている場面に出会います。
これを「ポピュリズム」や「衆愚政治」と呼ぶことは簡単です。
しかし、それでは現象の構造を説明したことにはなりません。

そこで鍵になるのが、政治学の概念「象徴政治(Symbolic Politics)」です。

象徴政治は、人間が政治を象徴で理解するという認知的前提から出発し、感情がどのように制度へと取り込まれるのかを分析する枠組みです。

この用語は約50年前に創作されていますが、その後の認知科学の発展や広告のあり方の周知によって、さらに立体的に理解できるようになりました。

●認知科学:人間は政治を象徴で把握する
●広告:象徴を設計し、感情を誘導する
●政治学:誘導された感情を制度に組み込む

この三つが交差する場所に、現代の象徴政治が成立しています。
本稿では、この三領域を使い、象徴が政治をどう動かし、なぜ私たちは象徴に影響されやすいのかを読み解きます。
 

1.象徴政治とは何か(政治学の基礎)

象徴政治という概念を広めたのは、アメリカの政治学者マレー・エデルマン(Murray Edelman)です。
彼は1964年の名著『The Symbolic Uses of Politics』で、政治を単なる「具体的な資源や利益の配分(法案の成立や予算の分配)」の場としてだけでなく、「象徴(シンボル)や儀礼を通じて、大衆の感情や認識を操作・安定させるプロセス」として捉えました。

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The Symbolic Uses of Politics(1964)
政治が「問題解決の装置」ではなく、
象徴を通じて大衆の感情・認識を操作する装置である
という構造を体系化した古典

具体的には、政治には次の3つの機能があるとされています。

 

(1)実質的利益と象徴的利益の分離

一部の集団に実質的利益(予算・規制緩和)を与える一方で、大衆には象徴(理念法、キャッチコピー)を与えて安心させます。
例えば、「ラグビーのまち東大阪市」は、ラグビー愛好者には豪勢なラグビー専用スタジアムが公費で提供されるという実質的な恩恵がありますが、一般市民には「ラグビーのまちであることに誇りに思う」という意識だけが植え付けられます。

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東大阪市花園ラグビー場(趣味娯楽施設)を誇らしげにする東大阪市長

 

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東大阪市 市民のスポーツ実施実態等に関するLINEアンケート結果公表(2026年1月実施)

 

(2)不安の鎮静化

災害時に作業着で現場視察する姿は、政策ではなく「寄り添うリーダー」という象徴的メッセージです。具体的活動がなくても、象徴的行為だけで人々は安心感を得てしまいます。

 

(3)認知の枠組みの提示

「敵と味方」「正義と悪」といった単純な構図で複雑な政治を理解させます。
「一億総活躍」など、中身が曖昧でも象徴として機能するキャッチフレーズがあります。

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市の広報誌で「ラグビーのまち」であることを市民に刷り込む

 

2.なぜ象徴が政治を動かすのか(認知科学)

象徴政治が成立する根本原因は人間の脳の構造にあります。

(1)人間は直感に頼っている

認知心理学者ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)は著書『ファスト&スロー』("Thinking, Fast and Slow" 原著は2011年)で、人間の思考を次の二つに分類しました。

システム1(直感・感情・自動)
システム2(論理・分析・熟考)

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人間は日常の9割以上をシステム1(脳に負担をかけない直感的な『省エネモード』の思考)で処理します
政治はシステム2(論理)で処理するように見えますが、政治は巨大で複雑であるためシステム2で理解するのはエネルギー不足になり不可能です。
そのため、人間は政治を理解する際に、「象徴」という処理しやすい情報形式に頼ることになり、システム1(直感)で処理することになります。
もちろん、専門家など、人によっては、システム2(論理)で処理できる場合もありますが、少数です。
この分類は、概念上の整理なので、精密ではありませんが、有効な補助線となります。

政治学が「象徴政治」として扱っている現象の正体は、認知科学の言葉を使えば「ヒューリスティクス(heuristics。直感による意思決定)」や「認知的経済性(脳の手抜き)」です。

