大石宗の消費税対策・物価高対応と家計支援策
2025/7/14
大石宗 メッセージ
2025年の参議院選挙に立候補している、自民党公認候補・大石宗(おおいし しゅう)から、徳島・高知の皆さまへのメッセージです。
オオイシ シュウ/45歳/男

都市集中から地方分散へ! 現場20年。動き、応える44歳。
| 選挙 | 第27回参議院議員選挙 2025年 (2025/07/20) |
|---|---|
| 選挙区 |
徳島・高知選挙区 201,619 票 |
| 肩書 | 自由民主党 参議院徳島高知選挙区支部長 |
| 党派 | 自由民主党 |
| サイト | |
| その他 |
2025/7/14
2025/7/14
2025/7/14
2025/7/14
2025/6/24
2025/6/23
| 生年月日 | 1980年09月11日 |
|---|---|
| 年齢 | 45歳 |
| 星座 | おとめ座 |
| 出身地 | 高知県高知市越前町。曽祖父以来の大石家の実家で育つ。ただし幼少期は高知市西端の農村地帯で過ごす。幼稚園は若草幼稚園。母親は室戸市の出身。 |
| 好きな食べ物 | 土佐ジローの卵かけご飯、徳島ラーメン、ウツボのから揚げ、鶏の水炊き、高知県のソウルフード・くいしんぼ如月のチキンナンバン |
| 好きな本、漫画、雑誌 | 『漂流』(吉村昭) 『男子の本懐』(城山三郎) 『深夜特急』(沢木耕太郎) 『ぼくんち』(西原理恵子) |
大学のゼミで政治学を深めるほか、選挙ボランティアに参加して政治の現場を体験。併せて大前研一氏の「一新塾」に入塾、高知県と東京都の合併シミュレーションを行って「全体最適と部分最適」や「地方再生の道」を探る。市町村合併&北海道夕張市の破綻を見て政治への志を膨らませた。就職した神戸製鋼で日本のものづくり現場の空洞化を体感、「自分がやらなければ」の思いが募り、24歳で退職して政治の道へ入る。以来20年、一貫して都市と地方の問題を手掛ける。取り組むべきは都市集中から地方分散へ、国家の構造を大転換すること。人材や食料を都市に供給してきた地方が力を失えば、都市も持たない。それは日本の危機だという思いを持ち続けている。
都市と地方の共存共栄を図るため、全力を尽くします!
26歳で高知県議会議員に当選、通算4期。
「みんなでよさこいプロジェクト」を立ち上げ、GRe4N BOYZ(旧名GReeeeN)に依頼して総踊り曲「この地へ∼」を誕生させる。
南海支隊戦友遺族会高知支部長として長年にわたり戦没者の遺骨収容を続ける。
高知と竹富をつなぐ高知うつぐみ会会長として、戦時中に祖父が守備隊長を務めた沖縄・竹富島との交流を毎年続ける。
高知商工会議所青年部令和6年度副会長
土佐経済同友会会員
都市集中から地方分散へ 日本列島改造論2025
5つの基本政策
国家の基軸に「都市集中」から「地方分散」を位置付けます。
高度成長期以来、ヒト、モノ、カネはすさまじい勢いで地方から都市へと移転し続けました。近年、それが加速しています。膨れあがる都市も、過疎・高齢化が進む地方も、共に限界を迎えています。都市と地方の共存共栄に向け、国政の力で地方分散を図らなければなりません。
❶ヒト・モノ・カネを地方へ!
・ 地方の自立を経済安保の中心に据えます
・ エネルギー、食料、雇用を地域内で自給させます
・ 政府機関や企業の本社機能を地方に移転させます
・ 政治の力で地域内経済循環を促進させます
・ 農林水産業の担い手対策と六次産業化を強めます
・ 中山間地域対策を、国の力で抜本的に拡充します
・ 南海トラフ地震対策など防災を徹底的にやります
・ 地域の足、地域公共交通機関を守ります
・ 8の字ネットワークなど社会基盤整備を進めます
❷政治改革の断行
・ 健全な議会制民主主義を確立します
・ 政治資金の透明性を向上させます
・ 国民の政治参加を促す諸施策を推進します
❸国際協調を基本とした現実的外交・安全保障政策
・ 日米同盟を中核とした多国間安全保障協力の推進
・ 国民保護に関する対処能力を向上させます
・ 安保3文書に基づく防衛力の抜本的強化に努めます
・ 外国人の土地取得規制を強化します
❹疲弊した国民生活と地方経済の建て直し
・ あらゆる制度を総動員して物価高を是正します
・ 行き過ぎた円安を是正します
・ 老後の安心、持続可能な社会保障制度を確立します
・ 農家収入を増やし、併せてコメ価格を引き下げます
❺未来への投資の拡大
・ 現役世代の可処分所得を向上させます
・ 自己負担なしで妊娠・出産ができるようにします
・ 就学前教育の充実を実現します
・ 家庭の経済環境に左右されない教育機会を保証します
・ 不登校など厳しい環境にある子供達に寄り添う政策を
高知県議会議員だったとき、私は「県政巡業」と名付けた住民対話集会を続けていました。現場で働く人たちの声、生活苦に悩む人たちの声、子育てに苦労する方々の声を直接お聞きしたかったからです。