2026/1/18

31年前のこの時、阪神・淡路大震災が発生しました。
私は当時28歳。兵庫県明石市の実家で被災しました。
これまで経験したことのない激しい揺れ(震度6強)に、ただただ「恐ろしい」という言葉しか浮かびませんでした。
幸いにも、実家は地盤が良く、新築間もない家だったこともあり、倒壊は免れました。
しかし、家の中は物が散乱し、足の踏み場もない状態でした。
近隣では、壁が落ちたり、1階部分が崩れている家も見られました。
少し離れた場所を走る新幹線の高架橋が落下している光景は、今も強く記憶に残っています。
明石市は特に東部地域で被害が大きく、当時、子どもの合唱団の団長を務めていた私は、子どもたちの安否を気にかけながら見回りに向かいました。
その道中、地面が割れ、ガスのにおいが立ち込めていたことを今でもはっきりと覚えています。
震源地である淡路島北淡町は、母の生まれ故郷でもあり、多くの親戚が暮らしていました。
兄と伯父が親戚を迎えに向かいましたが、道路は渋滞し、車はほとんど動かない状態でした。
明石市の東隣、神戸市では被害がさらに深刻でした。
道路や鉄道は寸断され、特に神戸市長田区では大規模な火災が発生していました。
長田区から明石へ避難してこられた方が、私に当時の体験を話してくれたことがあります。
家族が建物の下敷きになり、助け出すこともできないまま、火災の炎が迫ってきた。
どうすることもできず、やむを得ずその場を離れて避難した——。
今思い出しても胸が締めつけられる、あまりにも過酷な現実でした。
阪神・淡路大震災は、「大地震の恐ろしさ」を私たちに突きつけました。
同時に、「日頃からの地域防災力の重要性」という大きな教訓も残しました。
この教訓から生まれたのが、地域の防災力をけん引する**「防災士」**という資格です。
私は防災士の資格を取得し、少しでも地域の防災力を高めるための取り組みを続けています。
31年前のあの日の記憶を、決して風化させないために。
そして、次の災害で「救える命」を一つでも増やすために——
これからも、松山市の地域防災の大切さを伝え続けていきたいと思います。
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オオタ ユキノブ/59歳/男
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