奈良市議選で最下位当選を果たした「維新の松ちゃん」こと松下幸治氏。ポスター等に「日本維新の会公認」と記載していましたが、これは国政政党の「日本維新の会」とは別の政治団体であったことから、「誤解を招いた」「有権者を欺くやり方では」との声が上がっています。
今回の奈良市議選は39の議席を50人の候補者が争う混戦となりました。
松下幸治氏は39位の最下位で当選を果たしました。当日有権者は305,610人、投票者は155,887人(投票率51.01%)、有効投票数は150,490票、無効投票数は5,805票、松下氏の得票数は2,472票、得票率は1.59%となっています。
松下氏の選挙ポスターを見てみましょう。「維新の松ちゃん」と「維新」の名前が強調されていることが分かります。
現地に入って驚いたのは、「日本維新の会公認・最重点候補」と大書きし、小さな字で「〇〇が代表の地域政党」と注意書きがある、あの号泣兵庫県議もビックリの紛い物維新が立候補していることでした。https://t.co/EmxOCTpW8o pic.twitter.com/ZmDybtGugW
— 足立康史 (@adachiyasushi) 2017年7月2日
さらに今回の選挙結果が注目されることになったのは、惜しくも40位の得票順で落選した新人の堀田恵司氏が国政政党「日本維新の会」の公認候補であったこと、さらに松下氏との得票数がわずか26票差だったことにあります。
「誤解を招いたのでは」との声があがっている今回のケースですが、松下氏が地域政党として「日本維新の会」の名称を使うことは、違法ではありません。
松下氏が自身を代表者として政治団体「日本維新の会」の設立を総務省に届け出たのは2016年4月です。政党の「維新の会」は2012年に結成した当時は「日本維新の会」でしたが、その後2014年に「結の党」と合流して「維新の党」を結成。さらに2015年に「おおさか維新の会」が発足、2016年に現在の「日本維新の会」となりました。
総務省によると、既存の政党と同じ名称の政治団体の届け出は政治資金規正法で禁止されているものの、松下氏が届け出た時期は、政党の「日本維新の会」は存在していない時期でした。そのために松下氏が地域政党の名称として使用することに問題はない、とされています。
これに対して国政政党「日本維新の会」の松井代表は「あきれるしかないが訴えることもできない」と述べています。
今回注目を集めている松下氏ですが、前回2013年の奈良市議選に立候補した際は10,379.877票でトップ当選を果たしています。当時のポスターにも「維新の会」の名前が使われていましたが、結果はトップ当選であり、有権者からの支持を集めていたことが分かります。
また、2013年の奈良市議選以外にも、1999年の大阪市長選挙(26,507票、得票率3.99%で最下位)に、2001年の長野市長選挙(2,287票、得票率2.05%で最下位)、2005年の大阪市長選挙(46,709票、得票率6.86%で最下位)に出馬しましたが、いずれも最下位での落選に終わっています。
当選を果たしたのは2013年と先日行われた奈良市議選の2回となっており、2回とも「維新」の名前を掲げている選挙となっています。
今回、松下氏は「日本維新の会」の名称を使用したことについて、「(政党の)維新の支持率が落ちていたため、応援したい気持ちや維新が盛り上がるだろうという考えがあったため(読売新聞)」「維新の候補者全員が当選するようにして仲間を増やそうと思っていた。自分は票を取りすぎないようにしてきた(日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」)」と述べています。
今回のようなケースは珍しいものですが、今後また起こりうる可能性もあります。例えば、「都民ファーストの会」が国政へ進出し、党名を変更すると、今月行われた都議会議員選挙の際に千代田区から立候補した後藤輝樹氏が使用していた「国民ファーストの会」と似たような名前となる可能性も全くないわけではありません。
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