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日本の絡合と幸福(8)「なぜ、日本の天皇陛下だけが偉いのか?」

2024/11/8

 織田信長が天皇陛下を切り殺さなかったのは、日本人の心の奥底に天皇陛下を切りころすということに対する罪の意識が非常に高かったと思われます。それは現在の私たちもそうなんです。現在も天皇陛下が別に実権を持っておられるわけじゃないけど、私たち日本国民が天皇陛下を切るってことになると、これはもう感じとして地獄に落ちるかなとまいうような感情が湧きますね。でこれが一体何なのかっていうことなんですね。で今日は天皇陛下に対する日本人の意識形成のもう1つのポイントはやっぱり仁徳天皇と秦の始皇帝を出してみます。

 今日貼り付けた写真は1つは仁徳天皇が宮廷から民の住んでるところを見ますと、民のかまどから煮炊きをする煙が出てるかどうか、これをご覧になって民のかまどは賑い蹴り。実をちょっと言いますと、この頃ちょっと飢饉なんかが続きましてね、民のかまどは必ずを賑わってはなかった。そして天皇はこれはまずいと思ってですね、やっぱり民が元気じゃなきゃいけないということで、え税金だとか使役。使役つうのはまいろんな水を作ったらなんかその公共工事に出る人ですね、こういうのを控えてしかも3年経って、結構民のかまどは賑わってきたなと。大いになってもさらにそれから3年は、かなり税だとか使役を控えてですね、これで民が非常に十分良くなってからえ宮廷の改造とかま、そういうことをやったとまいう風に歴史的にはなっております。それはね、一般的に社会の上に立つそういう王様とか陛下、天皇とか天使とかそういう人たちが常に民のことを考えていたかというと、それはもうほとんど日本だけって感じですね。

 日本の天皇陛下のはっきりした記録っていうのは、歴史的な記録っていうのは奈良時代ぐらいからしかないんですけども、奈良時代と平安時代中期までの天皇陛下の姿勢はですねやはり基本的には日本の国民が豊かになることをお喜びになったとまいう風に感じられますね。もちろん天皇陛下及びその後継者同士の戦いなんかもありましたし、それから厳しい見方ではね、例えばある程度民から税金を取ったり、使役させたりして高圧的だった天皇もおられますが、一般的な認識としてはそうではありませんでした。これは奈良時代とか平安時代ばかりでなく、その後の天皇陛下ないしは天皇陛下ばかりでなくて、それはあの源氏とか北条氏が天下を握った鎌倉時代であっても足利氏が天下を握った時代であっても、そして徳川が握った歴史的な時代にあってもね、やはり民のこと領民のことを考えた政治は私の見るところ、他の世界の国よりか断然ですね。日本の方が平等性が高かったと思います。これについては特に日本を非難しよう、日本を痛めつけようと思っている左翼の人とか文化人で反対の人がいますが、それはやはり僕は素直に現状を見てないと思いますね。

 それの1つの例として秦の始皇帝時代、これは紀元前200年ですから、少し前なんですけどもそれから大体え仁徳天皇の時代になるとさらに人民との間が開いてきますけどね。その兵馬俑、これは中国にありましてね、秦の始皇帝を守るべき兵士の人形なんですけど、この写真にあるようにも、山のような兵士が秦の始皇帝を守るという名目で土の中に埋められてたわけですね。秦の始皇帝はもちろんご存知の通り徐福かなんかを使って、自分が永久の命を保つように薬を持ってこいと。まいうなこともやっております。つまり権力を握ると兵士を何万人とこれは土ですけども地下に埋めてもいいという感じですね。この現状と仁徳天皇の民のかまどが賑わうまでは徴税や使役は控えようという政治とどんなに大きく違うかと私は思うんですね。ところがこれ問題なのは私たちの錯覚の元になってるのは、秦の始皇帝の方を文明とか文化つってるんです。

 それで日本のようにあまり支配体制がはっきりしてない。もしくは縄文時代とかそういう風に言えば、そこのところにある村のおさとあと平民というような関係は文明が発達してないと見るんです。私は若い頃まだ歴史を勉強し始めた頃、古代オリエント学ってのは非常に盛んで、しかも面白かったですよ。古代オリエントに少しずつエジプトが先なんですけども古代オリエント学の中心はやっぱりチグリスユーフラテス川の横にあった、今で言えばサウジアラビアの北方からイランとかねイラクとかいうところに、文明が非常にこう輝いて見えましたね。ところがそこで行われてることはもう血で血を洗う生臭い戦いでした。特にアッシリアという国がメソポタミアを統一したというよなことのいろんな歴史を僕は勉強した頃はね、まあ20代の後半から30代の最初だったと思いますけど。血沸き肉踊りました。素晴らしい文明だという風に錯覚をしました。今読み直すとなんて紀元前3000年とか4000年に、こんな生臭いことが起こったのか。それに対して日本っていうのは本当にこう牧歌的で、いい国だったなとこう思いますね。

