2022/2/2
投稿『岸田総理大臣は「退屈な政治家」』の真意
岸田さんに足りないものとして記します。政権批判ですが、政局とかそういう話ではなく政治家としての資質を記します。(長文です)
通常、政権交代で6ケ月はハネムーン期間と言って、政権の失態は多少目はつむるものです。岸田政権が誕生して、3ケ月間が経過し、内閣支持率は比較的高いようですが、私には何もしていない内閣に見えてしまいます。もしくは何も決められない内閣に見えてしまいます。菅義偉政権発足当時の電光石化の早業(各種政策の実現)と比べれば、総理大臣としての準備があったとしても、実行力がない風に見えてしまいます。
「聞く力」という言葉は、マスコミ受けしないと言われた菅政権や安倍政権が嫌いな層から評価は高いわけですが、私からしたら、笑止千万です。国民の話を聞いて最後は自分で決める・・・だけでは政治はできません。
政治家と官僚の一番の違いは、仕事の評価をされるか、されないかということに尽きます。政治家は選挙で有権者の審判を受ける。官僚は誰からも審判を受けません。
だからこそ、政治家は官僚の言うことを丸呑みしてはいけない、絶えず自分なりの視点を持っていないといけない、もしくはそのための勉強をしないといけない。
そりゃ、専門分野の知識や経緯は官僚が圧倒的に多いです。そこに対抗していくために、政治家は知識量の多寡ではなく発想力が必要です。
「話はわかったんだけれど、こういう場合は考えられないの?」というやつです。
国会はわかりませんが、地方議員でもよくある光景があります。与党と呼ばれる首長派議員が執行部提案をそのまま何も疑問を持たないということです。私は首長に嫌われるかもしれませんが、執行部の言うことを一度は疑うようにしています。だから質問もします。そのためには嫌われても厭わない覚悟が必要になります。
そもそも政治家を志す、ということだけでも大変なことです。選挙に出る、というだけでも、いろいろなことを犠牲にして、我慢して、苦労して取り組まなければならないことです。そのうえで、財源に限りがあり中、政治家は全ての人に良い顔はできません。嫌われる立場にならないとやっていけない立場でもあります。時には、「自分は殺されてもいい、どうなってもいい」という覚悟を決めて、その町の課題と闘わなければならないこともあります。そんな「腹」を決めて政治家、ましてや総理大臣という立場になれば「聞く力」などと耳障りにいいことは言うべきではない。それはミヤケマコトの信念です。
政治家は自分が信ずることを国民にわかりやすく説明し、執行し、その評価を国民に仰ぐ。岸田総理にその覚悟があることを望みます。
もともと、宏池会は霞が関出身者(池田勇人大蔵省)を母体としているので役人を信用しすぎるきらいがあります。繰り返しになりますが政治家たるもの、役人の言うことを丸呑みしてはいけません。
私の立場は一貫して、盲目的な自民党支持者ではないが、安倍・菅・橋下は支持すると言い続けていますので、賛否分かれることは承知しています。ただし、彼らの政治は一貫して規制緩和、官僚組織打破、縦割りの弊害打破に政治家主導で取り組んでいます。
そこには政治家は圧倒的に選挙で勝って、所信を貫く、そのうえで有権者に判断を仰ぐという覚悟に近いものが滲みます。
岸田さんの確変に期待します。
明日は本日行われた衆院予算委員会でのワクチン3回目に関して「岸田さん、自治体の事情わかっていないな」という部分、要は官僚が書いた答弁を棒読みしていた話を書きます。
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