2026/3/6

直木賞作家・影山民夫の小説に『ガラスの遊園地』という作品がある。
放送作家でもあった影山民夫が見た、テレビの現場。
そこに描かれているのは、まぶしく、きらめき、どこか危うい、あの時代のテレビだ。
私は時々思う。
あれは本当に小説だったのだろうか、と。
むしろ、小説という衣を着たドキュメンタリーではなかったか。
1980年代の終わり。
この作品は、多くのテレビマンのバイブルになっていた。
皆が夢を見ていた。
——ガラスの遊園地。
私がテレビ業界に足を踏み入れた頃、
制作現場にはまだ、その残り香があった。
スタジオの空気の奥に、確かにあの時代の熱が残っていた。
そして私自身も、
いつかその遊園地の中心に立ちたいと夢見ていた。
■ガラスの向こう側
「ガラスの遊園地」
このタイトルの「ガラス」が何を意味するのか、
今となっては本人に確かめる術はない。
視聴者が夢を見る、ブラウン管のガラスかもしれない。
だが、同じ空気を吸っていた私には、
どうしても別のものに思える。
サブ(副調整室)とスタジオを隔てる、
あの分厚い遮音ガラス。
暗いサブから見下ろすスタジオは、
光と熱に満ちた別世界だった。
まるで遊園地のように、
騒がしく、華やかで、そして遠い。
音は届かない。
だが、すべては見える。
あのガラスの境界線の向こうに、
テレビという夢の国が広がっていた。
■階段の下
1980年代前半。
私がテレビ美術制作会社
「ル・オブジェ・アール・スタジオ」に入った頃、
私の居場所はまだ階段の下にあった。
スタジオの床にリノリウムを敷く。
重いロールを抱え、床を転がす。
経師(きょうじ)紙をパネルに貼る。
シワひとつ許されない。
本番のライトに耐える、
「虚構の舞台」をつくる仕事だった。
スチロールを削れば、
白い粉が全身に降りかかる。
静電気で髪に張りつく粉を、
仲間と笑いながら払い落とした。
きつい仕事だった。
だが、そこには確かに
何かを創っている手応えがあった。
ふと見上げると、
二階のサブの遮音ガラスが鈍く光っている。
私は思った。
——いつか、あの階段を上ってやる。
あのガラスの向こうへ。
■リーマン
数年後。
私はその階段を上り、
ついにサブへ座ることになった。
だが、そこにあったのは
夢見ていた「表現者の席」ではなかった。
広告代理店の担当者。
スポンサーの意向。
ロゴの位置。
秒数。
予算。
テレビ局の社員となったネクタイを締めた私の仕事は、
番組を「ビジネス」として成立させることだった。
現場のディレクターが階段を駆け上がり、
サブに飛び込んでくる。
熱を帯びた言葉。
現場の興奮。
その前で、私は計算する。
スポンサー。
費用。
枠。
そのとき、
影山民夫の言葉が頭をよぎる。
「テメー、リーマンか?」
——そうだ。
私はリーマンだ。
だが、心の中でこう答えていた。
この遊園地の
バカ高い電気代を払う金を持ってくるのは、俺だ。
番組は夢だけでは動かない。
制作費を集め、
交渉をまとめ、
番組を成立させる。
それもまた、
この遊園地を支える仕事だった。
■新しいスタジオ
今のスタジオには、
もうあの遮音ガラスはない。
モニターがすべてをつなぎ、
境界線は消えた。
だが、私の中には
今もあのガラスがある。
制作への未練。
リーマンとしての意地。
そして
もっと面白い場所を作りたいという執着。
私は今、
北名古屋という新しい現場に立とうとしている。
かつてのスタジオのような
光り輝く街を作れないか。
階段の下で汗を流した日々。
階段の上で味わった孤独。
その両方を知っている私だからこそ、
できることがある気がしている。
ネクタイを締め直す。
そして私は、
もう一度階段を上る。
あのガラスの向こうにあった夢を、
今度はこの街で
現実にするために。
【テレビマン・村上さんせいの「本音」をもっと知る】
公式HP: 北名古屋をドラマチックに変える、具体的な政策はこちら
■ 公式サイト 北名古屋.com
http://xn--djros0dr56a.com/
■ 村上さんせい プロフィール(選挙.com)
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■村上さんせい noteまとめサイト
https://note.com/agile_guppy2355/n/n9d0090c76898
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ムラカミ サンセイ/68歳/男
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