2026/5/1
近年、スマートフォンやゲームなど、さまざまな対象について「依存」が問題視されています。好きと依存はどこで分かれるのでしょうか。
よく指摘されるのは、それが生活に与える影響です。楽しみとして生活を豊かにしている場合は「好き」、長時間没頭して日常生活に支障をきたす場合は「依存」とされます。また、「好き」は自分の意思で「する・しない」をコントロールできるのに対し、「依存」は自分がコントロールされる側に回ってしまう点に特徴があります。
この視点は、個人の嗜好に限らず、集団への帰属意識(例.ナショナリズム)にも通じます。
自らの帰属する集団に愛着や誇りを持つことは自然であり、「好き」の範疇にあるものです。他方、自身と対象との主従関係が逆転し、冷静な判断ができず自制が利きづらい状態になると、「依存」に近い側面が含まれていると考えられます。
もちろん、ナショナリズムという言葉自体、全員の納得する定義があるわけではないので全ての場合に当てはまるわけではないかもしれません。ただ、同語が否定的なニュアンスで使われるケースに限れば、「当たらずとも遠からず」と言えるのではないでしょうか。
結局のところ、自分と対象との関係がどうなっているか、すなわち主体的に関わっているのか、それとも支配されているのかが、「好き」と「依存」を見分けるバロメーターであると言えるでしょう。
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