小金丸かずよし メッセージ
私は八幡東区で生まれ、雄大な皿倉山を毎日見上げながら、野球やサッカーに明け暮れる活発な少年時代を すごしました。 そして今日にいたるまで、 3人の子どもが通う幼稚園・小学校の15年間におよぶ PTA活動や、 まちづくり協議会、青年会議所での活動を通じて、 そこで暮らす人々と触れ合い、 その声を直に聞いてきました。
私の記憶の中にある八幡、 そして北九州市は活気のあるまちでした。 毎年心が踊らされた起業祭や子ども会 のソフトボール大会など、楽しい思い出がいくつも浮かんできます。 しかし今、生まれ育ったこの地でまちづく りに関わりながら感じるのは、 まちと人との 「へだたり」です。
通学路に立つ大人と登下校中の子どもたちは、 お互いにどこの誰なのかをよく知りません。 体験学習や地域 のイベントなど、 五感を使って感じ、 そこから学びを得る体験の場は減っています。 1人でお住まいのお年寄 りを、地域全体で見守るための交流の場も少なくなりました。
20年以上地域と関わり続けてきた私だからこそ、まちと人との距離感をリアルタイムで理解し、 そこにある 「ヘ だたり」を「つながり」へと変えていくための、 現状に即した提案ができると考えています。
私はこのまちで家業である印刷会社の経営に20年以上取り組んでまいりました。 ネット印刷の普及、 ペーパー レス化の推進、 そして紙をはじめとするあらゆる資材の高騰といった苦境にあって、 賞与を社員に渡せるか苦 悩したことも一度や二度ではありません。 「がんばればそのうち景気が良くなる」と期待して耐え忍んできまし たが状況が好転することはなく、やがて世の中では賃上げなど大企業目線での政策が活発化し、 コロナ禍の 苦境は過去のものと捉えられています。 中小企業のなかにも企業努力によって業績を伸ばしている会社はあり ますが、私が知る限り、 多くの中小企業経営者は今もなお苦しみ、 戦い続けています。 この状況が続いてい くのであれば、当事者として理解する私が立ち上がり、地元の中小企業を元気にしたい。そう考えるようにな りました。
地域の経済を盛り上げていくためには、外からの企業誘致と地場産業の活性化の両輪で取り組まねばなりま せん。そして、地域の中小企業が発展する上で、 人材難は避けて通ることのできない課題です。 私は企業経 営の一環として、 地元の中高生の職場体験授業やインターンシップの受け入れ、大学の中小企業論の講師など、 企業と学生を 「つなぐ」 活動に力を注いできました。
現在進行形で地域のまちづくり活動を先導し、まちの中から 「今」 を見るたびに、 まちの姿とは、そこに暮 らす 「人」 そのものだと感じます。
まちは生き物です。だからこそ、そこにいる人々が支え合い、元気でなければ、まちも活気づくことはありま せん。
悔しいことに、北九州市は課題先進都市、 八幡東区は消滅可能性都市として不名誉な注目をされています。 いつか、誰かが何とかしてくれるだろう、そう期待して手をこまねいていれば、 ジワジワと衰退の道をたどる のかもしれません。 だから、 私は動きます。 決断します。
まちづくりは企業マネジメントと同様に決断の連続です。 長年の企業経営によって中小企業の現在地を肌感覚 で理解できること、 厳しい環境の中でも工夫と決断で会社を経営してきたこと、地域や学校、子どもたちと 「つ ながり」 続けてきたこと、 これまで歩んできた私の半生をぶつけます。
「そこに取り残されている人がいないか」という視点を忘れず、 北九州市を、八幡東区を、 “まるまる” 元気 にするための、私にしかできない提言をおこなってまいります。
#小金丸かずよし
#まるまる元気な北九州市へ
#まるまる八幡と歩む会
コガネマル カズヨシ/51歳/男
まるまる元気な北九州市へ ~行動力でまちを元気に~
| 選挙 | 北九州市議会議員選挙 (2025/01/26) [当選] 3,232 票 |
|---|---|
| 選挙区 | 八幡東区選挙区 |
| 肩書 | 政治団体 まるまる八幡と歩む会 代表 |
| 党派 | 無所属 |
| サイト | |
| その他 |
| 生年月日 | 1974年09月12日 |
|---|---|
| 年齢 | 51歳 |
| 星座 | おとめ座 |
| 出身地 | 福岡県北九州市八幡東区 |
| 好きな食べ物 | 小倉南区徳力にある辛麺屋十九力の辛麺が大好物です。 |
小金丸かずよしのまるまる元気な北九州市構想
※まるまる=残すところなく、余すことなく、隅々まで
【3つの政策の柱】
①子どもと地域をつなげる
②学校と企業をつなげる
③人と行政をつなげる
【まるまる元気な教育】
私は、3人の子どもが通う幼稚園や小学校での15年間のPTA活動、まちづくり協議会、青年会議所での活動を通じて北九州市に住む人々の声を直に聴き、近年は社会において大きな変化を感じています。毎日旗持ちをし、通学する子どもたちを見守って下さる地域の方々のお顔やお名前を、子どもたちはよく知りません。家庭、学校、地域とのつながりが年々薄くなりつつある現状に危機感を覚えています。教育環境の充実は、文化芸術に触れ、体験学習の機会をつくり、学校外で地域とつながることによってこそ、豊かなものとなります。そこで子どもたちが得た経験は、地域を愛する礎となります。
【まるまる元気な経済】
私は25年間、中小企業経営に携わり、地元の中高生の職場体験やインターンシップの受け入れ、大学での講師を務めるなど、教育に携わってきました。これらの経験から、地元の大学には北九州市出身者が少ないこと、多くの学生は市外での就職を希望していることを知りました。私自身もかつてはその一人でした。地元企業への就業率を高め、外部企業誘致を進めるためには、地元企業と学校の連携が重要です。この連携により、税収の向上や若者が働きやすい環境づくりが進みます。近年は資材やエネルギー資源の高騰や人材不足、大企業目線での賃上げの推進により、中小企業経営は継続的な利益の確保において厳しい状況にあります。このため、企業間連携及び学校と企業のつながりをつくることで、北九州市を経済発展へと導きます。
【まるまる元気なまち】
北九州市は、5市が対等合併した他に類を見ない政令指定都市です。学校、医療施設、行政サービスも充実しています。私の人生でこれを実感できたできごとがあります。1歳になった娘に告げられた「若年性骨髄単球性白血病」。娘の異変に初めて気付いたのは八幡東区にある小さな小児科の医師でした。そこから、わが家の闘病生活が始まりました。市立八幡病院の医師、医療スタッフの方々からの温かく手厚い医療を受け、九州がんセンターの無菌室に転院しました。国内に適合するドナーが見つからず、海外ドナーから骨髄移植を受け、娘の生を無事につなぐことができました。
北九州市は、経済発展と引き換えに公害を引き起こしてきた歴史があり、それを克服し、美しい自然環境を守り抜いてきたことが魅力であり、それらに誇りを持つ市民を増やすことこそ、北九州市で生まれ育った私ができる施策です。