具体例は次のとおりです。
●食料品を買う場合、CMのイメージで買うのはシステム1ですが、成分表やコスパを比較するのはシステム2です。
●ダイエットの手段を選択する場合、「なんとなく良さそう」で選ぶのはシステム1ですが、論文や統計で判断するのはシステム2です。
●政党や政治家を選ぶ場合、「清潔感がある」「力強い」で投票するのはシステム1ですが、政策集を読み財源を検証するのがシステム2です。

広告代理店がシャンプーを売るために使う「イメージ戦略」と、政治家を当選させるために使う「選挙戦略」は、人間の「システム1(直感)に頼る」という同じ認知の限界(特性)をターゲットにしているのです。

 

(2)政治におけるシステム1の処理

多くの場合、システム1で処理しても問題ありません。
しかし、政治における「象徴」や「広告」については、システム1で処理すると問題が発生します。

それは、政治に関しては「フィードバック(答え合わせ)の仕組み」が欠けているからです。

広告のイメージに騙されて質の悪いシャンプーを買ってしまっても「髪がゴワゴワする」という個人的な不利益がすぐに跳ね返ってきます。次からは買わなければ済みます。

イメージに騙されて間違った政治家や政策を選んでしまった場合、その代償(大増税、社会保障の崩壊、外交的失敗など)が自分に返ってくるのは数年〜数十年後です。しかも、その原因が「あの時の自分の投票」にあると気づくことは困難です。政治家は「あの政策は正しかった」と言い続けます。
人間はどこでも騙されたり手抜きをしたりする生き物ですが、政治だけは、騙されたこと(間違えたこと)に気づきにくく、しかもその被害が社会全体に及ぶため、システム1で処理すると最悪な形になるのです。

 

(3)政治学は認知科学の応用にすぎない

「象徴政治」という大層な名前がついていますが、その実態は「人間という、認知能力に限界を抱えた生き物が、国家という巨大なシステムを運営しようとした時に生じるバグと、そのバグを利用したハッキング行為(広告・演出)」に過ぎません。

政治学が何か特別な人間の心理を発見したわけではなく、認知科学が明らかにした「人間の脳の手抜きの習性」を、政治家や広告代理店が選挙という現場にそのままスライドさせて応用している、ということです。

 

3.広告とは何か(象徴操作の技術化)

現代の政治を語る上で、「広告代理店によるマーケティング」や「世論誘導のテクノロジー」との関係を外すのは非現実的であり、致命的な見落としになります。

政治学における「象徴政治」という議論自体が、まさにその「広告やメディアによる大衆操作」の誕生とリアルタイムに重なり合って発展してきたものなのです。

 

(1)象徴政治の近代化

かつての象徴政治(王政の儀礼や、戦前のプロパガンダなど)と、現代の広告代理店が指南する政治の最大の違いは、科学的なデータ分析に基づいているかどうかです。

現在の選挙活動は、単なる政治家の勘やカリスマ性に頼るものではなく、高度な政治マーケティング(Political Marketing)としてパッケージ化されています。

ターゲット層(無党派、高齢層、若年層など)の不満や欲望をビッグデータや世論調査で徹底的にその人物像や行動傾向を推定します。
そして、分析結果を基に、どのような服装、キャッチコピー、SNSの動画、フォントカラーが最もターゲットの感情を刺激するかを、広告代理店のクリエイターが緻密に計算して演出(ブランディング)します。

 

(2)人間の3類型

人間は、大きく次の3つの類型に分類できます。

●論理・データ重視層(シンボルに動かされない人達)
論理・データ重視層は、政策の具体的な中身、財源、過去のデータ、一貫性を厳密にチェックする人たちです。パフォーマンスを見ても「で、中身は?」と冷ややかに見極めます。この層にとって、安易な象徴政治はむしろ逆効果になります。

 

