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【名古屋市長選】各党相乗り新人が 政策では河村氏に擦り寄り作戦。バラマキ・住民税減税・市長給与削減・歴史認識などで大差なし(歴史家・評論家 八幡和郎)

2021/4/24

八幡 和郎

八幡 和郎

河村市長の誕生から現在まで

名古屋市長選(4月11日告示、4月25日投開票)には地域政党・減税日本が推薦する現職の河村たかし(72)、自民・立憲民主・公明・国民民主が推薦し共産党が自主支援、社民党が応援する無所属で新人の横井利明(59)、新人の押越清悦(62)、新人の太田敏光(72)が立候補している。

世論調査では、現職の河村と新人の横井が先行し、事実上の、一騎打ちとなっている。

河村は2009年に初当選してから、2011年、2013年、2017年と四連勝中である。

ただし、2011年の選挙は初当選時の公約だった市民税の恒久減税を議会に阻止されたことに伴う騒動のなかで、信を問いたいとして、いったん辞職して再立候補したもの。任期は残存期間だけだったので、当選は4回だが、これまでの在職期間は12年間である。

これまでの4回の選挙がどのような政党支持のパターンで戦われて来たかというと、極めて特異なものであることがわかる。

河村は1948年名古屋市生まれで、先祖は、御三家のひとつ尾張藩の書物奉行の家系で、とくに八代将軍徳川吉宗の綱紀粛正に反対して名古屋に派手好きな文化を栄えさせたきっかけをつくったことで知られる徳川宗春に仕えた河村秀根という国学者は著名である。

全国の有数の名門で、旧愛知一中だった旭丘高校から一橋大学で学んだのち、家業の古紙回収・卸売業を手伝った。やがて、政界入りを志し、1983年に愛知県会議員選挙、1990年には、衆議院選挙に立候補したがいずれも落選した。しかし、1993年の衆議院選挙では、日本新党から立候補して初当選した。

その後、新進党、自由党、無所属を経て、民主党入りし、4回当選している。民主党内では、菅直人、鳩山由紀夫、小沢一郎といった長老支配に反抗し、たびたび代表選挙への意欲を示したが、推薦人を集めることができず、断念した。

2011年の名古屋市長選挙に立候補し、民主党の推薦を得たが、「人件費の総額10%削減」などの公約に反発した、自治労や連合愛知は推薦しなかった。対して、自民党と公明党は、経産官僚の細川昌彦(現在は経済評論家)を推して激しい選挙戦となったが、河村が514,514票を獲得し、282,990票の細川を圧倒した。

しかし、当選した河村が掲げる市民税の恒久減税は市議会によって阻まれ、議会解散のリコール運動を展開する一方、市民の信を問うとして辞職して市長選挙に再立候補した。

このときには、民主党、社民党、国民新党、自民党愛知県連は、元犬山市長の石田芳弘を推したが、河村が662,251票を獲得して、216,764票の石田を圧倒した。

その2年後の2013年には、自民党市議だった藤沢忠将を、自民党愛知県連が推薦、民主党愛知県連も支持したが、192,472票に留まり、河村が427,542票を獲得して圧勝した。

三選された河村は、子供虐待問題などへのとり組みで知られた弁護士の岩城正光を副市長として迎えたが、やがて、対立し、岩城を解職した。

そこで、2017年の市長選挙では、岩城が河村への対抗馬として立候補し、無所属ながらも市議会自民党、民進党、共産党や社民党愛知県連合の支援を受けたが、河村の454,837票に対して、195,563票に留まった。

 

大村知事との対立と今回の市長選挙

こうして安定した人気を誇っていた河村であるが、あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」で慰安婦少女像や、昭和天皇の肖像写真を焼くことを描いた作品が出展されたことに、保守派の人々が大村秀章知事に抗議し、河村も反対したが大村は取り合わなかったので、河村はあいちトリエンナーレの名古屋市の負担金につき、未払いの3,380万円を支払わない方針を決定した。

また、美容外科・高須クリニック院長の高須克弥らが、「お辞め下さい大村秀章愛知県知事 愛知100万人リコールの会」(通称「愛知100万人リコールの会」)を設立してリコール運動を開始したが、これを河村は強く支持した。

しかし、愛知県といった大きな単位でのリコールはなかなか困難で難航し、所定の数の署名が集まらなかったのみならず、大々的な捏造が行われたことが判明した。これに河村自身が関与したとは信じられないが、河村批判もたかまった。

こうしたなかで市長選挙も近づき、河村もなかなか立候補表明をしないままだった。そこで自民党などは、霞ヶ関の官僚らに立候補を打診し、一方、共産党に近い層が前回に落選した岩城正光に打診したりしていた。しかし、河村人気は侮りがたく、打診された人も断った。名古屋では有名なお祭りの仕掛け人として知られた人物の周辺も動いていたようだ。