 古代オリエント学を書いた歴史学者はやはり大きな帝国だとか、そこにおける金属性の武器がどこにいつ発生したかとか、どのくらい殺戮したかとかそれからイスラエルからユダヤ人をバビロニアにどのくらい幽閉したかとか、そういう力づくの歴史にやっぱり憧れを持ったんでしょうね。いい面に書いてるんですよ。だから兵馬俑なんかでも現在これ世界遺産に否定されてると思いますけどね。僕にいわせりゃ絶対に世界遺産じゃありません。これは残虐な国民の圧迫を持って良しとするという文明に対する考え方が僕は曲がってると思ってます。僕はですよ人によって違いますから。だから僕はもっと歴史というのが国民の10%の人がいいことをいいっていうんじゃなくて、国民の90%の人がいいと思うような時代を輝かしい時代であると定義をしてですね、それで国民の大半が圧迫されてるような秦の兵馬俑みたいなものはむしろ歴史の汚点としてまさか世界遺産なんかにしない。私はそう思うんですね。で僕は今度のこの絡合と幸福というシリーズではこの織田信長のお辞儀の絵ですね、これはフランス人が私になんで織田信長は天皇陛下を切りころさなかったのかというセリフと、私がそれを思い至らなかったということですね。

 それからこの仁徳天皇と秦の始皇帝の兵馬俑との差はですね、こういうことを通じて日本の国民と天皇陛下の間の関係ができてきたんじゃないかと思うんですね。それはやっぱ中国の秦の始皇帝から漢唐宋元明清と王朝が変わってきますが、これは王朝が変わるごとにいわゆる天使と言われる人が切りころされて、墓は暴かれて、そして新しい王朝が開かれると。だからある意味では中国という国ではなくて、中国という地域を示してるもんだと思いますね。元という国がモンゴルから来て中国を支配しただけですね、地域を。清もそうですね、清は満州国の方から女心族が来てですね、ヌルハという思想がいるんですけどもそれがえ北京かななんかを占領したという外国の国ですね。だからそれを日本に当てはめれば、例えば鎌倉時代の武士はどっかの海の方から来て、それで日本民族を全部切りころして鎌倉幕府を立てた。しばらくして室町幕府ていうのは日本民族が作ったけど、江戸時代になったら今度は徳川という人たちがなんか北方か南方から来て、日本民族じゃない人が占領したと。こういう状態なんですね。ですから日本の歴史を考える時と中国の歴史を考える時はもう全然根本的に考え方変えて我々見なきゃいけないわけですね。

 ですから中国人の性格っていうのは、まある意味じゃ非常に辛いっていうか自分の理に、利益というものに非常にこう執着する。日本人はそんなことはない。これはもう江戸の終わりにヨーロッパとか、アメリカから来た多くの人がそういう描写をしております。こういった歴史、それから民族同士の絡合。私はね、ここで言いたいのはこの中で天皇陛下というものの性質が決まってきたと思うんですね。偉さとか性質が決まってきた。つまり天皇陛下は天皇家という血筋で偉くなったわけじゃなくて、日本人の偉さと天皇陛下という日本におけるこの絡合が、天皇陛下の昭和天皇のもう考えられないぐらいの勇気、考え方、見識をもたらしたんだと思うんですね。

 絡合というのはそういう力を持っております。これは多くの動物植物の研究からもですね、群れというのはバラバラではない。群全体で1つの知恵ができ、道徳ができ、生態系ができるんですよ。だから1匹でなることと1万匹でなることは全く違うんですね。日本国てのは大体1000万人から4000万人ぐらいで日本国を形成してきました。そういった大勢の日本人の1人1人の心ですね、1人1人の心がその日本という国のトップに立つ天皇陛下に影響を及ぼして、絶対に影響を及ぼして欲しいと思います。その影響を及ぼしてですね、天皇陛下の人格というのを形成した。これをもっと厳しく言えばもう少し考えてみますけど、天皇陛下の人格。それから徳川将軍の人格。もしくは仁徳天皇の人格というのは、その仁徳天皇や徳川の将軍や昭和天皇が自らお作りになったもんではなくて、これは日本民族の全体の道徳的なものでできてるという風に考えられます。

 その点で現在の実際の衆議院議員選挙の様子なんか見ますとね、やはり衆議院議員の乱れ、ほとんどの人がお金を目指して議員になる。もしくはその中にはね一般的にはもう強盗集団とか窃盗集団と思われるような政党も存在する。これはやはり日本民族全体のやっぱり絡合によってね、上から下までって言い方あまり好きじゃないんですが、国民全体のレベルがものすごく下がってきたんではないか。つまり昭和天皇が大東亜戦争の終了にあたってね、あのような素晴らしい態度を取ったのを最後にして、日本民族が今大きく立派さを失いつあるんではないか。これが我々の子供とかそういうのに大きな影響を及ぼさなきゃいいなと。何でも金、日本にはそういう文明がないのに、何でも金。それが結局この秦の始皇帝の兵馬俑というものを生んで、人間が中心とはならない社会を作った。まさに人間が物体のように扱われる。

 私が少し前にこのブログで言いましたようにね、時短というのはね、非常にあきれ果てるような政策が自民党の下で行われるということと、この仁徳天皇の民のかまどは賑い蹴りというのが誰を焦点としてるか。仁徳天皇は日本国民を人間として見てるんです。現在の経団連は日本国民を物として見てる。この大きなね時代の変化と。これ時代の変化じゃないですね劣化ですね。これを早くしないといけない。その意味で私は昭和天皇が大東亜戦争集結の時に放たれた言葉の意味をもう少し考え、そして昭和天皇があれほど偉かったのは何が原因してるのかということもじっくり考えてみなきゃいけないと私は思っております。

 

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著者

中村 ひとし

中村 ひとし

選挙 阿久比町議会議員選挙 (2023/04/23) [当選] 524 票
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