2026/1/20
皆さんこんにちは、一等を狙う漢、仁藤すぐるです!
今日は、街頭演説でもお話ししている
命がけで日本を守ってくれた先人たちについて、
改めてブログとして想いを綴りたいと思います。
その中には、アメリカ軍も恐怖したといわれる
神風特攻隊の隊員たちがいます。
彼らは、本土決戦となり、
多くの国民が犠牲になる事態を何としても食い止めたい、
その一心で、数年にわたる訓練の末、覚悟を決めて飛び立ちました。
年齢は17歳から32歳。
ほとんどが、私よりもはるかに若い青年たちです。
未来の日本を担うはずだった、優秀な若者も少なくありません。
彼らの想いを、
「歴史」としてではなく「心」として知る必要がある。
そう感じ、縁あって
鹿児島県・知覧特攻平和会館を訪れました。
渡航前日は台風が接近し、
無事に現地へ行けるか分からない状況でした。
しかし当日、嘘のように空は晴れ、無事に到着。
不思議と「呼ばれている」ような感覚を覚えました。
知覧に到着すると、
桜の木はすでに緑に変わっていましたが、
そこには言葉を失うほど厳かな空気が流れていました。

館内には写真撮影禁止のエリアが多くあります。
だからこそ、これは文章や映像ではなく、
ぜひ実際に足を運んで感じてほしい場所だと思います。
展示されていたのは、
特攻に向かった隊員たちの写真、
そして遺書や手紙の数々でした。
その多くは、
自分の兄弟、家族、愛する人へ、
そしてこれから日本に生きる人たちの幸せと繁栄を祈る言葉でした。
そこに、自分のための言葉はほとんどありません。
彼らは、未来を信じ、未来に託して飛び立ったのです。
私が特に心を打たれたのは、
「なぜ、これから命を懸けて出撃する人たちが、
写真の中で笑顔なのか」という点でした。
これはあくまで私個人の感じたことですが、
その笑顔は、
写真を見る家族や、未来の日本人に向けた
「どうか、どうか笑顔で生きてほしい」
「僕たちの死を無駄にしないでほしい」
という、静かな願いだったのではないかと感じました。
そして、この想いは
決して知覧だけの話ではありません。
実は、私たちの住む太田市も、
かつて零式艦上戦闘機の生産に関わった地です。
つまり、
先人たちの覚悟と犠牲は、
遠い土地の出来事ではなく、
私たちの足元の歴史でもあるのです。
先人たちが命を懸けて守り、つないできた我が国・日本。
今、世界は混乱し、その渦に飲み込まれそうになっています。
戦後81年。
この閉塞した状況を打破するためにも、
先人たちがどのような想いで未来を託したのかを知ることが、
今を生きる私たちに求められているのではないでしょうか。
私たちが今、生きていることは、決して当たり前ではありません。
だからこそ、
次の世代のために、政治や社会と本気で向き合うこと
それが、今を生きる私たちの責任だと私は思います。
いよいよ、大きな選挙が始まろうとしています。
先人たちが命を懸けて守り、つないできたこの国の未来を、
私たち一人ひとりの意思で選び取っていきましょう。
短い文章ではありますが、
私の想いが少しでも皆さんの心に届くことを願っています。
最後に、現地で丁寧にガイドをしてくださった
南九州市議会議員・しい千恵議員に、心より感謝申し上げます。


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