2026/4/19
高市早苗首相が、靖国神社の春季例大祭で参拝を見送る方向と報じられました。就任前には「首相になっても参拝する」と繰り返していただけに、「公約違反ではないか」という声が上がるのも無理はありません。
しかし、ここでも見えるのは“同じ構図”です。
前々回に書いたこの記事と同じです。

私は、「どんな総理大臣は必ず靖国神社に参拝しなければ慰霊したことにはならない」
などと言うつもりもありませんが、
首相就任以前に公約したことが守られないことを問題視します。

政権に入る前は、信念として明確に語れる。
しかし、いざ首相になると――
・中韓との外交関係
・国際社会への配慮
・外務省のリスク判断
こうした「役所の論理」が前面に出てくる。今回はとりわけ外務省でしょう。中国の外務省はもとより日本の外務省も当然そうです。
中国や韓国に配慮せよとの指令だと思います。

その結果、「参拝する」というシンプルな意思は、「見送る」という現実に置き換えられる。
これは単なる現実対応ではなく、
外務官僚の論理に政治が押し切られた典型例とも言えます。
もちろん、外交は重要です。軽視すべきではありません。
しかし問題は、そこに至るプロセスが見えないことです。
なぜ参拝できないのか。
どの程度のリスクがあるのか。
それでもなお守るべき信念は何か。
それが語られなければ、有権者から見えるのは
「言っていたことと違う」という結果だけになります。

橋下徹氏が残念がるのも無理はないでしょう。期待していたのは“調整された政治”ではなく、“貫く政治”だったはずだからです。
結局、ここでも問われているのは同じです。
政治は役所の論理に勝てるのか。
この問いに答えられない限り、誰が首相になっても、同じことが繰り返されるだけだと思います。
しかし、総理が参拝しなくても、日本人の多くが英霊を讃えればよいことです。
霊というのは心です。
たとえ神社という物質的形態に拝礼しなくても、魂が大事なのだと私は思っています。

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