今年も、安城七夕まつりに輪島ブース出展中、アンフォーレエントランスにて
2025/8/2
つつい広治 メッセージ
ツツイ ヒロハル/59歳/男
2025/8/2
2025/7/8
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2025/5/10
2025/4/25
2025/4/17
| 生年月日 | 1966年04月23日 |
|---|---|
| 年齢 | 59歳 |
| 星座 | おうし座 |
| 出身地 | 愛知県安城市 |
| 好きな食べ物 | 納豆、カレーライス、シニガン(フィリピン料理) |
「東日本大震災のボランティアへ」
2011年3月11日午後、私は、打ち合わせのため、愛知県知立市役所の庁舎にいました。
戻ってから、東北地方で震度8強という甚大な被害が起こっていることを知りました。同時に、「これは行かなければ行けない。」と強く思いました。
仕事の合間に東北に行くことができる日程を探し、2011年6月に陸前高田市、12月には南三陸町へ。
現地では瓦礫の撤去とゴミの分別が主な作業でした。
2012年1月には、宮城県石巻市へボランティアに行きます。
ここで人生を変える体験をすることになりました。
被災地ボランティアの場合、活動内容は通常現地で伝えられるのですが、石巻のボランティアには驚きました。
「仮設住宅を回って、住人さんとお話しをする」
これがボランティアの内容なのです。
最初に聞いた時、「これがボランティアなのか?」と少々拍子抜けしました。
ガッツリ、泥かきや重たい粗大ゴミを運ぶような作業をイメージしていたからです。
ところで、仮設住宅の住人さんに手ぶらで訪問すると、「何しに来たの?」と言われる可能性もあります。
そこで、現地NPOが作ったミニコミ紙を持って、「配布に来ました。」ということをきっかけにしました。
その後、会話を始めるわけです。
担当になった仮設住宅を二人組で回り、留守の場合は時間をおいて再度訪問する。
それでも留守の場合は、ミニコミ紙の端っこに一文書いて郵便受けに入れる。
そんな作業でした。
1月の石巻は寒くて風が強く、外で文字を書くのも大変だった記憶があります。
被災された方は、抽選で仮設住宅に入居していました。
ですから、同じ仮設団地に被災前の知り合いはほとんどいません。
お互いに面識がないため、辛い被災体験を話すことがありませんでした。
仮設住宅で隣同士であっても、コミュニケーションの機会が無いのです。
そこで、遠方から来た我々ボランティアが話し相手になるわけです。
わたしがある仮設住宅を訪問すると、堰を切ったように話し出すことがありました。
1時間以上話し続ける人が、何人もいたのです。
私の自己紹介など、どうでもいい。
ただ、聞いて欲しい。
話を聞いてもらいたい友だちや知り合いも亡くして、コミュニケーションの機会に飢えていたのでしょう。
このボランティアは、ピースボート災害ボランティアセンターが主催で、8泊9日でした(1泊は行きの夜行バス)。
何日目だったでしょうか?
公園に建てられたこじんまりとした仮設住宅を担当しました。
そこで、60歳を超えておられるだろう年配の女性に出会いました。
あいさつをすると、女性は話し出して止まらなくなったのです。
その女性は、こんなことを話してくれました。
「あの日(2011.3.11)、地震の後、家の周りは大混乱でした。家には寝たきりのお義母さんがいて、どうすればいいか、わかりませんでした。車を呼ばなければ、お義母さんを避難させることができないが、電話は通じない。そうしているうちに、「玄関に黒い水が来た。」もう、どうにもならない。」
女性は、お義母さんの上に覆い被さり、ベッドの端をしっかり掴んだそうです。
夢中で、とにかく、手を絶対離さない。それだけを考えて!
気がつくと自分の体が浮いていて、下の方にコンビニの看板ポールが見えたとのこと。
いつの間にか手を離してしまい、ベッドはどこかに行ってしまったそうです。
「だんだん、自分の体が下がって行き、ポールが近づいて来るのがわかった。つかめそう。つかまなきゃと思って、つかめた。」
水が引くと、かなり高い位置にいて、降りるに降りられない。
みぞれが降る天気の中、震えていると、周りから人が出て来て、タンスや机を積み上げて、助けてもらったそうです。
後日、お義母さんは遺体で発見されたそうです。
1時間と少しの立ち話でしたが、本当に胸が詰まる思いでした。
女性は、私に話すことで、少しは気が楽になったのかな?
