「もう選挙には出たくない」ーー東京都・町田市議会議員の東友美(ひがし・ともみ)は2018年に初めて臨んだ市議会議員選挙期間中にこう思っていた。彼女をここまで追い詰めたのは、有権者などから自身への投票行動をちらつかせながら威圧的な言動や行動を受ける、いわゆる「票ハラ」だった。
30年以上暮らし、歩き慣れているはずの町田市。しかし、"候補者"として立つと別の街のようだった。
人生で初めての街頭演説。勇気を振り絞って大勢の前で思いを訴え、返ってきた言葉は「お尻を触らせてくれたら1票入れてやるよ」。
懸命に支持を広げようとする中、顔が広いある地域の有力者からは「俺がお前の票を増やしてやる。だから、俺が呼んだ時は夜の飲み会でもいつでも必ず来い」と迫られた。
街頭演説の最中に突然怒鳴りつけられる、抱きつかれる、身体中を触られるーーその人は、「冗談」として言ったのかもしれない、「軽い気持ち」でしているだけかもしれない、そう考えようとする一方、自分が侮辱されていることには気づいていた。
しかし、選挙期間中に1票でも多くの支持をもらい、議員としてのスタートラインに立つという目的を達成するために、自分の辛い気持ちを外に出せなかった。笑顔をつくり気丈に振る舞うごとに、行き場のない辛さや苦しさが、心の奥底にたまっていくのが分かった。
二度と選挙に出たくない、と思ったのはこういう経緯だった。
我慢の末、当選を果たして市議として活動を始めると、票ハラをする人が「変わった人」では決してないのだと痛感する。
「町田市のことで相談がある」という市民との面談に初めて応じたときのこと。面接場所の喫茶店で、店内に響き渡るほどの大声で「そんなことで議員としてやっていけるのか」「お前のことなんかTwitterでいくらでも中傷できるんだぞ」などと一方的に罵られた。店はほぼ満席だったが、誰にも助けを求められないまま、自分を強く責める声を聞き続けた。
初めて会った見知らぬ人から性体験を延々と聞かされる。開設したSNSには「彼氏はいますか」など、発信している市政情報とはおよそ関係のない性的な内容を含むメッセージが送られてくる。
そのうち、他人との関係を築くのに不安を抱くようになった。相談をもちかけてくる人にすら「どうして36人もいる市議の中で自分に声をかけてきたのか」と、まず警戒してしまう。私用で出歩くときに普段かけないメガネをかけ、帽子を目深にかぶり、自分だと気づかれないようにひそひそと行動していた時期もある。
市民の声を聞き、行政の政策に反映するという地方議員の仕事を全うしようとすればするほど、拭いきれない他人への不信感とのはざまで苦しんだ。
「自分は世の中をよくしたいと願う気持ちで立候補し、議員を務めている。それなのに、それ以外の性的な要求をされることが日常の中で当たり前になっていることに耐えられなかった。自分の行動や人格まで否定されているようで、自分の価値が何なのか分からなくなってしまった」、東は当時の心境をこう吐露する。
初めて臨んだ選挙の現場で日常茶飯事だった票ハラに心がくじけた一方で、東は実際に体験したハラスメント問題を世間に対して訴えるようにした。自分のSNSだけでなく、新聞やテレビ、雑誌などにも実名で顔を出して取材に応じ、自身の経験を話した。
辛い気持ちを我慢しているのが自分だけではない、他の議員も同様の我慢を強いられていると知ったからこそ、「自分が黙っていれば、問題はなかったことになる」という危機意識があったからだ。
ただ、こうした言動が周囲から批判を受けることも少なくなかった。
「最近はハラスメントがどうこうなんていうけど、議員ならそんなの耐えて当たり前。なぜそんなことをいちいち声を大にして叫んでいるのか、ってみんな言ってますよ」「男性だってハラスメントに悩んでいるのに、女性の被害ばかり叫ぶのは逆差別だ」
票ハラの問題が認知されてこなかった背景には、候補者と有権者のいびつな上下関係、「有権者や支援者から何を言われても、候補者は当選したければ我慢するのが当たり前」という空気感がある。
東の元に届いたこれらの声は、票ハラが根絶されがたい実態をよく表している。
