タケザワ ノリユキ/61歳/男
生年月日 | 1961年03月04日 |
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年齢 | 61歳 |
星座 | うお座 |
出身地 | 京都府木津川市 |
好きな食べ物 | 基本的に何でも美味しくいただきます。敢えていえば鍋料理! |
本庁へ異動後も、大好きな生野区のために働きたいと考えていたところ、退任される議員の後継にとお誘いがあり、「立場を変えればこそ、できることもあるかもしれない」という思い一心で、早期退職して転身を決意しました。
◆ 豊富な行政経験を通じて感じたこと。多様で豊かな生野をモデルに、大阪を元気にしていきたい!
私は、大阪市役所に奉職以来27年間、企画部門を中心に幅広い業務を担当してきましたが、機会あるごとに住民参加や都市内分権による区政の充実を唱えてきました。
10年前の夏に生野区役所に赴任し、後に、副区長兼保健福祉センター長に昇任し、トータル5年8カ月、区政改革推進の前線にたって、空き家対策や小中学校の統廃合と教育環境の改善、子どもの貧困対策、お年寄りの見守りシステムの構築など様々な課題に取り組んできました。
できる限り、地域に飛び出す公務員を心掛け、地域の方々と直接の触れ合いを大切にして、業務にあたってきました。課題によっては、地域の方々と対峙することも多くありましたが、場面が変われば、温かく親しく接してもいただきました。
そうした経験を通じて、私にとっての生野区は、下町の風情を残した人情味豊かなまちであり、「心の故郷とも言える大好きなまち」となりました。長屋と路地、商店街に銭湯、ものづくり、在日とニューカマー、地車や地蔵盆などが生み出す人と人との自然な触れ合いとバイタリティ、「多様で豊かな生活文化」がとても魅力的でした。普段から様々な価値観に触れ、異なる意見を尊重したり他人の意見を受け入れる人間性が自然と身につけられるとともに、様々な可能性が感じられ、「これからの時代の社会インフラとして、とても価値あるもの」であると肌で感じてきました。
そんな生野区をモデルにして、大阪を日本一いや世界一魅力的で元気なまちにしていきたい、そんな思いから、前回の統一地方選で政治家を目指すにあたり「生野から大阪を元気にする会」を立ちあげました。
◆ 生野の元気を取り戻す拠点づくり!
しかし、残念なことに、生野区の豊かな生活文化はどんどん疲弊してきています。
人口減少が続き、空き家となった長屋や路地の解体が進み、銭湯も年々その数を減らしています。また、大型ショッピングセンターの出現によって商店街が寂れ、近年は、ネット通販により、まちのお店自体も減少しています。
生野区は大阪市内で最も製造業の事業所数が多い「ものづくりのまち」ですが、その経営環境は年々厳しくなり、移転や廃業が続いています。
一方、スマホが普及し生活が便利になるにつれ、地域の人同士の交流も希薄になり、お互いに支えあう・気軽に相談するような助け合いが激減しているようにも思われます。また、伝統文化に対する愛着も薄まり、地車囃の音色までがうるさいとトラブルになるなど、地域のアイデンティティも低下していく状況と言えます。
そこで3年前の夏、生野の元気を取り戻す糸口にしたいとの思いで、仲間とともに空き家を借りて、「人と人との交流を促し、地域生活を豊かにしていくための拠点」を立ち上げることにしました。
手探りで、徐々にボランティアの講師仲間を募りながら、ギターセッションや、健康サロン、子育てママのためのプチ起業相談、子供向けの歌と工作の広場、スマホ教室や空き家相談など、様々なイベントを継続的に実施しています。【参考:もものや(桃の谷)http://momonoya.main.jp/】
◆ 公務員、サラリーマン意識からの脱皮!