詳しく聞けませんでしたが、ほんの少し役に立ったかな…と思いました。
同時に、大きな津波が来ない地域でも、防災対策をしっかりしなければならない。
突然の別れになってしまわないように、対策をしなければならない
と思いました。
---
「安城市では震災の対する意識の差が激しすぎる」
その後、2013年3月、2015年1月、2015年6月、2016年1月と、このボランティアに行きました。
しかし、震災から5年がたつと、企業からの協賛金が集まらなくなり、ピースボート災害ボランティアセンターとしては、続けられなくなりました。
その時、職員として働いていた女性が、独立して新たな団体を設立して、新聞作りと訪問傾聴のボランティア活動が継続できることになりました。
設立に資金が必要ということで、寄付をして、新団体としての第1号の印刷も手伝い行って、配布を行いました。
この活動をもっとたくさんの人に知ってもらいたいと思い、2017年7月29日、新団体「石巻復興きずな新聞舎」の代表を安城に招いて、講演会を実施しました。
震災から6年も経過して集客に苦労しましたが、地元私立高校に情報が伝わって、参加してもらえました。
この講演会を実施するにあたり、市内の防災団体とつながりができて、現在、防災啓発に取り組む自分があります。
「安城防災ネット」という市民活動団体です。
主に、小学校の「防災学習」の授業をしたり、町内会からの依頼で、防災訓練にて必要なことお話ししたり、実践しています。
そこで問題点を強く意識することになります。
「防災の行事に出てくる人は同じ人ばかりで、地震対策をしている人とそうでない人の差が大きい」
わたしはこれを大変問題だと思っています。
世の中、少子高齢化社会対策を進める必要があります。
さらにそこへ確実に防災対策を盛り込んで行くことが必要です。
大きな災害が起これば、そこで大きく人口が減少してしまうからです。
南海トラフ巨大地震が発生する確率は、今後30年間で70〜80%でした。
しかし最近では、今後40年間で90%という確率が、政府の地震調査会から発表されました。
しかし、自分の所属する防災団体も、市内の別の防災団体も、高齢化が進んでいます。
65歳以上が過半数です。
このままでは、防災啓発をする団体が無くなってしまうでしょう。
さらに、町内会を母体とする自主防災会が町内防災訓練を行っていますが、こちらも町内会役員が半数以上兼務しているため、高齢化が進んでいます。
市は自主防災会向けの研修会をやっていますが、出席するのは、
「高齢の男性が90%」
です。
子育て世代や女性向けの研修会、さらに、防災啓発をするリーダーの養成が急務です。
市危機管理課は、国から来るマニュアル作りに手一杯な感じがあり、長くても5年で異動になります。
命に直結する防災に対して、熟練したリーダーが育たない仕組みになっているのです。
防災を専門的に突っ込んでやっている市民から見ると、5年毎に防災素人を相手にすることになります。
しかし、市とうまく連携して、防災マニュアルを上手に市民に浸透させ、市民の意識改革をしていきたい。
そのために、市議会議員としてうまく動きたいと思っています。
7年前まで、市の職員をやっていましたので、ちょうど、同僚や後輩が課長になる時期です。うまく回れば、急速に対策は進むと思います。
被災地支援ボランティア活動
【東日本大震災関係】
・陸前高田市
2011年6月(安城市職員として団体派遣・受入は、社会福祉協議会災害ボランティアセンター)
2014年3月(JTB被災地支援ツアー・受入は、社会福祉協議会災害ボランティアセンター)
・陸前高田市
2014年3月、2015年3月、2016年8月、2017年12月、2018年11月、2019年3月、(NPO法人桜ライン311〇津波到達点に桜を植樹する活動)
・南三陸町
2011年12月、2012年3月(JTB被災地支援ツアー・受入は、社会福祉協議会災害ボランティアセンター)
・石巻市
2012年1月(2回)、2013年3月、2013年3月、2015年1月、2015年6月、2016年1月、(NPO法人ピースボート災害ボランティアセンター)
2016年6月、2018年12月、(石巻復興きずな新聞舎)
【常総水害(鬼怒川決壊)】
・常総市
2015年10月(2回)(NPO法人ピースボート災害ボランティアセンター)、2015年11月(2回)、2015年12月(2回)社会福祉協議会災害ボランティアセンター)
【熊本地震】
・御船町
2016年4月(愛知ボランティアセンター夜行ツアー)
・南阿曾村
2016年5月(社会福祉協議会災害ボランティアセンター)
・南阿曾村
2016年5月(NPO法人ユナイテッドアース)
【西日本豪雨】
・真備町
2018年7月(社会福祉協議会災害ボランティアセンター)
【令和元年台風19号被害(千曲川決壊)】
・長野市
2019年11月(社会福祉協議会災害ボランティアセンター)
南海トラフ地震が発生する確率は、かなり高い数字です。子育てにしても、スポーツにしても、お祭りにしても、何かやっている時に、常に地震対策をしていなければなりません。
いったい、どの程度の家庭が取り組んでいるのでしょうか?家具の固定、観音扉対策、非常持ち出し袋の準備はできているでしょうか?
