2025/10/15
福島の山間部、会津若松の街角で、時折耳にする言葉がある。「三春の奴ら、裏切り者だ」。戊辰戦争から150年以上経った今も、地元民の間で囁かれるこの「恨み」は、単なる歴史の残滓ではない。1868年の内乱で、会津藩を支えるはずの同盟が崩壊し、長州藩の新政府軍による略奪・虐殺・強姦の記憶が、会津の誇りを刻み込んでいる。一方、日本全体として「侵略された経験のない国」であるがゆえに、他者の流入—移民—を安易に受け入れやすい体質が、現代の社会に影を落とす。このブログでは、会津の具体的な「三春恨み」を振り返り、それが日本人の「他者観」にどうつながるかを探る。歴史の傷跡は、未来の政策を映す鏡だ。
戊辰戦争(1868-1869年)は、日本近代史最大の内戦。新政府軍(薩摩・長州中心)と旧幕府側(会津藩ら)の対立が、東北を血の海に変えた。会津藩は、京都守護職として長州藩の攘夷派を抑え込んだ過去から、新政府の標的となった。旧幕府側は「奥羽越列藩同盟」を結成し、会津を支えるはずだったが、ここで最大の裏切りが起きる。

同盟は、仙台藩・米沢藩を中心に28藩が参加。福島の三春藩(秋田氏、5万石)も当初、強制的に加わったが、戦局の悪化で離脱を決断する。
1868年5月の白石会議で同盟が軍事化された直後、三春藩は新政府に恭順を表明。7月の浅川の戦いでは、会津藩軍と合流したはずが中途で反旗を翻し、新政府軍に寝返った。これを「三春の裏切り」と呼ぶ声が、今も会津で根強い。

三春藩の離脱は、会津にとって致命傷だった。同盟の崩壊を象徴し、米沢藩や仙台藩の降伏を誘発。会津藩主・松平容保は孤立無援で鶴ヶ城(若松城)に籠城したが、9月22日の開城で敗北を認めた。地元意識として、三春は「狐に騙された」存在。戊辰戦争末期の俗謡に「会津猪 仙台狢 三春狐に騙された」と詠まれ、会津の「猪(猪突猛進の誇り)」が三春の「狐(狡猾な裏切り)」に翻弄された屈辱が歌われている。
三春の離脱が同盟を崩したなら、長州藩の新政府軍は会津を地獄に変えた。会津戦争(会津地方の主戦場)では、土佐・薩摩軍が中心だったが、長州の影は濃い。禁門の変(1864年)で会津に敗れた恨みを晴らすように、長州閥は会津を「賊軍」と烙印づけ、徹底的な報復を推し進めた。

新政府軍の侵攻は残虐そのもの。鶴ヶ城包囲戦(8-9月)で、城内に50門の砲弾が雨あられと降り注ぎ、民家を焼き払った。
英国人医師ウィリアム・ウィリスの報告書には「ミカドの軍隊(新政府軍)は捕虜を寛大に扱った」とあるが、地元史料は違う。略奪は日常で、兵士らが家財を荒らし、食料を奪い、抵抗する民を虐殺。女性への強姦も横行し、「会津の娘は皆、薩長の餌食」との悲痛な記録が残る。 白虎隊の少年兵20名が飯盛山で自刃したのも、この絶望の産物だ。
戦後、会津藩士の遺体は半年野ざらしにされ、埋葬禁止令が出された(最近の新史料で一部覆るが、象徴的トラウマ)。
斗南藩(青森)への転封で、会津人は極寒の地に追いやられ、飢えと病で数千人が命を落とした。長州への恨みはここに凝縮され、「会津猪 vs 長州狼」の対立は今も語り継がれる。
2025年現在、会津の恨みは薄れていない。三春町(旧三春藩領)は福島県田村郡、会津から車で1時間ほどの近隣だというのに、地元民の間では「三春は信用ならん」との声が絶えない。
2018年のTogetter投稿では、山口県民が会津訪問時に「タクシー運転手に出身地を聞かれたら山口と言うな」と忠告された逸話が話題に。
1986年の萩市(旧長州)との姉妹都市提携すら、会津若松市で「まだ120年しか経っていない」と拒否された。
この意識は、戊辰戦争の「ならぬことはならぬ」精神—会津藩の什の掟—に根ざす。
裏切りと虐殺の記憶が、家族の語り部から受け継がれ、観光資源(白虎隊史跡)としても定着。
安倍晋三元首相(山口出身)が2007年に会津で「おわび」を述べたが、地元の高齢者には「遅すぎる」との反応。
若者層では薄れつつあるが、会津の「三泣き」(よそ者への厳しさ、温かさの感動、別れの辛さ)のように、初対面の警戒心は残る。
会津の「三泣き」とは、よそ者が会津に来たときに感じる、最初は排他的に思える厳しさ(一つ目の泣き)、慣れてくると感じる人情の温かさ(二つ目の泣き)、そして会津を離れる際の寂しさ(三つ目の泣き)を表した言葉です。これは、会津人の「初めはよそ者には厳しいが、一度信頼関係が築かれると情が深い」という気質を表現しています。
会津の恨みは、日本全体の「他者観」を照らす鏡だ。歴史学者が指摘するように、日本はモンゴル侵攻(元寇)を「神風」で退け、物理的征服を免れた「侵略未経験の国」。
GHQ占領(1945-52年)はあったが、国体が消滅しなかったため、「敗北の教訓」が薄い。
これが、会津のような「内部侵略」(内戦)の記憶を増幅させる一方、外部からの「他者」を甘く見る体質を生む。
現代の移民政策にその弊害が表れる。
日本は公式に「移民政策を取らない」と言いながら、特定技能制度(2019年改正)で82万人の受け入れを計画(2024-2028年)。
外国人労働者は300万人超、人口の2.5%を占める「事実上の移民国家」だ。
労働力不足解消のメリットは明らかだが、侵略未経験ゆえの「安易さ」が問題。
世論調査では6割が「移民増加で治安悪化」と懸念するのに、政府は「共生社会」を掲げつつ、統合教育や社会保障の整備が追いつかない。
欧米のように「侵略経験」(ナチス占領など)がある国は、移民政策に警戒を織り交ぜるが、日本は「非移民国」の幻想を抱き、なし崩し的に受け入れる。
結果、不法移民の増加や文化摩擦が生じやすい。
会津の「三春恨み」は警告だ—他者を「味方か敵か」でしか見ず、裏切りを許さない姿勢は侵略された経験があるからこそ警戒できる意識でもある。
会津の三春・長州への恨みは、150年経ても地元意識の核。
侵略未経験の日本が移民を安易に受け入れている今、こうした記憶は教訓になる。
政府は真正面から議論を。
会津人も、恨みを観光や教育の糧に変え、萩市との交流を深めてはどうか。
歴史は忘れず、しかし前を向く。それが「ならぬことはならぬ」の真髄だ。
参考文献・出典
✍️ 大坂佳巨(おおさか よしきよ)
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