2023/12/12
免許のない教育者たち・勉強編
高松くんの研究報告 第26話 教育工学概論(9の2)平成27年
課題:発達に段階はあるか否か述べよ.
以下では「人間の発達には明らかに段階がある」という私の考えの論証を行う.
[ 2 ] 本論
2 – 1 既存の発達段階論についての整理
心理学では,歴史的に何人かの論者が子どもの発達を段階論として捉えている.有名な論者は,ピアジェの思考段階発達説,エリクソンの発達課題説などが有名である.以下,これらについて概観する.
(1)ピアジェの思考段階発達説
スイスのジャン・ピアジェ(Jean Piaget)は,子どもの発達は普遍的な順序性を持つと考えた.
その発達は前後の段階と統合性を有しており,前の段階の「操作」で対処できない時に,それまで準備されていたものが次の段階で飛躍的に現れると主張している.ピアジェは記憶表象の変化を二つに分類した.一つは,純粋な記憶の増大であり,いわば記憶の「量的な変化」である.もう一つは,知識の構造化であり,いわば記憶の「質的な変化」である.これらの前提で,発達を4段階に分類した.
最初が「感覚運動期」である.これは細かく,生得的な反射が刺激から独立して,動作する事自体に興味を持つ第1次循環反応,結果に興味を持つ第2次循環反応,動作が違うと結果が違う事を理解する第3次循環反応の順に現れる.
次が「前操作期」である.記憶事象は未発達で,実物だけが推論の操作対象にする事が出来ない.時間や空間的な制約から脱することが出来ず,言語は未発達である.他者は認識するが,自他の弁別はあいまいであるという,強い自己中心性を持っている.ただし,対象の永続性という再認記憶が未発達ながら確立される.だから,リンゴを布で隠しても,隠れていると理解が出来る.
3番目が「具体的操作期」である.具体物であれば,実在していなくとも推論可能になる.内面化された心的操作を行える様になり,また,他人の心理状態を的確に推測できる様になる.数量や時間・空間などの科学的概念が確立される.
4番目が「形式的操作期」である.この時期に達すると,仮想的事実についても推論が可能になる.推論の形式・手続きと内容を分離して考えることが可能になる.
ただし,この段階は成人になっても達成できない者も居るという批判がある.
(2)エリクソンの発達課題説
エリクソンは,人の人生は8つの段階に分けられており,それぞれの段階において解決すべき心理的課題があると主張している.この8つの段階は,ある時期が来れば必ず提示され,それは成功裡に達成されることもあれば,失敗して通過する事もある.具体的には以下の通りである.
第1段階が,0〜2歳の乳児期であり,心理的課題は「基本的信頼vs.不信」である.主な関係性は母親であり,母親に対しての関係性から世界を信じる事が出来るかどうかを決定づける.
第2段階が,2〜4歳の幼児前期であり,心理的課題は「自律性vs.恥・疑惑」である.主な関係性は両親であり,両親に対しての人間関係から,私は私で良いのかと言う課題に直面する.
第3段階が,4〜5歳の幼児後期であり,心理的課題は「積極性vs.罪悪感」である.主な関係性は家族であり,主に家族に対する人間関係から,動き・移動し・行為を行って良いかということを決定する.
第4段階が,5〜12歳の児童期であり,心理的課題は「勤勉性vs.劣等感」である.主な関係性は地域や学校であり,これら構成員との関係性より,人と物の存在する世界で自己成就出来るかに直面する.
第5段階が,13〜19歳の青年期であり,心理的課題は「同一性vs.同一性の拡散」である.主な関係性は友人やロールモデルであり,これら関係性から自分が誰か,誰で居られるかという課題に直面する.
第6段階が,20〜39歳の初期成年期であり,心理的課題は「親密性vs.孤独」である.主な関係性は友人とパートナーであり,これらの関係性から,愛する事が出来るかどうかと言う課題を迎える.
第7段階が,40〜65歳の成年期であり,心理的課題は「生殖vs.自己吸収」である.主な関係性は家族と同僚であり,これらとの関係性より自分の人生をあてに出来るか否かと言う課題に直面する.
第8段階が,65歳以上の成熟期であり,心理的課題は「自己統合vs.絶望」である.主な関係性は人類全てであり,自分は自分で良かったかどうかと言うことに考えをめぐらせる.
このエリクソンの発達段階論では,失敗も必ずしも後の人生に負の影響を与えるばかりの物ではなく,失敗は失敗で,次の段階の動機付けや,気質醸成に大きな役割を持つとしている事が特徴的である.
これらの説では,人間の発達には明らかに一定の年齢に達したときに育つ発達があり,年齢と発達が,定向的傾向があると言う認識で,「発達段階」の存在が示唆されている.
どちらの説に於いても,発達段階の切れ代わりが多く存在している時期が,幼稚園〜大学の時期,つまり学校に通っている時期である.この時期には心身の成長が非常に大きく,後述の「発達を進める特別な経験」がなくとも,肉体の成長が引き金となって発達段階が切れ変わると考えれば整合性があると考えられる.
しかし,私は,同じ年齢に達すると言うことが引き金となるだけで,発達段階が次のステージに進むと言う考え方に対しては非常に懐疑的である.
私は普段,職業柄,17歳から25歳くらいの若者に接する機会が多い.11歳から14歳くらいの間に起こる「第二次性徴」などのように,極めてわかりやすく,極めて大きな変化が起こった子供の心に大きな変化が生じることは容易に理解できる.小学校低学年の男の子にとって,エロ雑誌やヌード写真は何ら心惹かれるものではないだろうが,第二次性徴後の男の子にとっては,食欲や睡眠といった欲求に匹敵する程度に重要な問題となる.ただ,体の変化がゆっくりである場合,第二次性徴期のような大きな心の変化があるかどうかは,単に年齢というよりは,「その時期に何が起こったか?」に大きく影響を受けるように思う.
そこで,次にこれを検証するため,次に学校教育の問題行動の一つとしての「学級崩壊」の事例を考える事で,人間を発達的に捉えることの意義と,年齢で単純に区切る学校教育の問題点について順に論じて行きたい,
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マツウラ カツユキ/57歳/男
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