2025/6/24
6月23日 慰霊の日
恥ずかしながら、私は沖縄に移り住むまで、
「慰霊の日」があることすら知りませんでした。
那覇に来る前の私にとって、沖縄戦は
ただ教科書の中の出来事でしかありませんでした。
けれど、那覇で暮らすようになってから、
日々の生活の中で、戦争の記憶や語りにふれる機会をいただき、
沖縄戦が「今につながる現実」なのだと、少しずつ実感するようになりました。
ここ数年、
友人の山城彰子さんにご協力いただきながら、
自分が暮らすこの那覇のまちにスポットを当てた、
小さな平和学習を開催しています。
ふだんの生活の中では、平和について立ち止まって考える時間は
なかなか持てないものです。
だからこそ、せめて慰霊の日だけでも
沖縄戦のことを学び、平和とは何かを考える1日にしたい。
そんな思いで、この取り組みを続けています。
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【壺屋から神里原まちまーい】
ー戦中から戦後那覇を考えるー
【日時】6月23(月)慰霊の日
【講師】
山城彰子(てぃーだあみ共同代表)
『南城市の沖縄戦』、『中城村の沖縄戦』元編集事務局
那覇市中心地は開発のスパンが早く、歴史的な場所はなかなか残っていないんじゃないかと思われがちですが、そこにはもちろん歴史があります。今回のフィールドワークでは、壺屋から神里原をまわって戦中から戦後那覇について学びます。
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今回は事務所近くの壺屋から神里原をめぐるまちまーい(まち歩き)で
戦中の激しい戦闘や、戦後の復興の歩みを学びました。
壺屋のてんぷら坂には、かつて壕があり、1944年10月9日に完成し、10月10日の那覇大空襲では、多くの住民の命を守ったそうです。1日前に完成したのは驚きです。その壕は1994年になくなりましたが、坂の入り口には案内板が設置されていますよ。ちなみに、てんぷら坂という名前の由来には、驚きのエピソードも!気になる方は、ぜひ現地の案内板をチェックしてみてくださいね。
そして、壺屋周辺の5月頃の戦闘では、夜間に日本軍が奇襲作戦を行い、敵か住民かの区別もつかないまま、数多くの住民が巻き込まれています。軍は作戦遂行を最優先し、住民の命をなんとも思っていなかったことは明らかです。
壺屋やちむん通りの真ん中あたり、壺屋市役所跡地から神里原の劇場跡地までを巡りました。戦後復興は壺屋から始まり、少しずつまわりの地域へと広がっていったそうです。
何気なく歩いている道、いつも通る通りにも、こんな歴史があったんだ。
あらためて足元を見つめ直す機会になりました。
講師をしてくださった山城さん、サポートの稲嶺さんありがとうございました!
正午には事務所でみんなと黙祷をし、
そして、夕方は、友人と平和の礎へ向かいました。
澄んだ空に、心地よい風が吹くなか
沖縄で出会えた、大切な人たちは命がつながってきたからこそ、
あらためて、平和の大切さを噛み締めました。
平和であること。それはすべての土台です。
そして
日々の積み重ねが未来をつくる。足元から、平和をつくる。
今を生きる私たちにできることは何か。
きちんと歴史を学び、考え続けていきたいと思います。
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ハタイ モトコ/46歳/
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