2023/11/12
免許のない教育者たち・青春編
高松くんの初めてのヨーロッパ旅行 第25話 音楽祭
1988年9月・オーストリア共和国・ザルツブルグ
オーストリアの地方都市ザルツブルグにやってきた。
ここはモーツアルトが幼少期を過ごした街。中世の雰囲気が残る観光都市で、東京ディズニーランドのような雰囲気だ。…というか、多分ヨーロッパのこの雰囲気を模して東京ディズニーランドは作られているに違いない。
「場違い感満載」である。
とりあえずザルツブルグでは同じ部屋に6人とまる2段ベッドのドミトリーのベッドを一つ確保した。重いリュックにはほぼゴミのような衣服しか入っていないので、とりあえず部屋に置いてきた。腹巻きにはもう少ししかない米ドル、西ドイツマルク。オーストリアシリングだけを財布に入れてきた。東欧諸国のフォリント・ズロチ・東独マルク・クローネはもはや紙屑なので部屋に置いてきた。
僕は中学・高校時代通じてニュージーランドに行くまでブラスバンド部に所属していた。
アメリカンポップスばっかり演奏していたとはいえ、さすがにクラシックも少しはやっていたので、モーツアルトには少しは思い入れはある。
1ナノグラム(0.000000001グラム)くらいだが。
でも、ここはサウンド・オブ・ミュージックの舞台になった街。
大体7月8月はザルツブルグ音楽祭が開催され、大変な賑わいだそうだが、ホテルは予約が取れずしかも価格は高騰し、ケチンボな大学生の手に負える代物ではない。
だから音楽祭が終わった9月にやってきた。
音楽祭期間中ほど華やかじゃなくとも、オペラかコンサートくらいなんかあるでしょ。
今回、そう思って市内中心部にあるインフォメーションセンターまでやってきたが、思いのほかのしょんぼり村である。いや、もちろん観光客向けのミラベル宮殿のコンサートとかザルツブルグ宮殿のコンサートもあるが、とても高い。手が出ない。いや、500シリング(5,000円)とかなので、日本にいれば多分出せているのだが、出国までに使えるお金がもう限られていて、何かあったらアウトなのでここはやめておくしかない。
うーーーーん、残念!!!
西側諸国はやっぱり大人になってからだ。学生のうちは壁の東側がお似合いかもしれぬ。
でもせっかくここまできたのだ。城のある山くらいは登っておこう。
山に登るにはケーブルカーもあるが、僕は高尾山だって京王線の高尾山口から歩いて登るやつなので、当然徒歩一択だ。登山に乗り物を使う意味がわからない。
山道はそこそこ急で30分くらいかかったが、そんなに大変でもない。
城のある山からザルツブルグの街が一望できる。揺蕩う(たゆたう)緑の川の両側に街が広がっている。
僕は初めて東側に入ってブダペストで山に登ったのを思い出した。
今回の旅は、東ドイツから住民がヨーロッパピクニックでハンガリー経由で移動し始めていることを聞いてやってきた。昨日から遠いアジアの韓国でオリンピックが始まったが、オリンピックよりも今は世界は大きく動いている。そのことを自分の目で確かめたかった。
ただ、「変化」は「過去との比較」でないとわからないので、かつての東欧諸国の様子を知らない僕には「激動する東欧」と言われてもわからない。
毎回毎回「チェンジマネー」と言って寄ってくる闇両替したい人たちとか、やる気のない窓口の人たち、民泊の客引きがあんなにいることとか、売春の斡旋とか。
アウシュビッツのこと、ユダヤ人のこと。僕はニュージーランドに行く前は、杉原千畝(すぎはらちうね)氏の話や、祖父から聞いた関東軍の樋口季一郎氏の話を聞いていたので、ユダヤ人は気の毒な人たちだと思っていた。もちろんそのことは概ね間違えてはいない。しかし、実際に接してみたユダヤ人は3回とも「気難しい」「付き合いにくい」人たちだった。中東戦争を何度も起こすユダヤ人と、かわいそうだと喧伝されているユダヤ人。マスコミから入ってくる情報では相当なギャップがあったが、今回完全に腑に落ちた。特にアウシュビッツの体験は、今を思えば行ってよかった。
どれもこれも自分にとっては新鮮だった。
フランスの女子大生のリナとのことも、いい思い出だ。
でも、僕はまだやりたいことが何一つ実現してはいない。ここでいい気になってはダメだ。
「きてよかったな…」
僕は旅の余韻に浸っていた。
明日は、ザルツブルグにこれ以上居ても仕方ない。往復切符を買ってしまったからウィーンに戻るしかないから、日帰りでモントゼーにでも行ってみよう。街中でお金を使うのはもはや不可能だ。田舎でハイキングするしかないだろう。
僕はSPAというスーパーマーケットで、8シリング(80円)の長いバケット(フランスパン)と傷みかけて安売りされていた1kg9シリング(90円)のりんご、37シリング(370円)のでっかいチーズの塊を購入した。今日の晩飯と明日のハイキングはこれで十分だろう。
僕は一旦ザルツブルグ駅のインフォメーションセンターでモントゼーへのアクセス方法の情報を確認して、明日のバスの時刻表を入手した。
「さて、帰るか」
僕はドミトリーに戻った。
自室に入るとまだ同室の宿泊者は戻ってきておらず、数名のリュックがなくなっていた。
そして、僕の荷物に違和感があった。
慌てて開けてみたら、「使用済み衣服」と「洗濯済み衣服」の中身が全部出されていた。
そして、カバンの中から、東欧諸国の通貨のうち、ハンガリーフォリントだけが全てなくなってしまっていた。
置引きにやられたようだ。
この記事をシェアする
マツウラ カツユキ/57歳/男
ホーム>政党・政治家>松浦 克行 (マツウラ カツユキ)>免許のない教育者たち・青春編 高松くんの初めてのヨーロッパ旅行 第25話 音楽祭