2020/7/28
山本寛斎さんご逝去、岐阜と故デヴィッド・ボウイ。
世界的に活躍したファッションデザイナー、山本寛斎(やまもと・かんさい)さんが7月21日、急性骨髄性白血病のためご逝去されました。76歳。
国際的なファッションデザイナーとして活躍した山本寛斎さん。ファッションの枠を超えた総合イベント「スーパーショー」を確立するなど新たな表現を追求してきました。
山本寛斎さんは、神奈川県横浜市で生まれましたが、岐阜県岐阜市立明徳小学校(2012年3月閉校)、岐阜市立加納中学校、岐阜県立岐阜工業高等学校で過ごし、岐阜県での青年期の体験がエネルギッシュなショーの原点であるといわれています。
スーパーショーのルーツについて、山本寛斎さんは、かつて岐阜新聞・岐阜放送の在京県人懇談会で「中学と高校で応援団長を務め、1500人の仲間たちの気持ちとエネルギーを一つにするという心を学んだ。ステージと観客が一体となるスーパーショーの原点は、応援団長をしていた岐阜にある」と語っていたそうです。国際的なファッションデザイナーの原点が、ここ岐阜県にあったことを改めて知る機会になりました。
さらに、全く知らなかったのは 、ロック歌手の故デビッド・ボウイの衣裳を制作していたことです。そうだったのか!と今さらながら驚いています。
1971年、日本人として初めてロンドンでファッションショーを開き、ショーをきっかけに、デヴィッド・ボウイさんが73年に行ったワールドツアーのステージ衣装を手掛けるなど交流が始まった。と。
1974~1992年、パリコレクション、ニューヨークコレクション、東京コレクションに参加。ショーでは、日本人ファッションモデルの先駆けだった故山口小夜子さんを起用。歌舞伎や着物など日本の伝統を取り入れた前衛的なデザインで、若者から人気を集めました。1993年にモスクワの赤の広場でイベント「KANSAI SUPER SHOW」を開催して以降、国内外でファッションと音楽、踊りなどが融合したイベントのプロデューサーとして活躍。2005年の愛知万博の開幕イベントもプロデュースした。10年に開業した東京都心と成田空港を結ぶ京成電鉄の新型スカイライナーの車両デザインも手掛けました。
グローバルに活躍するようになってからも故郷・岐阜との関わりは続き、1991年には、岐阜市立女子短期大学の客員教授に就任されました。通算18回の特別講義を行い、学生たちに夢の実現に向かって努力する大切さを説きました。
時代も違い、性格も違い、努力も違うでしょうが、このような彼の活躍のベースに岐阜県で過ごした時間があったことを、いま岐阜県で暮らしている一人として誇りに思います。
合掌
■岐阜新聞Web
https://www.gifu-np.co.jp/news/20200728/20200728-259939.html
■毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20200727/k00/00m/040/075000c
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