●シンボル・イメージ受容層(シンボルで動く人達)
日々の生活が忙しく、政治の細かい数字を追う余裕がないため、リーダーの姿勢や直感的なイメージ(シンボル)を信頼の指標にする人たちです。

 

●状況によって変化する層
普段は論理的に考えていても、大きな災害や戦争などの極限の危機に直面した際、不安にかられ、強いリーダー像という象徴に感情を動かされてしまう人たちです。

 

このように、社会には、少数ですが、動かされない人も確実に存在します。
しかし、選挙で勝つためには、論理的に深く考えてくれる少数の人を説得するよりも、シンボルやイメージで直感的に動いてくれる多数の人にアピールした方が効率的である、という冷酷な計算が働きます。この計算が、象徴政治を加速させます。そして、広告代理店を潤します。

世の中にはシンボルに惑わされず、「そのパフォーマンスの裏にある本質は何か?」を厳しく見分ける目を持った人たちがいます。そして、そうした動かされない人たちの批判精神こそが、象徴政治がプロパガンダ(大衆煽動)へと暴走するのを止める最後の砦です。

 

(3)商品は政策ではなく政治家本人

広告代理店が参入したことで、現代の政治は商品の販売と極めて近い構造になりました。
複雑な政策の違いを説明するのは難しいため、広告手法では「清潔感」「親しみやすさ」「決断力」といった政治家のイメージを商品として売り出します。本来は政策で選ぶべきであるにも関わらず、本来ではない要因によって差別化するのです。
広告の基本である「15秒のCMで印象に残す」技法が選挙に持ち込まれ、複雑な議論は削ぎ落とされ、耳触りの良いフレーズだけが氾濫することになります。

象徴を使って感情を動かす技術を最も体系化したのが広告産業です。
広告は、認知バイアスを利用して商品への好意をつくる技術です。
イメージ戦略、ワンフレーズ、色彩心理、有名人の起用、15秒で印象を残す構成
これらはすべて、システム1に直接働きかける象徴操作の技術です。
広告は、象徴政治の技術的な進化形と言えます。


(4)この現実をどう捉えるべきか?

広告代理店による選挙のコントロールを現実として認めた上で、私たちはそれをどう評価すべきでしょうか。次の2個の考え方があります。

●肯定論(技術としての効率性)
どれだけ高尚な理念を持っていても、選挙で勝たなければ(認知されなければ)スタートラインにすら立てません。現代の過剰な情報社会において、広告代理店のスキルを借りて有権者の関心を引くことは、政治勢力にとって生き残るための必須技術です。

●批判論(民主主義の変質)
政治が完全に広告のロジックに乗っ取られると、中身の政策が最も優れた人ではなく、最も優秀な広告代理店を雇う予算があり演出が上手い人が勝つことになります。これは民主主義を資本力とマーケティング技術の戦いに貶めます。

現代の象徴政治とは、広告代理店によってシステム化された感情のマーケティング技術です。
政治が広告商品と化した現代において、私たち有権者は、広告のパッケージ(象徴)の美しさに騙される「消費者」のままでいるのか、それとも中身の成分表(政策と実績)を厳しくチェックする「主権者」になれるのかという、極めて現代的な課題を突きつけられているのです。

 

4.象徴政治の病理(政治学による批判)

「象徴政治」という用語には社会に対する次の3つの問題提起が含まれています。

(1)「実質的な問題」を隠蔽する問題

象徴政治に関する最も強力な批判は、「シンボルは、支配層が都合の悪い現実(不平等や搾取)から大衆の目をそらすための目隠しである」という問題提起です。

給与が上がらない、福祉が削られる、格差が広がるといった「実質的な不利益」を被っている人々に対して、政治家が「伝統」「愛国心」「強い国家」といったエモーショナルなシンボルを強調します。

これにより、大衆は「自分たちの実質的な生活(経済)」ではなく「シンボルへの共感(感情)」で政治を判断させられ、結果として自分たちを苦しめている構造を自ら支持してしまうという、構造的な支配(虚偽意識の植え付け)が成立します。