こうした拠点の運営に取り組むなかで、私は、自分自身のなかで欠けているものに気づき始めました。
それは、これまでの「公務員、サラリーマン意識」から脱皮し、「自らの意志で学び、自分の耳と目で確かめ、自分の力でことを動かしていく。」という個人としての能力です。これを高めていかなければ、将来、政治家になれたとしても、皆さんの期待に応えていけないのではと感じたわけです。
そこで、少し、突飛に思われるかもしれませんが、まず、私は、もう一度、大学に行って、公務員に欠けている「経営感覚」、そして、これからの社会に大きな変化をもたらすであろう「情報技術やシステム」を基礎から学んでみようと考えました。通学も考えたのですが、政治活動との両立を考え、通信制の大学、「サイバー大学の総合情報学部」に入学することにしました。若い学生さんたちともネットを介してともに勉強し、この春に卒業、学位をいただきました。
また、私は建築士としてのバックボーンをもとに、生野区の課題のひとつである空き家問題を、区役所時代から継続的に仲間とともに取り組んできましたが、より実践的な知識と能力を身に着けるために、宅地建物取引士の資格をとり、空き家相談等に生かしてまいりました。
さらに、サラリーマン生活してきた私は、我々の社会にとって大切な、税金、年金、社会保険に関する知識が乏しいところがありましたので、ファイナンシャルプランナーという資格試験を受けることによって、相続や会社の事業承継、投資や金融といった内容を含めて、政策を考える上での、幅広い知識も広げることができました。
私の政治信条は、
・身近な地域での人と人の支えあい、地域の特性を大切にし、中長期的なまちづくりの視点に立って、地域の政策を積み上げていくこと。
・既存政治の行き過ぎた効率化を改善するために、市役所、区役所での勤務経験をもとに、本当に不要なものと、本当に必要なものを正しく判断すること。
・そして本来すぐにでも公的支援が必要な人に対するケアを一刻も早く再開し、下町に存在した「コミュニティ」を復活させること。
以下、具体的な政策を、3つの柱に沿って説明していきます。
「暮らしを支える安心・安全」
〇 誰もが自分らしく暮らせる地域共生社会づくり
単に社会保障制度を充実させるだけでなく、孤立による不安、心の拠り所の不在といったことの解消のための「身近な居場所づくり」、必要とされる情報を的確に届けることのできる「拠点やネットワーク」の整備を図りながら、地域共生社会づくりに取り組んでいきます。
また、今後、留学生や研修生・技能労働者という形で外国人居住者がますます増えてくると思われます。生野では既に60を超える国々の人が暮らしておられます。共生社会の実現には、こうした人たちへの支援策や規制など、しっかりと予算と体制をつけるよう取り組みます。
〇 地域の特性に応じた自助共助体制づくりと核となる地域行政の充実
防災についても、国土を強靭化することも大事ですが、一方では、自分たちのまちは自分たちで守るという活動、生野区では既に「一斉パトロール」や「防災訓練」など、既に先進的な活動がありますが、そうしたことをしっかりサポートする地域行政の充実に取り組みます。
「次世代を担う教育・子育て」
〇 新しい時代を生きるための公教育の改善、地域力を生かした実践的キャリア教育
今後、人工知能の活用が進み、単純な労働は機械やシステムに置き換わり、様々な個性をいかした労働のみが残っていくと言われています。
これからの時代の子供たちは、個性をのばすことが大事と言われていますが、類まれなる抜きんでた能力や、好きなことだけをやり続けることによる個性によって生き抜くことができるのは一握りの人物であり、現実的には「地域力」、即ち、地域社会の仕組みや伝統、生活文化、産業に根付いた個性、これが大事だと思っています。逆に言えば、地域も文化もないところに簡単に個性など生まれるものではないと言えます。
基礎学力を身に付ける教育に偏重することなく、身近な社会の仕組み、伝統・文化、産業に触れる体験学習や、それを通して周りの人たちのために役立てる人になりたいという思いを育む教育の充実に取り組みます。
「豊かで快適なまちづくり」
〇 大阪関西万博を生かした、ものづくりのまち生野・大阪の活性化
生野区は24区のなかで最も、ものづくり、製造業の多いまちです。こうした産業の活性化があってこそ、生野の元気が生まれます。現在、2025年の大阪関西万博の準備が進められています。万博の催しを成功させることも大事ですが、その成果をしっかりとまちづくりや、強い産業づくりにいかしていくことが肝要です。
今後、万博に合わせて国と産業界で、新しい産業の振興策、人材の育成、学び直しや新しい技術の習得のための施策が強力に推進されていきます。こうしたチャンスをしっかり先取りし、生野ならでは、大阪ならでは特性を生かした、産業の立て直しができるよう、拠点となる受け皿の整備、体制づくりを早急に取り組んでいきます。
〇 豊かな生活文化の継承と発展に向けたまちづくり
まちづくりには公共事業も重要です。公的に必要なものはしっかりと中長期的な視点に立って、公共の力で着実に実施していく必要があります。近視眼的に、効率性や経済性だけで判断すべきではありません。
しかし、こうした公共事業を支える行政の現場は非常に深刻な状況です。この10年行われてきた市政改革の柱、「民間にできることは民間に」ということで、様々な業務の民間委託を推進した結果、業務に精通した職員の減少、現場との乖離、モチベーションの低下、さらには人材の確保にも影響がでてきています。今や大阪市は、合格者の約4割が奉職を辞退してしまう、滑り止めの組織になっています。現在すでに将来の行政を担う若手職員の育成に課題がでてきており、ひいては市民サービスの低下が懸念されます。