小さなお子様のいるご家庭、子どものお父さんの帰りが遅いこともあると思います。そんな時、もし巨大地震が起きたら、母親だけでうまく対応できるでしょうか?
お父さんは、道路の損壊、交通事故、大渋滞で、家に戻れないかもしれません。
子どものスポーツ練習、総合運動公園で見ていると、スポーツの道具とタオル・水ぐらいしか持っていない子どもをよく見かけます。着替えやライト、非常用トイレも必要ですし、夕方から夜の練習では、家に帰れなくなることを想定し、上着やお尻を下ろすマットなどもあったほうがいいです。
送り迎えの親御さんの車に、シートや水、非常用トイレ、非常食は積んであるでしょうか?
お祭りでは、やぐらが倒れる危険性があります。火を使って調理するお店が、どんな対策をしているのか、知っているでしょうか?公共交通機関が止まった場合、まつりの主催者は、対応策を考えているでしょうか?
私の住む愛知県安城市では、水害も少ないので、「ここは安全だ。」という意識が広がっていて、返って地震の際、被害が大きくなるのではないかと心配です。市が耐震調査無料の制度を作っていますが、調査を受ける物件が少ないのが現状です。阪神淡路大震災では、1階が駐車場で2回以上が居住室という1階に壁が少ない建物がたくさん倒壊しています。人々の意識を変えることが急務です。
■ 子どもの習いごとを主催する塾、スポーツ指導団体などに、災害対策を進めます。
小学校での防災学習では、どうしても教室にいる時に地震が起こると想定しまうので、学校の次に子どもが過ごす時間の長いと思われる場での災害対策を進めます。
■女性を対象とした防災研修を行います。身近な防災と言うと、町内会の防災訓練をあげる人が多いです。町内会役員が主体となるため、高齢の男性が訓練や講義内容を決めます。しかし、一般的には、女性が家にいる時間が長いと思います。
■また、子どもが防災に興味を持って、お父さんお母さんを引っ張って、防災イベントに来るようになれば、親も子どもの言うこと耳を傾けるでしょう。ですので、防災ゲームに取り組んでいきたいと思います。
防災ゲームを楽しんでいたら、「いつの間にか防災のこと、いっぱい知ってた〜」となるように!
ゲームなので、ふつうの〇〇フェスタのようなイベントの中に出展して、普段防災イベントに足を運ばない人たちにぜひ来て欲しいです。
防災ゲームに取り組む団体なら、市内のどんな団体でも、無料で研修会に参加してもらい、実際の出展回数と規模に応じて、報償金を出したい思います。
■家具の固定は、急務です。
家自体に耐震性があっても、家具にぶつかって死亡したり大怪我をする可能性があります。家具の固定に補助金を出す制度を創設したいと思います。ただし、建物の耐震調査を受けることを条件とします。
■一定規模以上の人が集まるイベントでは、防災対策が施されていることを条件とします。
防災士資格を持っていて、かつ防災啓発活動を実際に行っている者の常駐、キッチンカーなど火を使う場所の安全対策の確認、帰宅困難者の待機場所の確保などです。
従来から毎年実施するイベントで、開催範囲が広すぎるイベントは、区域を区切って、毎年対策を考え、複数年で防災対策が完了するようにします。
■町内会とは別に、コミュニティ作りをする団体を支援します。
なお、被災後の生活では、地域コミュニティが機能するかどうかが、大きな鍵になります。
日頃からの近隣の人が集まる活動を促進するため、町内会とは別に、コミュニティ作りをする団体に、経費の補助金を出します。