土曜日は消防団の訓練に地域イベント、夜は総会にと伺わせていただきました。
2023/5/28
はいの健 メッセージ
はいの健の政策、想いをご覧ください。
ハイノ ケン/37歳/男
2023/5/28
2023/5/26
2023/5/1
2023/4/30
2023/4/24
2023/4/22
生年月日 | 1985年09月30日 |
---|---|
年齢 | 37歳 |
星座 | てんびん座 |
出身地 | 青森県八戸市 |
好きな食べ物 | 麻婆豆腐と卵料理。 朝ごはんは私が作る係です。効率よくお米を炊く30分で作れるよう、献立や工程を考えるのが好きです。スーパーも足立市場も大好きです。 |
好きな本、漫画、雑誌 | 漫画:ゴルゴ13、こち亀、 |
こんにちは、拝野 健です。
今回は、私の生い立ちを振り返りつつ、なぜ今、挑戦しようと思ったのかをおはなしさせていただきます。少し長くなりますが、お付き合いいただければ幸いです。
私は、高校卒業まで、青森県八戸市で育ちました。私の家庭は母子家庭でしたが、地域には親代わりの方がたくさんいました。 登下校で毎回声をかけてくれる向かいの家のおじさん、取れた野菜をおすそ分けしてくれるおばさん。みんな、私たちの家庭を助けてくれていました。
祖父は水産加工業を営んでいました。生まれた頃には会社は清算していましたが、家の近所には、かつての従業員の方々が暮らしていました。近所の方々は口々に「お前のおじいちゃんには世話になった」と言いながら私を可愛がってくれました。
幼少期から高校生まで私が笑顔で暮らすことができたのは、ホームヘルパーとアルバイトを掛け持ちして朝早くから夜遅くまで働いていた母親はもちろん、地域の人々のおかげでした。
私は多くの人に助けられながら、楽しく幸せな幼少期を送ることができました。それ以上に助けてくれる方々もまた幸せそうだったことをはっきりと覚えています。このような環境で育ち、私も同じように周りの人を幸せにしたい、そんな生き方に人生をかけていきたいという思いが芽生えていったのだと思います。
地元の公立の小学校、中学校を卒業した後、高校は奨学金で通いました。浪人生時代の学費は金融公庫で借り、生活費は家庭教師をして賄いました。当時は大学で経済学を学ぼうとしていました。「失われた10年」と評された直後の時期で、今後は経済を知り、世の中の数字を理解することが重要だと考えてのことです。
入学した東北大学には奨学金とアルバイトでやり繰りをしながら通っていました。
そのアルバイトの1つが飲食店です。カウンター越しのやりとりを通して、お客様の喜ぶ姿、幸せな姿に触れられることは、かつてない充実感につながりました。私は飲食店に魅了され、大学を休学し、正社員として仕事に没頭しました。新しい店舗を立ち上げると、社長は私にその運営を任せてくれました。せっかくいただいたチャンスでしたので、休学という中途半端な状態ではなく、全力で取り組めるよう大学を辞め、背水の陣で臨みました。おかげさまで店は軌道に乗り、3店舗、4店舗と増えていく中で少しずつ自信もつき始めました。そして、自分で店を始めたいと思っていた時に起きたのが東日本大震災です。
当時私は仙台に住んでいました。町中が大混乱で、何が起きていて、次に何をすべきなのか誰もわかりませんでした。建物は崩壊し、火事も発生、今まさに命が奪われとようとしているのに、誰も、何もできない状態が夜まで続きました。
避難所には観光客も大勢いました。彼らは土地勘もなく、携帯電話も不通で情報を得ることもできず、地元の人以上に困惑し、ただ助けを待つしかない状態に置かれていました。
やがて日が暮れて、仙台では見ることのないような星いっぱいの夜空を見たとき、私は無力感に襲われました。それから2週間、炊き出しなど自分なりにできる限りのことをしました。しかし、その間もずっとその無力感が私の頭からはなれませんでした。
そして、浪人してまで大学に入ろうと思った当時の気持ちをもう一度思い出したのです。「昔、僕を助けてくれた人たちのように、みなさんの人生の力になりたい。お役に立ちたい。」
そして決心しました。「もう一度挑戦しよう。」
大学を辞める前、私は宮城県のとある市議会議員事務所でかばん持ちをしていました。
そして、その時のご縁で知り合っていた秘書の方を通して、現在外務大臣政務官である辻清人代議士の私設秘書として働く機会をいただきました。2012年の12月から働き始め、間もなく6年になります。秘書としての日々は、毎日勉強することもたくさんあり、試行錯誤の連続で、充実しています。
活動をしていく中で、お役に立ててよかったと思えることもたくさんありました。しかし実現できないこともたくさんあります。それは、既存のルールの中での処理や対応であればできますが、ルールや設計の変更が必要である場合、秘書である私にはできないということです。政治家にしかできないことがあります。それは、皆様一人一人の声を伺い、それを政策に反映させ、未来へ向けてより良い台東区にしていくことです。魔法のように明日からすべてが明るくなるようなことは難しいと思いますが、毎日少しずつ、変化は少ないけれど、確実に重ねていく。ふと、振り返った時に「台東区でよかった」と皆さんが実感していただけるように私の残りの人生を使っていきたいと思っています。
私はこの間、台東区に家庭を持つまでになりました。人生の伴侶を得て、息子も授かりました。いただいたご縁に感謝するばかりです。そして、この大好きな町で幸せな家庭を築いていきたいと思っています。
私はこの歴史と伝統ある台東区に住み始めてたった6年です。それこそ何世代も前からずっと暮らす方も多い台東区では、まだまだ新参者です。しかし、私も、妻も、子もみんなこの台東区はもちろん、台東区の人たちが大好きです。この町に住み続けたいと思っています。これを読んでいただいているみなさんと同じ気持ちではないでしょうか。この町で、子、孫、その先までみんな幸せに100年以上住めるようにしたい、それが私の率直な希望であり、目標です。