(2)政治の劇場化という病理

象徴政治がエスカレートすると、政治は「具体的な政策の実行」ではなく、「いかにメディアを通じて良いイメージを演出するか」というエンターテインメント(劇場)に変貌します。

政治家は「実際に問題を解決すること」よりも「問題を解決しているように見えるパフォーマンス」に資源を割くようになります。
結果として、財政赤字や少子化といった地味で苦痛を伴う本質的な課題はすべて先送りされ、政治が「中身空っぽのショー」に堕落してしまいます。


(3)社会の情動化と合理主義の崩壊

民主主義の理想は、市民が理性的に議論し、熟議によって合意を形成することです。しかし、象徴政治は「理性の麻痺」を引き起こします。

シンボルは、人々の恐怖、怒り、帰属意識といった原始的な感情(情動)をダイレクトに刺激します。

政治がシンボル論争(例:「敵か味方か」「伝統か革新か」といった二項対立のシンボル)に終始するようになると、客観的なデータや論理的な反論はすべて「敵の攻撃」として排除されます。社会から「理性的な話し合い」のスペースが消え失せ、感情的な分断とポピュリズム(大衆煽動)が暴走することになります。

 

5.日本で「象徴政治」が普及しない理由

人間が構築する社会は似たり寄ったりです。
アメリカで概念化された symbolic politics が、日本で発生していないはずはありません。

しかし、日本語圏の政治言説では、この学術的概念が一般社会に普及せず、代わりに「ポピュリズム」「衆愚政治」「反知性主義」「民度」といった道徳的非難語が中心になっています。

本来「象徴政治」は、政策がどのような象徴(イメージ・感情・物語)を用いて正当性を獲得しようとしているかを分析するための用語です。
この用語を批判語として使う場合、「実質より象徴を優先し、説明責任を回避している」という明確な意味を持ちます。他の曖昧な非難語に比べれば、はるかに定義が安定しています。
緻密な議論が必要な政策を象徴でごまかし、熟考を避ける雰囲気を作る場合には、「それは象徴政治だ」と批判することが正当です。
東大阪市の「ラグビーのまち」政策における「トライくん」のように、象徴が政策の正当化に使われる例は身近に見られます。

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東大阪市の象徴・ラグビー選手の「トライくん」
多くの市民はラグビー愛好者ではない、という実態はある

では、なぜ日本ではこの有用な用語が普及しないのでしょうか。
これはアメリカとの比較で理解できます。
アメリカでも一般言説(テレビ・SNS)では symbolic politics は多用されません。
しかし、アメリカの政治学界では(政治制度論だけでなく)政治コミュニケーションが重視され、象徴政治はその中心用語です。
多民族社会であるアメリカでは、政治的コミュニケーションが象徴に依存する度合いが大きく、そのため象徴政治という用語が発達したと考えられます。

「象徴政治」という用語は、日本で普及していないという現実はありますが、有用であることに間違いはありません。


おわりに

「象徴政治」という用語が創作された当時は概念が思索の域内でした。
それを、人間の脳の限界 × 広告技術 × 政治制度 と交差させることによって、政治を科学的にとらえ分析できるようになります。

多かれ少なかれ、政治の場(例えば、選挙ポスター)では、何らかの象徴的な文言を使い、候補者は象徴的な姿勢をしています。
象徴は、すでに至る所に普及しているのです。いまさらこれを批判したところで後戻りはできません。

「象徴政治」という概念を有用な道具として継承しつつ、人間の認知のあり方を理解し、現代的な広告宣伝技法に注意を払えばよいでしょう。

私たちは、象徴の美しさに惑わされる消費者でいるのか、それとも政策の中身を読み解く主権者になるのか。
「象徴政治」は、その選択を私たちに突きつけています。

 

以上

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著者

前田 弘一

前田 弘一

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