2023/11/6
免許のない教育者たち・青春編
高松くんの初めてのヨーロッパ旅行 第19話 プラハへ
1988年9月・ドイツ民主共和国(東ドイツ)東ベルリン中央駅
午前6時。
今日は民泊の宿を早々に出発して、7時前の急行に乗って、チェコスロバキアの首都プラハに昼間移動する。着くのは夕方16時でたっぷり9時間の列車の旅だ。
本当は、クラシック音楽で有名なドレスデンにも寄りたかった。
僕は一応中学校・高校と音楽部に属していて、バスチューバ(F管)というどでかい楽器を演奏していた。初めは部長をやったこともあるが、やる気がなさすぎて、音楽部顧問の先生の「インターハイに出てどうのこうの」というノリに付いていけず、多分相当嫌われていたことだろう。ということで、ニュージーランドから帰国した後は、音楽から遠ざかっていた。
もちろん音楽が嫌いになったわけではない。
「音を楽しむ」ものが『音楽』であって「音を学ぶ」という『音学』でもなければ「音が苦しい」という『音が苦』でもないと個人的には思っている。
その音楽部はほぼほぼアメリカンポップスの「君の瞳に恋している」やら「スカイハイ」やらばっかり僕は選んでいたが、ドレスデンの風景をイメージした音楽をまとめたドレスデンのシュターツ・カペレのレコードを聞いて、是非一度は行ってみたいと思っていた。
ただ、ウィーンの有名な日本人音楽家の一人が、「今のドレスデンは『凋落した貴婦人』と言っていたので、がっかりしたくなくて、行こうかどうしようか逡巡していた。
実際今回は行けなかったが、また東ドイツはビザをとってきたいと思う。
ベルリン中央駅は重厚な雰囲気が漂っている。
暗いのは社会主義諸国どこでも共通だが、ドイツ帝国というかプロイセンの威厳を感じる。
列車はもう入っていた。
例によって入口ごとに車掌が勤務している過剰勤務体系だ。
昨今のJR(…という言い方に僕はいまだに慣れない。)はとにかく経費削減・経費削減で、とうとう地元北海道の札沼線をバス見たく「ワンマンカー」にするとのことだ。ディーゼルカーでワンマンになったら、運転士が乗り換え案内やるということか?それはもはやバスでしかない。日本はこうやって人件費を切り詰める昨今、ソ連など社会主義国家はずいぶん贅沢な人件費の使いっぷりだ。元々社会主義という国家システムは、国民総生産量が日本など西側に比べて小さいのに、さらに人件費を大きく使うのは、かなりまずいと素人の僕でもわかる。ゴルバチョフ書記長がペレストロイカをやるのもわかる。
指定された号車の、指定されたコンパートメントに入ったら先客がいた。僕よりかなり上の初老のご夫婦だ。
「こんにちは!ご機嫌いかがですか?」
僕がドイツ語で声をかけると旦那さんが立ち上がって英語で握手してきた。
「こんにちは。君は英語の方が得意ではなのか?」
「はい、そうですが。」
「…君はどこからきたの?」
「日本です。あなたがたはどちらから?」
「私たちはアメリカから。」
「ご旅行ですか?」
「いや、フランクフルトで乗り継いで、テルアビブまでだ。」
「テルアビブ…イスラエルですよね。バカンスしょうか?」
「いや、私たちはユダヤ人だ。アメリカでの仕事をリタイヤして移住なのだ。」
僕はユダヤ人の方とお話しすることになった。
「今回は、フランクフルトから、どうしても父の故郷だったシュチェチンに寄りたくてね。」
シュチェチンは、現在はポーランド国内にある都市だが、かつてはプロイセン・ドイツ帝国の地方都市だった場所だ。ここは、ロシア帝国のエカテリーナ2世の出身地でもある。これに隣接するケーヒニスベルグの現在はカリーニングラードという名前のソ連の一部だ。
「そうなんですね。いかがでしたか?」
「正直がっかりだったよ。ドイツ時代の面影なく、街は古くなる一方だ。掃除はちゃんとしていたが、社会主義国の美しさは『墓場の美しさ』だな。」
墓場の美しさ…まさにその通りだ。
「そうですね。…ちなみにもうイスラエルでは仕事はされない予定ですか?」
「いや、少しはしようと思ってるが。宗教活動など社会貢献活動に近い。」
「そうですか。でもなぜイスラエルへ?」
「そうだな。我々ユダヤ人の『約束の場所』だよ。死ぬならイスラエルの地で、だ。」
「…そうですね。自分も死ぬなら日本ですよ。」
すると初老の男性は顔色を変えて言い出した。
「君のような日本人にはわからないだろう。日本は第二次大戦の時には拡張主義で世界中に戦争仕掛けたじゃないか。だから我々アメリカが『正義の原子爆弾』で制裁して正気に戻ったのではないのか?我々は被害者だ。君たちは加害者だ。」
僕は一瞬怯んだが、そんなものに負ける僕ではない。
「そうですか?センポ・スギハラ(杉原千畝・すぎはらちうね氏のこと)とユダヤ人の関係はご存じですか?そして原子爆弾は正義と言いますが、日本人の非戦闘員が30万人も亡くなったのですが、それは我々なら死んでも大丈夫ということでしょうか?そして、約束の地カナン(イスラエル)に戻るというのはいいですが、現在そこに住んでいるパレスチナ人に何か落ち度はあるんですか?」
僕は思っていたことを一気に言った。すると何か罵倒を残して彼らは部屋から荷物を持って出ていき、戻ってこなかった。プラハでどこからともなくやってきた彼らは
「我々に悪いと思うなら、この財団に寄付をするといい。そうすれば君の罪は許される。」
僕は彼らを見送った後、ゴミ箱にその紙をそっと捨てた。
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マツウラ カツユキ/57歳/男
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