2023/10/22
免許のない教育者たち・青春編
高松くんの初めてのヨーロッパ旅行 第4話 モスクワ街歩き①遠き故郷を思う
1988年9月・モスクワ市
モスクワの9月は涼しい。ホテルは非常に簡易的な作りで、寒くて目が覚めた。
今日はチェックアウトの後、荷物を預かってもらって市内観光に出かける。
モスクワ発オーストリア・ウィーン行き飛行機は深夜2時という非人道的な時間に出発し、翌朝5時というこれまた非人道的な時間にウィーンに着く。実はモスクワ到着の飛行機はだいたい世界中から夕方〜夜にかけて多い。だから昨日東京からついてそのままヨーロッパに乗り継げるようにそういう「ド深夜」出発のスケジュールがあるのはわかっていたが、せっかくソ連に来たんだから、ちょっとくらいモスクワも見ておきたい。だから承知の上でのこのプランなのだ。
そして、ついたその日のうちにビザ取得を始めないと、ウィークデイ5日間で4カ国(ハンガリー・チェコスロバキア・ポーランド・東ドイツ)のビザ取得は困難だ。そういう意味で、早朝到着は、時間を有効に使えてありがたい。
まあ、風呂に入れず臭くなりそうではあるが。
朝7時半、朝食バイキングを山ほど食らってチェックアウトした。また例によってチェックアウトに時間がかかり、荷物預けまで全部済んだのはもはや8時半。市内ゆきシャトルバスも9時までない。
お土産を見たりして時間を潰した後バスに乗り込んだ。
バスにはすでに数人の乗客がいた。ソ連人労働者は、こういうバスによく「ただのりする」ことは聞いていたのだが、旅行者の風態だ。
で、そのおじさんの一人に聞いてみたところ
「我々はモスクワ観光に来た。赤の広場前のインツーリストホテルまで行く」とのことだ。
つまり、空港→トランジットホテル→インツーリストホテルというルートのようだった。だから、これを利用してトランジットホテルに戻る場合、空港行きのバスに乗ればいいとのことだ。仕組みはわかったが、なんの情報もない上ロシア語なのでわからない。
この国では、ロシア語がわからないとかなりのハードコースかもしれぬ。
そうこうするうち時間になり、観光客5人と僕を乗せて出発した。
バスは真新しい道をまっすぐ走る。車窓には、幹の真ん中を虫除けのために白く塗られたポプラと白樺の並木が後ろへ流れていく。風景や空気感は故郷の北海道に近い。
道民も、大概働かない人たちだと、僕は自嘲気味に考えていた。
雪など戦わないといけない自然はあるものの、なんだかんだ人は少なく空間ニッチをめぐる競争も東京ほどではない。東京は公共空間の独占を極度に嫌う。これはリソースが少ない上に人口が多いからに他ならず、だから道民はある意味「自然の恵みに甘やかされている」と思う。
その「空間ニッチが大きい人々」の感性に、社会主義の発想は親和性が高い。
本来、マルクス主義は、その発祥であるヨーロッパの中心地であるプロイセン(ドイツ)やオーストリアで発展しなくてはならないはずだった。しかし、現実は、ヨーロッパの田舎のロシアで勃興した。マルクスが主張するような、資本主義の次の社会段階としての共産主義ではなく、どう考えても「封建制・絶対王政」の亜流としての共産主義・社会主義だ。
本当は僕にD(不可)をつけた教授にはこう書けばよかった。どうせDなんだし。
「ああ、そういう社会主義的空気がロシア帝国にあったのね」
僕はこの風景を見た時、妙に納得した。
そして日本史教師Y先生のような人が許容されている日本の北海道は、ちょっと危機感を持った方がいいと思った。琵琶湖に運河を作って日本海と大阪湾をつなぐのは、発想としては面白いが、やったら確実に琵琶湖から鮎やタナゴは消え失せる。滋賀県は合成石鹸禁止条例を出して、パフォーマンスで「トップ」などの洗剤を「焚書処分」していたのをTVでやっていたが、それどころではなさそうだ。
少なくとも「社会主義」などという非効率的な社会運営システムはダメでしょう。
バスはモスクワの中心街のツベルスカヤ大通りから赤の広場正面にあるインツーリストホテル前に着いた。ホテル前には門兵が立っていた。何やらわからぬロシア語で話しかけられたが、パスポートとビザを提示したらあっさり入れてもらえた。ホテルの中は「演劇の舞台裏」という感じの暗さだった。電気不足なのか、暗いのが好きなのか。とにかくソ連はどこに行こうが暗い。
僕はあまりの暗さに若干不安になり、トイレを借りてそそくさとホテルを後にした。
外に出ると、9月のソ連の明るさで眩しくてクラクラした。
僕は赤の広場に向かって歩き出した。
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マツウラ カツユキ/57歳/男
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