2025/2/23


健軍自衛隊駐屯地内にある 「義烈空挺隊慰霊碑」に昨年夏以来の訪問。
尊い命を捧げられた御英霊に、感謝と 崇敬を捧げるため、献花して参りました。
義烈空挺隊とは、大東亜戦争末期の 昭和20年5月、アメリカ軍に占領された 沖縄の飛行場を攻撃するために 編成された精鋭の特別攻撃隊です。 隊長は若干26歳、陸軍幼年学校出身の エリート、奥山道郎大尉でした。
昭和19年7月サイパンが米軍に占領 されたことにより、東京はB29の 爆撃圏内に入ることになります。 その後B29が飛来するたびに 日本の主要都市は火の海となり 一般市民の命が奪われます。 これを何とかしなければと 考えられたのが、義号作戦でした。 既に制空圏、制海権を失っていた沖縄。 そこに強烈な対空砲火を浴びながら、 強硬着陸。B29を焼き払い戦闘能力を奪う という作戦でした。 .

昭和20年5月24日 それぞれの故郷に向かい遥拝し 夕陽が沈む金峰山を背に12機168人が 熊本市健軍飛行場を飛び立ちました。 義烈空挺隊の沖縄本島への壮絶なる突入は 内外に大きな衝撃を与えることとなり、 甚大な損害を受けた米軍は忠烈の凄まじさに 畏怖の念を強くしたと言われています。
硫黄島の戦い同様 当時の方々の想いは、 【一日でも米軍による本土爆撃を 遅らせ、残してきた家族、 特に女性や子どもたちを守りたい。 そして、それを何とか足がかりにして 日本を再興してほしい。】 その一心だったのではないでしょうか。 . 「無謀な戦争だった」と 言われることもありますが、 しかし当時の歴史を見ると欧米列強が跋扈し、 アジアやアフリカでほぼ唯一日本だけが 自力で独立を保っていた時代。 英霊の方々が戦っていなければ、 私たちは存在しないどころか、 アジアやアフリカの国々も独立できず 未だに苛烈な植民地支配が 続いていたかもしれません。
度々訪れることで、 今我々が生かされていること。 そして、私自身、何のために政治に 関わっているのかを思い出させて いただいております。






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