こんな状況においても、大阪では未だに「新自由主義」へのアクセルを踏み続ける政治が続けられています。「身を切る改革」は耳障りはいいですが、今や肝心の骨まで崩れかかっているかの状況です。
〇か×か、右か左かの選択ばかりを重んじることなく、多様な価値観を受け入れ、ひとつひとつ折り合いをつけて改善を積み重ねていく、そういった積み上げの努力の上で、大きな政策、よりよい判断を生んでいく、そんな政治を私は進めていきたいと考えています。
◆ 多様で豊かな生活文化の価値
私にとっての生野区は、下町の風情を残した人情味豊かなまちであり、また、長屋と路地、商店街に銭湯、ものづくり、在日とニューカマー、地車や地蔵盆などから生まれる人々との自然な触れ合いとバイタリティ、多様で豊かな生活文化がとても魅力的です。普段から様々な価値観に触れ、異なる意見を尊重したり他人の意見を受け入れる人間性が自然と身につけられるとともに、様々な可能性が感じられ、「これからの時代の社会インフラとして、とても価値あるもの」であると肌で感じています。
◆「民間にできることは民間に」が生み出すジレンマ
しかし、実際に業務で課題に取り組んでいて、そんな生野区でも、近年、人と人との触れ合い支え合いが希薄になり、孤立化した生活が、様々な課題の解決を困難にしていることに直面してきました。
例えば、ご近所づきあいのない孤立した環境のもとでの子育てで、不安やストレスから子供の虐待を生んでしまう、早期の発見も困難にしてしまう。様々な支援制度を作ってもその情報がうまく伝わらない。情報があってもうまく使いこなせてもらえないことなどです。
少し寄り添ってサポートするだけでも、ずいぶん状況を変えられると思われても、相次ぐ人員削減でとても手が回らない。「民間にできることは民間に」という現行政治の方針により、業務の委託化が進み、現場が見えなくなるといったジレンマを抱えてきました。
◆ 行き過ぎた新自由主義、地域の再興こそが、一丁目一番地の対策!
こうした状況の背景には、日本を含む欧米社会を中心に、この数十年あまり、世の中からできる限り規制や公共事業をなくし、全世界的な自由な経済活動によって、世界を豊かにしていこうする、いわゆる「新自由主義」という考えのもとに様々な政策がとられてきたことがあります。
その結果、世の中の技術革新が進み、便利なサービスもたくさん生まれてきたという成果もありますが、残念ながら、近年、そのマイナスの側面が目立ち始めてきたといえいます。
行き過ぎた新自由主義は、「自己責任」を強要する風潮を生み、安易に周囲の知り合いや公的支援に頼らない心理を作り出してしまうとともに、貧富の格差が広がり、経済的に豊かであれば様々なサービスを享受することができる一方、余裕がなけれれば、人との交流の機会さえも奪われて孤立化し、問題を深刻化させていく原因にもなっています
また、日本の食料や資源の自給率がどんどん低下させ、今回のコロナの蔓延、ウクライナ戦争など不測の事態が起こると貿易が滞り、社会や経済により深刻な悪影響をもたらすことになりました。今の物価高騰、それに対して有効な対策をとれない状況も、それが原因といえます。
さらに、こうした流れは、世界各地で深刻な環境破壊をおこし、異常気象の原因にもなっているといわれています。
近年ようやく、岸田内閣が「新自由主義」から「新しい資本主義」への転換という方向性を打ち出しましたが、私は、以前から、こうした国レベルの改革・取り組みも必要ですが、それより大事なのは、地域政策、地域の再興こそが、一丁目一番地の対策であると考えてきました。
身近な地域での人と人の支えあい、地域地域の特性を大切にし、中長期的なまちづくりの視点に立って、地域の政策を積み上げていくこと、肉付けしていくことよって、国全体が豊かになっていくのではないでしょうか。
◆ 私が感じた使命!
行き過ぎた効率化は、「人や公に頼ることは卑しいことである感じてしまう強すぎる自己責任」や「様々な価値観に触れられる環境を破壊」を招き、人が人間らしく生きられる、人の温かみを感じられるコミュニティを破壊してしまったといえます。
私に課せられた使命は、既存政治の行き過ぎた効率化を改善するために、市役所、区役所での勤務経験をもとに、本当に不要なものと、本当に必要なものを正しく判断すること。
そして本来すぐにでも公的支援が必要な人に対するケアを一刻も早く再開し、下町に存在した「コミュニティ」を復活させること。と考えています。
竹沢のりゆきは、30年以上市役所で働き、生野区では子育て支援策の充実、教育環境の改善、空き家対策、高齢者の見守りシステムを構築してきた実績があります。そのうえ、幅広い知識の習得、交流拠点など皆様とのネットワークづくりに努めてきた実績があります。
その知識と経験、地域とのネットワークを活かして、行き過ぎた効率化による「孤立」を生野区から減らし、お互いが気軽に相談できたり支えあえる地域に変えます!
ぜひ、私とともに、生野の豊かな文化・産業を発展させながら、希薄になりつつある地域での人と人との触れ合い支え合いを促すことで、地域魅力にあふれ、ひとがひとらしく楽しく生きられる「どこか懐かしい未来のまち生野」を再生し、子供たち、お孫さんたちに、贈っていきましょう!