確かに、様々な課題があります。少子高齢化という構造的な問題、中小企業経営は必ずしも楽観的な未来だけではありません。子どもを預けたいのに預けられない、親の介護問題、老人ホームが足りない等。国内有数の観光地であるからこそ発生する観光バス対策や外国人旅行客対応、民泊。そして、いつか来るといわれている大地震。
まだまだ地域の力、政治の力で取り組まなければならない課題はたくさんあります。しかし、私はこれらの課題に正面から向き合い、「台東区に住んでてよかった」とみなさんが実感できる台東区にしていきたいと思います。まだまだ若輩ですがこの思いをお伝えできればと思い、書かせていただきました。
長い文章に最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
2022.10追記
決算特別委員会において、リバーサイドスポーツセンターにて熱中症や、けが人のためにアイシング用の氷をもらえるように要望しました。結果、現在は氷もらえるようになっております。
2019年9月19日一般質問させていただきました。その中で、自転車保険TSマークの助成をどなたでも申請しやすくなるよう、質問し、無事受け付け窓口を拡大するとの心強い答弁をいただきました。
[2020.1.6追記]
台東区として異例の速さで、私の提案が採用され、制度がスタートしました。一人でも多くの台東区の方がこの制度を利用し、安全安心なまちづくりに貢献していただけたら幸いです。
実績というと、秘書という立場上自分一人で作り上げたものはありません。
しかし、秘書として地域を回らせていただく中で、様々なことを皆様から教えていただき、少しではありますが、貢献できたこともあると考えます。
国会議員秘書をしていたからこそ、省庁の論理なども勉強してまいりました。地域課題を皆様から頂戴すれば、必要な部署への仕分けをし、区と都と国と連携し課題解決に取り組みます。
その上で、
台東区内には豊富な観光資源はもちろんですが、そこに暮らしている人がいるからこそ、さらに魅力が増し、活気があると考えています。
さらなる台東区の発展のためには、中小企業対策、および赤ちゃんからお年寄りまでが安心して暮らせる福祉政策が不可欠です。
上記だけではなく、私は一つ一つ丁寧に取り組みます。今日よりも明日、今年よりも来年、常に少しでも何かが前に進むよう全力で活動していく所存です。皆様、お気づきのこと、課題、お困りごと、などございましたらすぐに伺いますので、ご指導お願い申し上げます。
「台東区に住んでよかった」を
すべての人に。
【主要政策】
●中小企業振興
歴史ある産業をただ「保護する」のではなく、市場で勝ちぬく「積極的な」産業として支援します。
●災害・防災対策
いつかくる災害への「備え」は未来への投資と考え、必要な準備をします。台東区から「想定外」をなくします。
●福祉・介護対策
赤ちゃんからお年寄りまで、それぞれライフステージに対応したきめ細かいサービスを「切れ目なく」設計します。
●地域活性化
地域の活気は住民から!!町中で元気な掛け声があふれ、明るいまちづくりのため町会活動や地域活動を応援します。
こんにちは、拝野健です。
33歳の時、皆様からご支持賜り
台東区議会議員として4年間仕事をしてきました。
小学校に入る前に両親が離婚し、
夜遅くまで工場で働く母のもと、
働きながら高校に進学しました。
自分を助けてくれた地域の大人たちのように
人のために、役に立つ仕事がしたい。
私の政治の原点です。
「100年住みたい台東区」をつくるには、
誰もがチャンスや選択肢を持てる社会が必要です。
これまでのルールや制度のはざまにいる方が
報われるために。
これまではつい、見過ごされてしまっていた、
まちの一隅を照らすような政治を。
目の前の、生活の、
社会から見たら些細なことかもしれない、
でも、本人にとっては大きな「困ったこと」
「何とかしてほしいこと」を、
持てる力を尽くして解決したい。
約束します。
「台東区に住んでよかった」をすべてのひとに。
赤ちゃんからお年寄りまで、みんなが豊かで、
みんなが満足する台東区を。
どうか一緒に実現させてください。
2021年バージョンは以下です。
台東区議会議員として働かせていただいております。皆さんの何とかならないかというご意見を伺ったり、私の方からこんな制度がありますよと提案させていただくこともあります。
秘書と区議会議員の一番の違いは住民の皆様との距離感です。皆様から頂く様々なお話の中から、区政へ提案してまいります。困ってから助けることも大切ですが、困らないように制度設計することこそ区議会議員にできる仕事であることを念頭に行動してまいります。
↓↓立候補前(2019年)のメッセージは残します↓↓
2012年、私はこの台東区に住みはじめました。そして、この地で子を授かり、家族3人で暮らしています。生活を通して、この台東区のすばらしさを実感し、「ここにずっと住み続けたい」という思いが芽生えました。素晴らしい街並みや文化はもちろん、ここで生活する方々が大好きになったからです。
一方、衆議院議員の秘書として台東区内を回る日々の中で、様々な課題を見つめる機会をいただきました。今回、あたらしい挑戦を通じて、台東区の皆様が感じる「困ったこと」「何とかしてほしいこと」を解決していきたい。そして、その先に、すべての人が豊かで満足する台東区を実現したい。
「台東区を、赤ちゃんからお年寄りまで100年住みたいまちにする」
それが私の目標であり決意です。
精一杯頑張ります!
どうぞよろしくお願いいたします。
自民党台東総支部 拝野 健(はいのけん)