2023/7/11
安城と戦争
夏になり、戦争と平和についての話題が増える頃となりました。資料を整理していたら、5年ほど前に「安城市史」を基に執筆したこの地域の戦争関係の原稿が出てきたので転記します。
(以下転記)
日本の人口に占める「戦争を知らない世代」が8割を超え、その伝承は大きな課題となっています。多くの人にとって縁遠い話と受け止められがちである理由の一つに、遠くの話、昔の話、という意識があるのではないかと思います。人は、自分が生まれる前の話というのは往々にして関心が向きにくいものです。今年1月に成人式を迎えた世代にとっては阪神大震災ですら生まれる前の話であり、戦争は縄文土器や織田信長と同じく「歴史」と分類されているのではと感じます。時間を戻すことはできませんが、近くの話をすることで若干ながら身近に感じてもらうことはできるかもしれません。そんな思いで、自分の住んでいる町に関わる戦争情報を改めて調べてみました。
私の住む安城市には、2つの基地がありました。その一つ、明治航空基地は日米開戦の前から建設が計画されていましたが、ミッドウェー海戦での大敗で戦局が変わると、当初の予定よりも大きく造られ、運用開始も早まりました。もともとは主に農地でしたが、軍が買収に乗り出し、「不服な者は憲兵隊に申し出よ」と高圧的な手法で進められたと記録が残っています。しかも強制的買収の時点において、農民らは買収後に何が建設されるか知らされておらず、売買価格も軍の一方的な決定であったとされています。これに対して一切の異論が出ず、むしろ万歳三唱まで起きたということを考えれば、いかに自由な発言が出来ない異常な状況であったかが伺えます。土地を失った農民たちは基地建設作業に従事させられ、基地が出来たら出来たでB-29の標的にされ、戦争が終わったら今度は再び基地を農地に戻す作業をしなければならなかった事を考えれば、迷惑千万というほかありません。昔も今も、基地という存在の本質は変わらないと考えさせられます。なお、同基地の一部は現在も保存されています。(写真1枚目。明治航空基地跡地に残る燃弾庫。燃料を入れたドラム缶を保管していた。)
現在の安城市役所のすぐ傍に、かつて安城高等女学校がありました。同校には、『ごんぎつね』『手袋を買いに』などの童話で知られる新美南吉が教員として勤めていました。着任間もない1938年、南吉は同校の学報にフランス人作家の次の言葉を引用しています。
「貧しい無知な人々は、ナポレオンやビスマークのように偉大ではありません。しかしこれらの人々の生命もまたナポレオンやビスマークのそれに劣らず尊いのです。」
日米開戦前とはいえ、戦争一色の時代に記した内容としては踏み込んだ内容であると言えます。時代背景を考えれば、弾圧を受けていても不思議ではありません。それでも、作家としてできる最大限の抵抗であったことが感じ取れます。南吉が24歳の時の事でした。(写真2枚目。安城駅近くに設置された新美南吉先生と女生徒のオブジェ。)
アメリカやイギリスなどの連合国に対し、日本は枢軸国の一員として第二次大戦を戦いました。枢軸国は日本の他にイタリア、そしてヒトラー率いるドイツがありました。今からは想像できない事ですが、当時の日本はナチスと蜜月関係にあったわけです。1938年には、ヒトラーユーゲント(ナチ思想を教え込む青少年組織。元はナチス党内の組織であったが、後に国家唯一の青少年組織となり、全ての青少年は加入が義務付けられた)が来日し、両国の親善を目的に全国を回っています。一行は当時の安城町も訪れ、日本デンマークと呼ばれた安城の先進的な多角的農業を視察しました。当時安城にあった青年組織や農業団体の機関紙でもナチスやヒトラーを褒め称えたとされています。安城市今池町には、ヒトラーユーゲントの来安を記念した石碑が現在も残っています。世界史の一片が感じられる石碑が市内にあるということは、実はそれほど知られていません。(写真3枚目。安城市今池町にあるヒトラーユーゲント来安記念碑。日の丸とナチスのシンボル「ハーケンクロイツ」が並んでいる。)
ヒトラーユーゲントの視察対象にもなった安城の多角的農業とは、複数の作物栽培や家畜飼育を組み合わせた手法の事を指します。そうすることで不作や価格変動に耐えられる安定的な経営が可能であるとされています。ところが、戦局悪化は安城の農業にも影響を与えていきます。スイカや柿などは不要不急と見なされて栽培は著しく減少し、米や麦が優先されました。化学肥料は爆薬と原材料が重なるということから作物に十分栄養を与えることもままならなくなりました。衰退する農業に変わり、次第に軍需工業に重きが置かれるようになります。軍需会社法によって軍需工業は国の支配下に置かれ、民需工場も軍事への転換・再編が強硬に行われました。現在も市内で操業する紡績会社も軍需への転換が強要され、鉄鋼生産に転換が図られました。民間の生産に対し国が強制権を行使するというのは、現在の安城市に例えるならば、トヨタの関連工場に対しプリウスやEV自動車の生産を禁止し、戦車の生産を命ずるようなものでしょうか。空恐ろしい思いがします。
戦争の理不尽を思い知らされるエピソードが震災です。敗戦濃厚の1944年年末と1945年年始の二度にわたり、安城一帯は巨大地震に見舞われました。今日ですら震災となれば一大事ですが、当時はそれに輪をかけ戦時下です。被災状況が伝われば敵に有利ということで情報は隠蔽され、受けられるはずの復興支援も受けられなかったと言われています。極めつけは、空襲の的にされるという理由で被災者の火葬も厳しく制限されたことです。戦時は、人の生き死になど二の次にされるという事をよく表したエピソードといえます。
今回、市発行の「安城市史」を参考に執筆しました。地域的な特色の強い項目を中心に取り上げましたが、国の上意下達による取り組みが多く、恐らく他市の市史においても類似した記載があると思います。この機会に、改めて自分の住む町の歴史を振り返ってみてはいかがでしょうか。(おわり)



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