2025/10/23

こんにちは、平田正です。
神戸市東灘区の中心に位置する商業施設「御影クラッセ」。
今では阪神電車直結のショッピングスポットとして知られていますが、その場所には、かつて地域に親しまれた学校がありました。
今回は、御影クラッセの誕生までの歴史をたどりながら、地域と人々の記憶がどのように受け継がれてきたのかを振り返ります。
御影クラッセの敷地は、もともと「神戸市立御影工業高等学校」があった場所です。
御影工業高校は、神戸の産業発展を支えた多くの技術者を輩出した名門校で、地域に深く根づいた存在でした。
しかし少子化と学校統廃合の流れのなかで、2003年に閉校。統合先は「神戸市立科学技術高等学校(灘区)」となり、その後、跡地活用の検討が始まりました。
市民の間では「跡地をどう活かすか」が議論され、最終的に「地域に開かれた商業・文化拠点」として再開発されることに。
こうして2008年、御影クラッセが誕生しました。
「クラッセ(classe)」という名称は、フランス語で「教室」「学びの場」を意味します。
これは、かつて学校だった土地の記憶を受け継ぎ、地域の人々が再び集う“学びと交流の場”でありたいという願いが込められています。
単なる商業施設ではなく、「地域の生活を支える拠点」「世代を超えた出会いの場」として位置づけられている点に、御影らしいまちづくりの思想が見えます。
御影クラッセの整備は、神戸市が主導した跡地再開発事業の一環として進められました。
商業棟を中心に、公共機能(図書館・行政サービスコーナー)や学習施設が併設されるなど、行政と民間企業が連携して進めた事例です。
阪神・淡路大震災後の地域再生において、「住民が安心して集える場所をつくる」という視点が重視されたことも背景にあります。
その結果、御影クラッセは買い物施設であると同時に、地域の交流・防災拠点としての役割も担うようになりました。
現在の御影クラッセには、阪神百貨店やスーパー、飲食店、カフェ、クリニック、塾などが入居し、
「日常生活がワンストップで完結する施設」として地域に根づいています。
1階の広場では、季節のイベントや地元団体によるマルシェが開催され、
「買い物ついでに地域活動に触れられる場所」としても親しまれています。
また、施設の防災設備が充実しており、災害時には一時避難場所としての活用も想定。
平常時・緊急時の両面で“地域の安全と生活”を支える存在です。
御影クラッセの成功は、単なる商業再開発ではなく、地域の歴史を尊重しながら新しい価値を生み出した好例です。
学校の記憶を受け継ぎ、街の人々が自然に集う空間へと生まれ変わったことは、東灘区のまちづくりの象徴とも言えます。
今後も、地域団体や市民活動と連携しながら、「買い物+交流+防災+学び」を融合させた都市拠点として発展していくことが期待されています。
御影のまちの新しい歴史は、ここからまた紡がれていくのです。
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ヒラタ タダシ/53歳/男
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