2026/7/2
言葉は不完全だ。
何を伝えようとしても体験は完全には伝わらないし、自分の心の中も伝わらない。
体験は認知であり、体験した本人が心で受け取るものであり、感じる人のフィルターはかかり、感じたことを言葉にする時点で、すでにそのものではなく概念化する。言葉はそもそも、膨大な具体を抽象化した概念であり、体験そのものではないからだ。
したがって、言葉だけを文字化して伝えると、膨大な情報が抜け落ちる。同じ言葉でも、言い方や微妙な抑揚だけで、意味が正反対になるが、それも伝わらない。特に日本語は言外の情報量が膨大だが、その空気も伝わらない。
だから、誰かの言葉を事実として一字一句違えず伝えたとしても、それは数値化できる事実とは違い、伝え方によっては、主観を押し付ける材料にもなる。
これは動画にしても基本的に同じことだ。文字化情報よりは情報量は増えるが、編集次第では意図的に捻じ曲げることもできるし、そうでなくても経緯や前後の情報が抜け落ちれば、印象は180度変わる。
そして、同じ情報を受け取ったとしても、受け取り方も千差万別だ。それぞれの主観のフィルターがかかり、そこで感じたことをまた不完全な言葉にして、主観を拡散する。もしかしたら、学校や親から評価され続けた人たちが、誰かを評価する機会を得て、そのストレスを発散しているのかもしれない。
いずれにしても、99.9%(実際その場で体験した人が10人でネットで1万人が呟いた場合)の何も知らない人たちが、 自分は正しいことを言っているつもりで、恐らく悪意もほとんどないまま、誰かの生活を破壊できてしまうのが現状だ。
この中で、そうした悲劇を最小限に止めるためには、まず、自分が体験していないことは知らない、という姿勢を貫くことだと思う。知らない、わからないでいい。誰も答えを求めていない。他人を評価する必要もない。自分が出さなければいけない答えは、自分の行動の決定に対してのみだ。
もう一つは、言葉の不完全さを認識し、それを慎重に扱うことだとだと思う。本来なら、言葉をより多くの人に届ける立場にある人たちが一番気をつけなければいけないことだと思うが、それで商売をしている場合は、逆にそれを利用して人の感情を操ることも多い。だが、受け取る我々が、それをそのまま受け取ることをやめ、自分にはわからないから判断しない、という態度を貫けば、それが商売として成り立たなくなるはずだ。
日本国憲法第12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」の「不断の努力」や「濫用してはならない」とは、そういうことであって、それを怠ると、誰かの人権は侵害され、いつの日かそれが自分に向かうかもしれないということだと思う。

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