2023/11/7
免許のない教育者たち・青春編
高松くんの初めてのヨーロッパ旅行 第20話 プラハの「春」www
1988年9月・チェコスロバキア共和国・プラハ中央駅
いよいよ最後の訪問国・チェコスロバキアにやってきた。
チェコスロバキアのビザは、10日間有効の滞在ビザなので、飛行機が出発するまでにブラチスラバまで移動して、そこからウィーンへ出国すればいい。随分気が楽になった。
今回の旅で、僕が一番楽しみにしている場所がある。
それが、チェコ共和国内のブルノと言う街だ。
このブルノには、遺伝学で有名な修道士・メンデル氏の教会がある。そしてここでは、1988年の現在でもメンデルの実験した「えんどう豆」の子供たちが、大事に栽培されている。
まあとりあえず、着いたらチェコスロバキアの通貨・コルナを手に入れなくては。
列車の中でも何度となく「チェンジマネー?」のお声がかかったが、もはや僕の財布は「ポーランド・フォリント」「ポーランド・ズロチ」「東ドイツ・マルク」で満員だ。一応「西ドイツ・マルク」と「オーストリア・シリング」も肩身は狭いが財布の中に少しだけいる。ただこの子たちは、帰国時に米ドルに交換可能な、生きている通貨だ。
米ドル・西独マルク・シリングは死守しなくてなならぬ。
違法な闇両替は、お断りだ。
僕は駅の両替所で100米ドルと少し多めに両替した。
今回はプラハで2泊、ブルノで1泊、ブラチスラバで2泊の予定だ。まずはプラハの宿を探さねば。一応目星をつけていた安宿はあるのだが…
そう思って駅を出るとお婆さんに声をかけられた。「プライベートルーム」と言っているようなので、ゴソゴソとバックパックからソーラー式のポケット電卓を出して「スコーリカ?」と言った。リナに「スコーリカと言えば値段を言ってくれるわよ」と教えてもらっていた。意味は「いくら?」と言う意味らしい。何語かはわからない。
お婆さんは電卓で「5」と押した。多分どう考えても5米ドルだろう。
僕はおばあさんの家に2泊することにした。手帳のカレンダーを出して2泊であることを告げるとわかったと頷く。
こうして宿はすんなり決まった。
おばあさんの部屋は、割合わかりやすい位置にあった。駅前から路面電車に乗って終点まで。大体時間にして15分くらいだ。駅前の電車停留所も始発ではないが駅正面真前なので非常にわかりやすい。
路面電車を降りて団地の中をお婆さんと歩いて行く。
ここまで社会主義国をソ連・ハンガリー・ポーランド・東ドイツと4国歩いてきたが、どこも石炭の匂いが漂っている。故郷北海道の夕張に北炭三菱が運営する大夕張鉄道が国鉄…いやJR夕張線の清水沢から南大夕張まで走っていた。かつては蒸気機関車が客車を牽引していたようだが、僕が北海道に移住した頃にはすでにDD10と言うディーゼル機関車に変わってしまっていた。でも、昭和一桁に作られた旧型客車が牽引する2両の列車は風情があり、何度も足を運んでいた。その車内に全く同じ匂いが漂っていた。
匂いは郷愁と強く結びついている。僕は故郷を思い出していた。
「ここだよ。」お婆さんは1件の団地の前で立ち止まった。そして階段で2階に上がった。扉には何も書かれていないので非常に難易度が高いが、扉の前に壊れたエレベーターが埃をかぶって止まっているのでわかりやすい。共産主義国家は街の作りがほぼ同じで風景に変化がないので道に迷いやすい。
広告は東京ではあちこち過剰にあって、特に電車の扉の窓にある広告は嫌でも目に入る上に普通の女性がポーズをとっているのがかなりの違和感だ。あそこには「モジャ君」などのイラストに慣れている道民は、どうでもいいことだが「あの女性、こんなに写真を貼られてるけど日常生活で大丈夫なんだろうか?」と思ってしまう。余談だが、本州の女性は道民に比べるとかなり色黒で、それが僕にとってに違和感になっていたと言うこともある。
広告はうっとおしいが、なさすぎても味気ない。
生協食堂で山盛りになっている無料のネギみたいなものか。
扉を開けた。部屋の作りはなんとクラコフで泊まったおばあさんの自宅と全く同じだった。
玄関を入るとすぐ左がトイレ、右にシャワー、簡易洗濯機。
トイレ横に6畳くらいの部屋があり、正面がリビングダイニング。その奥がおばあさんの寝床。シャワー室とおばあさんの部屋に挟まれてもう一部屋ある。クラコフでは入って左がリナ、右手が僕の部屋だった。
とりあえず、クラコフ出発から溜まっていた洗濯物をここで洗濯して窓から出して干させてもらった。そして大体お昼前に市内を散策に出かけた。
路面電車を乗り換えてカレル橋に向かった。
ここはプラハ城に向かう途中にある。大きな川にかかる橋で彫刻が立派と言うことだ。
実際彫刻は素晴らしいが、いかんせん人が少なく寂しい。警察官の方が多い。
橋を渡って城のある広場に着いた。プラハ市内を一望できる。ここにも石炭の匂いが漂っている。街は普通に人が暮らしている。問題はなさそうだが、社会主義というシステムは、人間の没個性化を招き、人の元気を奪う。やっぱり社会主義は間違えていると思う。
そんな、シュタージ(秘密警察)に逮捕されそうなことを考えながら僕は城から旧市街へ向かった。
旧市街は歴史美観地区を整備したものでやはり街は綺麗だ。しかし、「墓場の美しさ」という表現がやはりぴったりだ。
市内観光から戻ると、お婆さんではなく、僕より年上風の女性がいた。大体25歳くらいだろうか?するとその女性は英語で「今晩いかがですか?100ドルよ。」そう言ってきた。
僕はなんのことかわからなかったが、事情が飲み込めた。お婆さんは、この女性に買春斡旋して稼いでもいたようだ。社会主義国ではよくあると聞いていたが初めて遭遇した。
僕は丁重にお断りさせていただいた。
買春なんか、するかヴォケ!!!
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マツウラ カツユキ/57歳/男
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