大村知事も候補者選定に深く関わり、援護射撃もした。 とくに、議員年金制度に反対していた河村が年金を受け取っていることも問題にした(河村はかつて議員宿舎立て替えにに反対して自前でアパートを借りたことがあるので、年金を受けたらないのも選択肢だが、制度に反対することと現存する制度を利用することを言行不一致とまではいえないともいえる)。

結局、決め手となる候補はなく、準備も伴わない一方、ある程度のチャンスもあるというので、候補者選定の中心になっていた、自民党市議である横井利明が立候補することになった。

横井は1961年に名古屋市生まれ。東京学芸大学教育学部から教員となったのち、保育園、デイサービスセンターなどの経営に当たっている。1991年から名古屋市議を務めて、2010年には議長も務めている。

政策的には、これまで厳しく河村市政に対決してきたかと云えば、そうともいえない。河村市長は年俸を800万円にてきたが、横井はさらに引き下げ市民の収入の平均である544万8千円にするとし、コロナ対策として河村がポイント還元を、横井は2万円の商品券の配布を主張しており似たものだ。

河村が熱心に取り組む木造での名古屋城天守閣復元にも横井は賛成だ。市民税減税もコロナ終息まで継続だとしている。

横井はブログでも河村市長の答弁の趣旨を支持するなど基本的な歴史認識について、横井もあまりかわらない。トリエンアーレについても展示内容を強く批判している。

それでも、3月16日に横井が立候補意向を正式に表明。自民党市議団、旧民主党系会派の名古屋民主市会議員団、公明党名古屋市会議員団も支援する方向を決めた。3月25日のは、日本共産党愛知県委員会は横井を自主支援すると発表した。

知事リコールについての不正事件については、高須院長に署名の偽造などを実行した人物を紹介したのが河村であることから、道義的責任はあるが、不正に河村が積極的に関わったと観ている人は少ない。

河村の強みは、表裏のなさ、政策についての首尾一貫性などがまずある。政治家・公務員の人件費抑制や経費削減、小さな政府指向などがそうだ。また、名古屋弁での素晴らしい話術とか義理堅さも定評があるし、失敗をしたときも率直に対応してきた。

そういうものがあって、盤石の強さを示してきたのだが、今回は、自民党から共産党までの組織を動員する新人であるから、選挙戦はにわかに緊迫している。しかし、歴史認識問題についての左派系団体のちらしなどを見ると、保守系の有権者を心配させるものもおおいし、バラマキなどポピュリスト主張の度合いも、どっちもどっちだ。

大村秀章知事は、2011年に立候補したときは、河村氏と連動し、知事選挙は河村の出直し市長選挙と同時に行われ、自民党・公明党が総務官僚の重徳和彦を推し、民主党、社民党、国民新党がやはり総務官僚の御園慎一郎、みんなの党が医師の薬師寺道代を推していたが、大村が自民党を除名されながら立候補して当選した。

このときに、自民党にあって珍しく公然と党本部に反旗を翻して応援に入ったのが当選同期の菅義偉で、両者はいまも近い関係だといわれる。

大村と河村は、中京都構想をともに提案し、共闘するかに見えたが、大名古屋市(「尾張名古屋共和国」)と、大阪型の都構想に近い発想だった大村との間で対立が深まった。その後、修復されたかに見えたが、トリエンナーレ問題で対立が決定的となった。

 

河村以前の名古屋市政について

なお、付論であるが、河村以前の戦後名古屋市政について簡単に振り返っておく。最初の統一地方選挙があった1947年の市長選挙で当選したのは、中日新聞の前身のひとつである名古屋新聞編集長、市議、代議士などをつとめた塚本三だった。

塚本が二期目の途中に病死したのち、やはり名古屋新聞出身で滋賀県出身、革新系の支持を得た小林橘川が市長となった。この塚本から小林の時代に助役として辣腕を振るい、100メートル道路建設などを行ったのが、高名な田淵寿郎である。なお小林の二期目には、尾張藩19代目の徳川義親が対抗馬として出た。

小林が三期目の途中に死去したのちは、助役で土木技師の杉戸清が市長となり、三期つとめたが、四期目は革新自治体ブームに乗った名古屋大学教授の本山政雄に阻止され、本山が三期務めた。

そのあとは、助役だった土木技師の西尾武喜が1985年から三期にわたって保革相乗り市長を務めた。さらに、1997年から三期は、教員出身で教育長だった松原武久がやはり保革相乗りでつとめ、そのあとが、河村たかしである。

 

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八幡 和郎

八幡 和郎

評論家、歴史家、徳島文理大学教授 滋賀県大津市出身。東京大学法学部を経て1975年通商産業省入省。入省後官費留学生としてフランス国立行政学院(ENA)留学。通産省大臣官房法令審査委員、通商政策局北西アジア課長、官房情報管理課長などを歴任し、1997年退官。2004年より徳島文理大学大学院教授。著書に『歴代総理の通信簿』(PHP文庫)『地方維新vs.土着権力 〈47都道府県〉政治地図』(文春新書)『吉田松陰名言集 思えば得るあり学べば為すあり』(宝島SUGOI文庫)など多数。

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