2024/1/17
29年前も、私は今朝と同様に、数日前からの発熱で意識朦朧としていました。
あの朝、木造築50年の仮住まいの2階にて、
壁が平行四辺形の両側になるような大きな揺れを経験しました。
まだ結婚前で、京都の実家の建て替え中でしたので、近所に家族5人と猫数匹とで、仮住まいをしていたのです。
あの日、高熱の体で揺れの中、思いました。
この体では、私はここから走って避難なんてできない、きっとこのまま、、、、と。
体調が回復して仕事に向かい、
お休みの日には、仲間と募金活動を行い、
入院中の祖母には、できるだけ、ご飯の時間にお話をするために付き添い、
「今」を大切に、生きてきました。
12年前の震災の時は、私は妊娠中で、
(当時)広汎性発達障害と診断されていた長男が幼児、
長女は6年生で、集団下校なのか引き渡しなのか分からず。
身重の体でしたが、
我が子たちを守るため、必死で考えて、行動をしました。。。
あの時のさまざまな経験、忘れるわけがありません。
12年前の震災の際に
自分の経験で役に立ったことは、
・普段から多めにお米と水を買っていたこと。
・現金と乾電池は常備していること。
・ガスの復旧の仕方を知っていたこと。
・車にオムツパックなど必需品を入れていたこと。
・それまでの毎年9月1日の非常持ち出し袋見直しの時に、
食べものはカンパンだけではなく、超偏食の長男が普段から食べている、中チョコのお菓子を常備していたこと。
など。
障害のある子どもを抱えては、一般的な避難所には行けないので、
在宅避難についての情報を、個人的に集めたりするようになりました。
現在、公の立場となり、防災や安全対策で、まだまだ行き届いていないところに対して、災害対策・防犯等の特別委員としても指摘をして参りましたが、
今日の私はまた熱があり、、
素早い対応や、大きなお仕事ができず、非常に悔しいです。
しかし今後の長い時間をかけた支援は、例えばメンタルヘルスなども含めて
いろいろな形で必要になると思いますので、
体調が戻りましたら、しっかりと働きます。
災害で亡くなられた方々、そして
災害があったことで亡くなられた方々へ、
改めて哀悼の意を表します。
鈴木 千鶴 (旧姓 西村)
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