初めての議員活動、それを取り巻く票ハラ問題に葛藤しながらも4年間、市議として活動。次の2022年町田市議会議員選挙の時期が近付いてきた頃には、二度と選挙に出ないと決めていたはずの心は揺らいでいた。
4年前、初めて選挙に出ると決めたのは告示日の約1カ月前だった。知り合いの知り合いの、そのまた知り合いくらいの縁で参加した選挙ボランティアで知り合った人から「来月町田市議選があるんだけど出てもらえないか」と猛烈にプッシュされたのがきっかけだった。
選挙の手伝いに入ったのは偶然時間があったから。元々政治に興味があったわけではないどころか、政治家には悪いイメージしかなかった。何より、当時は民間会社に正社員で 勤めており、議員になりたいとは考えたこともなく選挙に出る気にならなかった。
しかし、何度か声をかけられたことで議員について調べる中で、「困っている人たちの声を拾い上げ、困らないように社会システムそのものを変えていくのが本来の仕事なのか」と知ると、気持ちがだんだん傾いていった。
頭の中に浮かんだのは自身の半生だ。幼少期、父親が多額の借金を重ねて失踪し、母親は精神のバランスを崩して育児を投げ出してしまった。自身も周りとの関係づくりがうまくいかずにいじめを受けた。貧困と孤立から一生抜け出せる気がしない暗闇をさまようような生活で、いつでも自由に好きな時に死ねることだけが希望だった、あの頃。
似た境遇で、同じような絶望を抱えている人は日本にはまだまだいる。絶望的な環境を知っている自分だからこそ、何かできないだろうかーー胸の奥にずっと抱えてきた課題解決の方法に「政治家」は当てはまった。
そして、実際に議員になり、議員だから受ける嫌がらせがある一方で、議員にしか解決できないことがあるとも気づいた。
思い悩んだ末、東は選挙の約1カ月半前、自身のブログで「2期目挑戦への決意を固めました」と再び選挙に挑むことを表明した。
2回目の選挙の当選後、変化が現れた。
東が所属する会派が市議会で最も人数の多い「最大会派」となり、東は会派のトップに就任した。すると、いままで執拗に誘って来た人からの連絡がぴたっと途切れた。自分が議員として力を持った途端、それまで嫌がらせじみた行動をしてきた人たちがどんどんフェードアウトしていったのだ。
そこでふと、気づいたことがある。東が議員になるきっかけにもなった、2014年衆議院議員選挙での選挙ボランティア活動で、候補者の街頭演説中に必ずと言っていいほど怒鳴り込んでくる人がいた。周りには常に20人近くのスタッフがいたにも関わらず、どなられるのは他の男性スタッフではなくいつも自分だった。
また、他の立候補者の選挙応援に行くと、選挙に初めて出馬する新人女性の陣営には嫌がらせされやすい傾向がみられた。4月の統一地方選挙でも街頭演説中の妨害行為で警察沙汰になったケースもあった。
「その人にとって自分より弱い相手と見定められると、ハラスメントのターゲットにされやすいと感じています。女性候補たちにも一人で街頭に立つことを避けること、何より辛いと感じたら一人で抱え込まないようにアドバイスしています」ーー現在、支援者や市民との面会は基本的に市役所の議会内にある会派の控室で行うようになった。
「何かあったら助けが呼べるように備えています」と言い、私が取材に訪れた際もドアは少し開いた状態だった。このドアのスキマは、女性の政治参画の道の狭さを表しているようだ、そんなことを考えていた。
4年または6年に一度、選挙で選ばれる日本の国会議員と地方議員は全国に約3万人。落選した方、引退した方も含めると、日本国内の「政治家」はもっと存在することになります。私たちの暮らしに必要不可欠な仕事をしている政治家ですが、年々なり手が不足し、投票率の低下には歯止めがかかりません。その一因と言われている「政治家と市民の距離感」を少しでも縮めるため、政治・選挙のリアルを伝えてはどうかという想いが、このシリーズの出発点です。政治家と政治・選挙に関わる全ての皆様に敬意を込め、知られざる光と影のストーリー、あなたのすぐ隣にある「政治家残酷物語」をお届けします。(文中は敬称略です)
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