2026/6/28
巨星墜つ
ご自身のお子さんに障がいがあったことから、生涯をかけて障がい児・者福祉、草加の福祉の先頭を駆け抜けてこられた秋山恵美子さんが亡くなられました。
昭和46年に7名の親でつぼみ会を設立し、近隣小中学校への障がい児学級の設置に尽力されました。現在市内各小中学校に当たり前のように設置されている支援級の先駆けです。昭和50年草加市教育と福祉を進める会を設立。つぼみ会を草加市心身障害児・者父母の会と改称。草加市心身障害児・者父母の会と教育と福祉をすすめる会 を【草加市手をつなぐ親の会】と改称。平成8年青柳太陽の家を開所。平成12年には希望の家を開所。以降変遷を経て、グループホーム光輪の家の建設にも尽力されました。
当時の草加市の福祉担当に相談に行った際に、「障がい児者に税金を使うなんて、枯れ木に水をやり砂漠に水を撒くようなものだと言われ、涙ながらに帰路についたということを母が話していたのを子ども心に覚えている」という、喪主様の言葉がありました。酷いことですが、50年前の福祉はその程度であったのかもしれません。秋山さんが進めてこられた草加の福祉が後戻りすることなく、更なる発展を遂げるよう、少しでもお役にたてるよう努めます。
光陽会さんのクリスマス会で、毎年シクラメンをいただきます。議員となり初めてうかがった際に、「あんたはまだ何色にも染まってないから白い花を持って行きなさい」と言われたことを、喪主様から訃報のご連絡をいただいた際に思い出しました。最近は赤い花だったのですが、朱に交わり赤くなってしまったということかしらと深読みしております。
常々、障がい児・者の『親なきあと』を心配されており、「あんたたちも議員なんだからそういうことを考えなさいよ!」と何度かはっぱをかけられました。市ではまだ障がい児・者のそのような施設の整備には至らず、お別れの際に謝らさせていただきました。数カ月前に、秋山さんの活力の源であったであろう、息子さんがお亡くなりになり、また半年前にはご主人も亡くなり、秋山さんもほっとされて旅立ったのではと勝手に想像をしています。旦那さんが亡くなられた時には末期がんで余命宣告もされていたそうですが、弔問にうかがった際は微塵も感じられませんでした。余命宣告をされたことを周りには知られないようにとご家族にも口止めをされていたとのことです。気丈な方なので、ご自身の弱いところを感じさせたくなかったのかもしれません。
選挙に出る時に、ご挨拶行く前にご自宅に呼び出されて、「あんた手を挙げるの遅いわよ。もっと早けりゃ。。。」みたいなお話をされました。お話の中で近くに秋山さんが信仰しているお地蔵さんがあり、「あのお地蔵さんは何でも叶えてくれるから毎日行きなさい!」と指南されたのも懐かしい想い出です。お地蔵さん毎日は行ってませんが、ランニングで通った際には手を合わせてます。これからは秋山さんのことも偲んで手を合わせます。
年末には毎年、手作りの鰊の漬物を届けて下さり、ちょっとクセがあるけど病みつきになる美味しさでした。
ダブル台風が草加にも接近する中の葬儀でした。私が当初感じていた秋山さんのお人柄は豪放磊落な方でしたので、おしめりの涙雨ではなく、台風近づく中での豪雨のお見送りの方が秋山さんらしいなとも思っていましたが、お別れの時間は雨も無く、葬送の列は穏やかに静かに去っていきました。秋山さんのお人柄も豪放磊落な反面細やかで優しく穏やかであったように。
これからは大好きなお地蔵さんと一緒に、地域と草加を見守って下さい。
大変お世話になりました。心よりご冥福を申し上げます。
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