2024/1/11
【高校再編について市町村長の皆様と意見交換】
県議会自民党議員会に「富山県教育の未来を考えるPT」を昨年6月につくり、活動を続けています。
昨年暮れには、PTとして県立高校再編についての「中間整理」を新田知事に提出して意見交換、その後、年末、そして年始と県内の15市町村長を訪問し、「中間整理」の説明、そして意見交換を行ないました
各市町村長さん方は、当然のことながら、未来を担う人材の育成について強い関心を持ち、高校教育に対しても深い思い入れがあることがわかり、またPTとしても多くの気付きを得ることができました。
県立高校志向の強い富山県においては、県立高校のあり方は、中学校の教育にも大きな影響を与えていることから考えても、県立高校再編議論を県教委のみで進めていくことには限界があるのではないかという思いを強くしました。
市町村長の意見ももちろんのこと、この機会に高校再編について多様な主体による県民的な議論が起き、県民みながこれからの高校教育を含めた教育をどう変革していくのかを考える機会にしていくべきであると思います。
県民の代表である県議会は、こうした議論をリードするべき存在であり、今年も引き続き、最重要テーマとの位置づけで取り組んでいきます。
【高校再編議論と政治の距離感はどうあるべきなのか?「7・3体制」の歴史に学ぶ】
おかげさまで、PTの取り組みを報道各社により取り上げていただいているおかげで、多くの方々からご意見を頂戴します。
そんな中で、年配の方からは、「7・3体制」への批判の声が聴かれました。
「7・3体制」とは何のことかわかりますか?
私は、正直言って、知りませんでした。そして調べました。
「7・3体制」とは、職業科:普通科の割合を、7:3とする政策です。
歴史は、戦後に遡ります。
昭和27年(1952年)、当時の高辻知事(現・新田知事のご祖父)が策定した第1次富山県総合開発計画において、「近代的産業人の育成」が課題となり、その後、富山県初の民間人知事として就任した吉田知事のもと昭和36年(1961年)に策定された第2次富山県総合開発計画において①可能な限り専門学科別の独立校を編成すること②昭和45年(1970年)までに職業科と普通科の割合を7:3にすること(いわゆる「7・3体制」)が打ち出されました。
その後、昭和45年までに39校の全日制高校に43の職業学科が設置され、昭和25年において職業科:普通科が4:6であったのに対し、昭和45年には63:37と逆転しました。
一方で、昭和40年代頃からは、「7・3体制」への批判の声が強まりました。生徒の普通科への志願希望が高まり、県民運動も活発となり、県議会でも大いに議論がなされたようです。そして、昭和45年、吉田知事に代わり知事に就任した中田知事は、「7・3体制」の是正に前向きに取り組む姿勢を打ち出し、以後は、普通科の割合が、拡大していく流れとなります。
「7・3体制」は、富山新港を中心とする新産業都市計画の発展をサポートする人材の育成を主眼としたものであり、産業政策と教育政策が一体として推し進められたわけです。
産業政策と人材育成・教育は切っても切れない関係にあり、当時、吉田知事が教育政策を政治主導で推し進めたことそのものが否定されるべきものではないと思いますが、結果としては、県民から受け入れられず、10年足らずで政策を軌道修正せざるを得なくなったわけであり、教育委員会も大変混乱したことでしょう。政治に翻弄されたこうした出来事は、富山県において、高校教育は、「政治が口出しすべきことではない、教育委員会の聖域とすべきである」という暗黙の風土につながっているのではないかと考えたりもします。
しかし、他方で、高校教育のあり方そのものを本格的に議論する機会は、この「7・3体制」の議論以降はなされていない事実を直視すべきと思います(平22年、令和2年の高校再編議論がなされていますが表面的な議論にとどまっています)。
あれから50年以上の月日が流れています。そして時代はロボット・AIなどにより大きく変わっています。今、改めて、県民の思いをしっかり受け止めることを大前提としつつ、政治主導で未来を見据えた教育の論議を行なっていくべきであると感じています。
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